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第150話 翼よ あれがパリの灯だ [パリ]

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長い長い動く歩道を何本か乗り継ぎ、出発便の待つサテライトに到着した。出国検査場は大勢の中高生と思われる学生たちで大騒ぎになっていた。もちろん日本人ではない。中国人でもない。彼らが同じフライトでないことを願うしかなかった。
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騒々しい検査場をでてようやく待合室に入る。帰国便はジャンボ機なので待合室も騒がしいかと思っていたら、まだ出発まで間があるせいか閑散としていた。大声もきこえてこない。日本人はマナーが良いのだ。大きな窓を外に目を向けると滑走路の端にタクシーからも見えた今まさに夕暮れのパリの空に向けて離陸の瞬間をむかえようとしているコンコルドのモニュメントも見える。全日空206便は午後8時発。午後7時をまわるとようやく陽が暮れ始めた。徐々に空が暗くなっていく。待合室もいつのまにか日本人で溢れていた。大半の人は表情が明るい。希望のブランド品を入手できた喜びか、憧れのエッフェル塔に登ったりモンサンミッシェルを訪れたりしたことで興奮しているのか。それとも帰国後のことを思いおこさないように、フランスで味わった楽しい気持ちを1分1秒でも長く維持させるためにあえて気分を高揚させているのかもしれない。少なくとも私のようにあと2日後のことを考えて暗い気持ちになっている日本人は多くは存在していないようだ。そんな明るい日本人の多い待合室にも日本に向かうため全日空便に搭乗する外国人はいる。彼らは日本人をみて日本語を間近にきいてどう思っていることだろう。日本人は騒がしい、声がでかい。耳障りであると思っているのかもしれない。日本を訪れるのが初めての外国人の中には、あと数時間後に間違いなくやってくるこうした黒髪の日本人ばかりの中での生活に慄き、大きな窓ガラスをぶち破って滑走路に飛び降り、命の限り走り続け家族や友人のいるパリの街に戻りたい衝動にかられている人もいるに違いないと私は思った。
定刻の午後8時少し前、機はサテライトを離れた。そして滑走路をしばらく走行した後、エンジンパワー全開にしてフランスの地を飛び立ったのである。すぐに眼下に宝石をちりばめた様に本当に美しいパリの灯が見えてきた。機はパリ上空を通過しながら上昇を続ける。日本に向けての長い飛行が始まった。私たちが銀婚旅行で得たたくさんの思い出を乗せて。思い出は間違いなく乗っている。でも思い出より大切なお土産がたくさん詰まったスーツケースがこの機に積まれたかどうかは不明だ。祈るよりほかにない。

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第149話 中国人が席巻する免税店 [パリ]

出発までまだまだ時間はあったが私たちは出国審査を行ないターミナル内で待つことにした。もうこれでホテルに忘れ物をしてきたことに気づいても戻ることはできない。私たちはすでに出国したことになるのだから。
30数年前に感動した宇宙ステーションのような動く歩道はいまだ健在。シャルルドゴール空港を利用するのが初めての奥さんは異次元の世界に来た人のようにキョロキョロしていた。どこかのんびり休めるカフェのような店はないかと歩いてみたがあっという間に行き止まりに。新しいターミナル2はデパートの特選フロアのような雰囲気なのだろうが、ターミナル1はなんとも寂しい、飲食店はもちろんのこと免税店の数も成田にも遠く及ばない。免税店などのショップが並ぶフロアを歩いて気がついたが、いたるところで中国語が聞こえてくる。ノートルダム寺院やシャンゼリゼでも中国人団体客に遭遇したことから推測するに、中国からパリを訪れる観光客の数は日本からの観光客をすでに大幅に上回っているのではなかろうか。そして彼らの声は異様にでかい。時に耳障りなほどである。中国語の発声法からそうなるのか、はたまた存在をアピールするためにそうなるのかはわからない。農協ツアーが話題となっていた時代の日本人も今の中国人観光客のようだったのだろうか。
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小銭を使い切るために私たちは免税店に入った。かつての海外土産の定番、ウイスキーや煙草もあるが、さすがフランス、ワインの品数も圧倒的に多い。棚ごとに生産地の異なるワインが陳列されている。私でも聞きなれた地名のワインがほとんどだ。奥に入り込むと温度湿度管理されたセラーがあり高額ワインが収められていた。そしてそこには中国人の先客が。なんとそのお相手をしている販売員は中国語を話していた。彼女の顔を見て納得。彼女はフランス人ではなく中国人だったのである。よほどここで高額ワインを購入していく中国人が多いのだろう。フェブレイさんが中国はこれから大変有望な市場になるといっていたことは間違いなさそうである。
免税店内を散策しているとニュイサンジョルジュで購入したマスタードや、オンフルールで買ったパテの缶詰類もある。ここで買えばよかったと思っても後の祭りだ。値段は多少高くても、免税店ではなく現地で買い、現地の粗末な袋に入っていることにお土産としての大きな意義があるのである。私は自分自身を納得させた。免税店で土産用の煙草やチョコレートなどを買い財布の中の小銭もあとほんの僅か。最後の最後に残った小銭をにぎりしめて立ち飲みスタンドに行き飲み物をオーダーした。フランスでの最後の晩餐、午餐ならぬ最後のティータイムである。あとは帰国便が待つサテライトへ移動し手荷物検査を受けるだけだ。

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第148話 土産の杖を梱包してくれるスタッフ [パリ]

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私たちは幸いにも追加料金の徴収は免れたようである。でも規定重量をオーバーしていることは明らかだ。とすると航空会社がサービスしてくれたのか、それとも女性スタッフには会社の置かれた厳しい状況など関係ないから細かいことは気にしないことにしているのか、追加料金を要求してからの私とのやりとりが面倒くさいのでフリーパスにしてくれたのかもしれない。とにかくスーツケースはこれで航空会社の手に渡ってしまった。もう手出しはできない。あとはスーツケースが無事に私たちと同じ便に積み込まれ成田空港で無事私たちの手元にもどってくることを祈るしかないのだ。
でもまだ問題は全て解決してはいない。最大の問題は私が手に持っている土産としてヴェズレーで購入した杖だ。杖の先は長丁場の巡礼にも耐えられるよう鋭利な金属が取り付けられている。私自身でその部分に紙を幾重にも巻き、他の人に危害を加えることがないようにはしてあるが、テロリストの手にかかれば立派な武器になることは明らか。「これは機内には持ち込めませんよね」と尋ねると「ええ」といって、彼女は私たちの後方に立っていた黒人男性スタッフを呼んだ。その杖を渡すと男性スタッフはすぐに理解したようで、カウンター内からダンボールを引っ張り出し、長方形のカートンを組み立て、杖をその中に入れたのである。もちろん杖を押し込んだだけでは中で杖が転がってしまうので、動かないように新聞紙などを丸めて押し込んだ。パターやゴルフクラブなどを買って帰る乗客のためにこうしたサイズのカートンがちゃんと用意されているのだろう。日本の航空会社ならではの肌理の細かさに感心する。女性スタッフが梱包の出来栄えをチェックしOKがでると男性スタッフはカウンターからまた離れていった。見事な分業システムである。女性スタッフによって到着地が印字されたシールを段ボールに貼られ、箱詰めされた杖はスーツケース同様コンベアに載りバックヤードに消えていった。成田で受け取って開けてみたらポッキリ折れていたなどということがないよう私は神に再度祈った。
しかし梱包してくれたあの男性職員、ブランド物でもない、ただの木の杖を梱包したのは初めてだったのではないだろうか。日本人は妙なものを買うと、今夜あたり家族に話すのかもしれない。

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第147話 重量オーバー?冷や冷やのチェックイン [パリ]

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シャルルドゴール空港は進化を続けている。この空港が開港したのは1974年3月(写真参照)で、私が初めてフランスを訪れたとき乗っていた便は、シャルルドゴール空港に着陸した日航機としては2番目だった。私の対面に座っていたスチュワーデスたちも着陸して滑走路を走っている間ずっとシートから身をのりだすように窓から外の景色を珍しそうに眺めていた記憶がある。飛行機を降りてから税関などに向かうときも、動く歩道がアトリウムの中で美しく交差し、まるで宇宙ステーションの中にいるようだった。しかし30年以上の時を経て、ターミナル2も完成。私が30数年前に降りたち、そして今日帰国の途につくためにきているターミナル1は、老朽化のためかあちこちで修復工事が行なわれており、斬新というイメージは全く感じられない。
各航空会社のチェックインカウンターは円形の建物の曲線にそって配されており、全日空のカウンターは工事中でそこより先にはいけませんよという一番端にあった。出発まで3時間あまりあるためだろうか、チェックインを待つ人もいない。ただカウンターから少し離れたところに団体旅行と思われる日本人の集団が2,3グループ見受けられた。
カウンターで手続きをしてくれたのは日本人女性。日本から持ち込んだ大型書籍などの土産はなくなってはいたが、その分、日本に持ち帰るお土産がかなりあったので、スーツケースの重量オーバーが心配だった。燃料の高騰により、機体の塗装面積を減少させたり、機内食の食器類まで軽量化に取り組んだりと各航空会社とも燃費向上に向けた対策を講じているご時世。1キロでもオーバーしていたら規定の追加料金を払わなくてはならないものと覚悟していた。二人でスーツケース2個。40キロが限度だが、ひょっとすると50キロを超過しているのではというのが私の予測だった。スーツケースを恐る恐るカウンター脇の計量器に載せる。一瞬重量が表示されたが、女性スタッフは何ごともなかったかのようにスーツケースの取っ手の部分に行き先を表示したシールをまきつけ、そのまま計量器と連なった終始動いているコンベアに移動させた。スーツケースはすぐに私たちの視界から消えたのである。

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第146話 シャルルドゴール空港到着 [パリ]

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高速に乗ると車窓からは大きな工場や倉庫がみえはじめる。それが終わると郊外の田園風景が続く。ホテルをでてから1時間あまり、車中から超音速旅客機コンコルドが見えた。しかしコンコルドはすでにお役御免、飛行してはいないはずなのだが。それは空港敷地内に今にも飛び立つ感じでディスプレイされた実物機だった。
タクシーはシャルルドゴール空港に到着した。ドゴール空港にもターミナルビルはたくさんある。降りる所を間違えれば、また時間をかけて移動しなくてはならないだろう。しかし事前に全日空機の発着するターミナルを伝えてあるので間違えることはないはずだ。車を出発ロビー入口のまん前に車をとめてくれるのかと思っていたが、世の中そうは甘くない。リヨンのタクシー事情同様、ロビー前に横付けできるのはメーターとルーフにサインのついた正規のタクシーのみということだろう。私たちを乗せたタクシーは、出発ロビー入口前にある片側4車線はある道路の1本外側の道路に駐車しなければならないようだ。まあ道路を1本渡れば正面入口になるわけだし、雨が降ったとしても屋根はあるので濡れることもない。コストセーブの犠牲としては問題にはならない範囲だと自分を納得させた。私はドライバーにキャッシュで60ユーロを支払った。これで大型紙幣はきれいさっぱりなくなったことになる。相手が悪質ドライバーで、あと10ユーロよこせといわれたらどうしようと怯えていたが、ホテルと契約しているタクシーだけに、チップ込み、規定通りの料金で解放してくれたのである。
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私たちは二つのスーツケースを引っ張り、空いた手でバッグと杖を持ち、出発ロビー口に向かった。おフランスの外気を感じるのもこれが最後かと思うと名残惜しい。帰国便が墜落もしくはハイジャックでもされない限り48時間後には私は間違いなく日本のオフィスにいる。そんなことは考えたくなったが時々脳裏をかすめる。そのたびにスーツケースが重くなるような気がした。

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第145話 パリっぽくない音楽を聴きつつ空港へ [パリ]

ホテル階段下の倉庫のようなスペースに保管というか放置されていた私たちのスーツケースや土産物の杖はパリの闇組織に持ちさられることもなく無事発見された。まあ、その時点で当然中身まではチェックしてはいないが。
タクシーは予約していた時間ぴったりの3時半にホテル前に到着した。タクシーといってもルーフにオレンジ色に光るTAXIサインはない。もちろん提灯や貝殻のようなサインもない。しかし違法な白タクではなく認可された合法タクシー、ただし街を流して客を拾うことのできないタクシーなのだ。そのかわり通常のタクシーよりはお得な料金設定になっている。メーターはなく事前に乗車場所付近から空港までの料金が決められているのだ。
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日本からの賓客がパリを離れるというのに、ホテル正面玄関付近にいる大勢のソルボンヌの学生たちは全く私たちに関心を示さない。記念撮影や別れを惜しんでハグを求める女子大生もいない。当たり前の話しだが。車に乗り込むとアラブ系のドライバーなのか、車内にはパリに似つかわしくない音楽が流れ、ドライバーもそれにあわせて何かを口ずさんでいる。チグリス川ではなくセーヌ川に沿ってしばらく走ると、滞在中見たこともない近代的なビルが立ち並ぶエリアに入ってきた。といっても日本の都心のような高層ビルは全く存在しない。パリ市内からみたときでも景観を損ねることのないよう厳しい高さ制限があるのだろう。
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ホテルから市内を抜け空港に向かう高速道路に乗るまでは都心の首都高速のような渋滞に巻き込まれかなりの時間を要した。別に事故があったわけではない。夕暮れ近く、毎日発生している自然渋滞なのだろう。奥さんはアラブ系音楽を子守唄にホテルを出発した直後から得意の睡眠に入っている。夕暮れのパリの風景を脳裏に焼き付けようという気はさらさらないようだ。近いうちにまた来るからとその必要性を感じていないのかもしれないが。

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第144話 パリ最後のランチはベトナム料理 [パリ]

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12年前出張で訪れた際に宿泊したのはルパブリックにあるホリーデーインだった。メトロをおりてルパブリック広場に立ってまずそのホテルを探した。さすが大手ホテルチェーン、今もしっかり営業を続けているようである。ホテル前には大型バスが停車しており市内観光をするのか、空港へ向かうのか、ホテルから出てくる団体客を待っている様子だ。
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睦美と合流した後、ルパブリック広場周辺の雑貨店、パン屋など、彼女を含め地元民が利用するいくつかの店を見て回る。雑貨店に置かれていた食器には買ってかえりたいものも何品かあったが、割れ物だし、それになんといってもすでに封印された私たちのスーツケースには全く余裕のスペースがないので諦めた。
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その後、一旦睦美のアパルトメントを訪れる。彼女はアパルトメントを借りているわけではない。なんと彼女所有の物件なのだ。日本で嫉妬深い日本人男性社員と競い合い稼ぎ出した蓄えを投入し手にいれたものだった。もちろん新築ではない。トイレの汚水がバスタブに逆流することもあるという中古物件ではあるが、パリ中心部といっても過言ではないエリアの不動産だ。帰国時売却しても大きな損失にはならないに違いない。
不動産王睦美に連れられて午餐場所へ。そこはベトナム料理店だった。ベトナムがフランス領だったことも影響してかパリにはベトナム料理店が結構多い。余談だが真面目で手先が日本人のように器用なベトナム人はパリでも多種業界で活躍しているようだ。かつて勤務していた毛髪関連産業の会社時代パリを訪れた際には植毛作業を手際よくこなすベトナム人にも会ったことがある。
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店で焼きそば、炒飯、フォーなどをつまみに昼間から3人でワインを1本空けた後、ホテルに空港までのタクシーが迎えに来る時間が迫ってきたのでお別れすることに。変な外国人に騙されない限り、睦美は間違いなく何年後かに保有しているアパルトメントを購入時よりも高額で売却しスーツケースに溢れるほどのユーロ紙幣を詰めて帰国するだろうから今生の別れというわけではない。滞在中のアテンドに感謝するとともに、渡したカルネ券から2枚をいただき私たちは再びメトロに乗ってホテルに向かった。

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第143話 メトロの回数券をW買い [パリ]

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外国人からすれば自販機=お金が間違いなく入っている機械がそこかしこにあふれている日本の街角の風景は信じられないことなのかもしれない。私たちはそれほど疑問に感じないが、日本はそれだけ治安が良いということか、安全だと日本人が勘違いしているだけなのか。海外の街角ではほとんど自販機をみかけない。地下鉄等の駅構内には切符や回数券の券売機がある。でも駅は夜になればシャッターが閉まり入ることはできない。それに機械そのものも日本製ほど精密ではない気がする。
今回の銀婚旅行の最終日、睦美と最後の晩餐ならぬ午餐のため会うことになっていた。ホテル界隈を散策した後、クルニー・ラ・ソルボンヌ駅からメトロに乗るべく階段を下りて地下に向かう。10号線、一部区間地上を走る5号線と乗り継いで睦美のアパルトメントに近いルパブリック駅を目指すのだ。今日はルパブリック界隈にある睦美の馴染みのレストランへ連れて行ってくれることになっている。アルジェリア料理か、ベトナム料理か、はたまたトルコ料理かはわからない。ただフランス料理や日本食でないことだけは確かだった。帰路もメトロを利用してここまで戻ってくるつもりだったので回数券=カルネを買うことにした。10枚つづりの回数券うち往復で4枚しか使用しないが残りは睦美にあげればいい。カルネは3割近く割安ではあるのだが、明らかに往路復路でそれぞれ切符を買った方が安上がり。でも面倒くさいし、睦美も喜ぶだろうと思いカルネを購入することにしたのである。
カルネはクレジットカードで買うことができる。カードでしか買うことができないのかもしれない。私は券売機の前に立ち表示言語を英語に変更。画面の指示に従いカードを挿入した。初回は半分挿入したまま何の反応もなくカードが戻された。カード情報をうまく読み取れなかったと思い私は再度カードを挿入する。今度はマシンが情報を読み取ったような手ごたえを感じた後、カードが戻ってきたのである。そして束になったカルネが出てきた。それをとって券売機を離れようとすると再び音がして10枚束になったカルネが落ちてきたのである。奥さんと顔を見合わせた後、それをすばやく手にとった。10枚分の決済で20枚ゲットできた。私たちにはまだ運がある。フランスで少なからずユーロを消費したことに対するナポレオンからのご褒美かとも思った。これで睦美も16枚のメトロ乗車券を私たちから受け取ることになり喜ぶことだろう。機械モノは日本製に限ると再認識するとともに、こうした恩恵があるのなら洋モノマシンもまんざら悪いとはいいきれないとも思った。私たちは改札をぬけ、10号線の終点であるオーステリッツ駅の表示板のあるホームに向かった。
しかしこの儲け話にはちゃんと落ちがあった。帰国後2カ月。カード会社から届いた請求明細書にはちゃんとカルネを2冊かったことが記されていたのである。寂しいことではあるが洋モノ機械の急速な進歩を認めざるを得なかった。

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第142話 オタク街サンジェルマンデプレ 学生街はパリの秋葉原 [パリ]

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いつもは待ち合わせ場所や目的地に向かうため利用するメトロの駅に歩くだけで、ソルボンヌ大学周辺をゆっくりと歩くこともなかった。でも今日は睦美との最後のランチをとるための約束時間まで余裕があったので通ったことのない道を選んで歩くことにした。
するとショーウインドウにドラゴンボールなど日本のアニメの主人公のフィギア(人形)たちが勢ぞろいした店を見つけた。そしてその先を歩くと同じような店がまたある。道の反対側にもそうしたフィギアや模型をディスプレイしたショップが目立つ。まだ午前中なので店はあいておらず中には入れなかったが妙な気分だった。ここはパリの秋葉原か。東大の周辺にこんな店が立ち並んでいるのだろうか。まあ客はソルボンヌの学生に限ったわけではないだろうし、雀荘が軒を連ねるよりはましかもしれない。パリにメイド喫茶や耳掃除やさんなどが登場する日も遠くはなさそうである。しばらく歩くと道路の反対側にピンク色の看板にLittle Tokyoという文字が描かれた異様な店があったのでカメラを向けた。すると店の前を通ろうとしていたと思われる太った中年のフランス人おじさんが、私が撮影しようとしていることに気づき立ち止まってくれたようである。私は急いでシャッターを切ると、そのおじさん再び歩き出し店のドアに鍵を差し込んだのである。どうやら店主だったようだ。
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私たちは周辺をひとまわりした後、そのLittle Tokyoに立ち寄ることにした。開店準備はすでに終えたようで店内には灯りもつき、店主はドア横のレジ前でくつろいでいる。その店は本屋さんだったが、なんと日本のアニメ本ばかりをそろえる専門店。日本のマンガ本なのだが開いてみるとフランス語で書かれている。日本の文化、それもアニメやゲーム、漫画などを紹介するジャパンエキスポがパリで数年前から開かれ人気を集めていることは知っていたが、この店主らしきおじさんも日本の漫画を売ることで美味しい生活ができているのだろう。そのためにメタボになってしまったのかもしれないが。
マンガ本の価格は日本円で1000円前後。日本のマンガ本が今現在いくらするのか知らないが妥当な値段ではなかろうか。日本の若者の活字離れが進み本の売れ行きが悪いという日本出版業界にとって、海外への版権譲渡事業は思わぬ追い風になっているに違いない。

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第141話 セキュリティゼロの一時預かり [パリ]

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エレベーターは混んでいたがフロントに列はなかった。本当は午後タクシーで空港へ向かう時間まで部屋を確保しておき、最後のパリ散策後に一旦部屋に戻り、シャワーを浴びてパリの垢を落としてからさっぱりとした気分で帰国の途に着こうと考えていた。だがチェックイン後、チェックアウトを今日の午後3時ごろまで延長したら追加でいくら払わなければならないか尋ねたらしっかり半日分いただくといわれそれを断念したのである。
支払いを済ませると空港までのタクシーは必要ないかと尋ねられたので午後3時の手配をお願いした。あと何時間かのパリ散策、この大荷物を持ち歩くわけにはいかないので荷物を預って欲しいというとフロントマンは笑顔で頷いた。フロントで預ってもらい、引取りの際必要となる番号札を受け取り、フロント裏にでも置いて保管してくれるのかと思ったら、パリの社会はそんなに甘くない。預り場所を指示されたのである。そこは階段裏の小さな小部屋、掃除道具をいれるような薄暗い部屋だった。すでにいくつかのスーツケースが置かれている。私は空いているスペースにスーツケースをおさめ、折れないように杖をその隙間に差し入れた。コンピュータが入ったバッグもあるが、これをもって歩くわけにはいかないので、貴重品だけを別の手提げバッグに入れ替え、スーツケースの横に置いた。私がどんなスーツケースを持っていたかなどフロントの人たちが覚えているわけがない。別の宿泊者が私の汚れた洗濯物が詰め込まれたスーツケースや、誰も土産物としては購入しないであろうと思われる杖を持ち去っても絶対にわからないだろう。チェックアウトしたらあとの責任は負いませんよということなのだろう。
フロントマンが闇組織とつながっていて、裕福な日本人ツアー客の荷物がある、午前中に盗みにこいと今頃連絡しているかもしれない。私たちは午後ホテルに戻ってきたときにスーツケースや杖が残っていることを祈りつつホテルをでた。

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