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第110話 奥さん顔面蒼白トイレがない [パリ]

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男の指示通り事務所の先を右折し激流をしばらく走ると確かに交差点にでくわした。といっても銀座四丁目の交差点とはわけが違う。放射状に伸びた少なくとも6本以上の道が交差しているのだ。ヨーロッパ独特、合理的ではあるが、慣れない者には一生ここを回り続けなければいけないのではないかとの恐怖すらおぼえるラウンドアバウトである。パリ西部を彷徨い、市内の交通量の多い道路を結構な距離走ったが、これほど大きなラウンドアバウトは初めてである。神が与えた最後の試練か。私は意を決して輪の中に入った。1周目で希望の道に合流できれば大成功である。私は前後左右に目をくばりながら中央よりの車線に紛れ込み、今来た道と反対側の道路に入るべきチャンスをうかがった。目標の道を見つけ、今度は中央車線からその道めがけて車を右車線に移動させる。その間にも他の道路から車は合流してくるわ、手前の道路で右折する車はあるわ、まさにラウンドアバウト内は無法地帯である。私の行為を非難していると思われるクラクションも何度か耳にしたが、そんなことを気にしていてはパリでは生きていけない。そして私は何と1周目にして希望の道に進入できたのである。あとは道なりに走り高層ビルの地下に車をすべりこませるだけである。
高層ビルのPの看板は容易に発見できた。地下につながる下り坂をゆっくり進んだ。やがてゲートに到着。駐車券を引き抜き、さらに地下を目指した。らせん状の地下道をしばらく走ると奥さんがハーツの黄色い看板を見つけた。今度こそ間違いない。私はハーツが借り上げているであろう事務所前の駐車スペースに車をフロントから突っ込んだ。エンジンを切ると全身の力が抜ける。今度こそ本当に二度とクラッチを踏まずにすむと安堵した。後部のドアを開きスーツケースを下ろしていると奥さんの様子がおかしい。最初のハーツの事務所に到着する前から口数は減っていたのだが。目的地近しの安心感がそうさせていたのかと思っていたらどうやら違うらしい。またしても便意をもよおしているようだった。私は、荷物を下ろしてから事務所で返却手続きをするから用をたしてくるように言った。この高層ビルには商業施設やホテルもあるのでトイレは容易に見つかるはずだ。奥さんは不自然な歩き方で近くのエレベーターに消えていった。

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