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第52話 ふらんす物語が始まる リヨン到着 [リヨン]

「ふらんす物語」の著者である永井荷風は、1907年の夏に横浜正金銀行(かつての東京銀行の前身)の行員としてリヨンに赴任したそうである。それがどうしたといわれると返答に困るが、後世作家として名を馳せた彼がリヨンに赴いてからちょうど1世紀を経て、小説家を志す私がリヨンの地を訪れたという事実の裏には、神の存在が見え隠れしてならない。
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国際空港とはいってもリヨンのサンテグジュベリ空港にはそれほど多くの旅客機が駐機してはいなかった。アメリカのローカル空港よりも発着便の数は少ないのではないだろうか。ロビー内も羽田空港ほども混んではいない。列にならぶこともなく入国審査を終え、あとはスーツケースを受け取るだけ。でもここが海外旅行の正念場のひとつである。バッゲージクレームで自分の荷物を受け取るまでの緊張感といったらない。目の前のベルトコンベアーが動き出し、そこに航空機から下ろされたスーツケースが次々と排出されてくる。ひとつふたつとスーツケースが持ち主の手によって引っ張りあげられていく中、いまだに自分のスーツケースが現れないときほど心細く感じるときはないだろう。ましてここは世界一スーツケースの紛失数が多いといわれるパリのシャルルドゴール空港のあるフランス、パリではないがフランス第三の都市といわれるリヨンだ。私たちの荷物だけ出てこなくたって何ら不思議ではない。今夜からの着替えなどは安物を調達すれば済むことだし、旅行前に比較的大きな投資をして手に入れた世界対応のドライヤーだってすでに壊れスーツケースには入っていない。でもこれから訪れる人、再会する人のために日本から持ってきた土産物の数々が手渡す前に消えてしまうことだけは避けたかった。だが私たちの日頃の行ないがよかったせいか、ライトブルーとシルバー、ふたつのスーツケースも無事リヨンの地に降り立つことができたのである。このスリルとサスペンスに満ちたひとときを味わうのはあと1回、帰国時の成田空港だけかと思った瞬間、帰国した後の日常生活を想像してしまい一瞬暗い気持ちに陥ってしまった。
空港からリヨン市内まではタクシーで移動する算段だった。インターネットで存在を知り予約を入れておいた個人タクシーのドライバーが私の名前を記したボードを掲げて出迎えにきているはずである。ドライバーに会った瞬間から私たちは重い重いスーツケースから解放されるということがホームページ上の謳い文句だったのだか・・・・。

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