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最終話 ワイパーを何度も作動させる自分 [帰国]

車を2週間駐車させていたホテルのラウンジで私はミルクティー、奥さんはコーヒーを飲み、お互い無事帰国を報告すべき相手にメイルを打ち電話をかけた。ラウンジの大きな窓からは、空港を飛び立ち日本を離れていく機影が時折見える。私たちはあの飛行機に今度はいつ搭乗できるのだろうか。
ホテルの屋外駐車場に放置されていた愛車は無事だった。幸い鳥の用足しの標的にもなっていない。フランスで何日間か、左ハンドルの車に乗っていたので、運転席に座ってもなにか妙な気がする。何年ぶりに右ハンドルの車を操るわけでもないのに、そう感じる自分を我ながら嫌味な男だと思う。しかし実際走って見ると、ウインカーをだしたつもりなのにワイパーを作動させてしまう。国内で輸入車を初めて操ったときと同じだ。国産車は右側にウインカーのバーあり、左側にはだいたいの車はライトやワイパーを作動させるバーが設置されている。だが外国の車は逆のケースが多かった。日本と同じ左側通行のイギリスでも、右側通行のフランスでもウインカーのバーは左側にあった。それに慣れてしまった私は誤作動を繰り返したのである。ほんの5日間、千キロ強の左ハンドルとのつきあいだったのに、自分の順応性に感嘆する。
出発前日同様、東関道から湾岸を通り、お台場の観覧車を眺めつつ我が家をめざそうとしたが、習志野あたりから渋滞中との掲示板を目にし、私はかなりの遠回りではあるが、木更津経由アクアラインを利用するルートを選択した。渋滞にはまると居眠りもしくは爆睡する可能性もなくはない。それに平日のアクアラインなら事故でもない限り渋滞はありえないし、所要時間は変わらないだろうと判断したのである。
奥さんは海外同様、車に乗った途端眠りについた。アクアラインを通って帰宅しようとしていることなど知る由もない。時折、中央分離帯の植栽の隙間から洩れる対向車線を走るヘッドライトが奥さんの爆睡顔を照らす。新婚旅行、そして今回の銀婚旅行で訪れたヨーロッパへ、金婚旅行でもいけるだろうか。そのときはできれば自分でハンドルを握ることなくヨーロッパ内を旅したい。運転は専属ショーファーにお任せして、私は後部座席でくつろぎ車窓を流れるのどかな田園風景をボーっと眺めていたいものだ。奥さんは何年たっても例によって寝ているだけだろうが。もっとも金婚旅行でもハンドルを握れるほど体も意識もしっかりしているならば、それはそれで幸せなのかもしれないが。
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私の予測通り、房総半島を木更津に向かって南下する高速道路は走行している車も少なく快調そのもの。すでに陽は沈み、前後に車がない恐怖に慄きながら私はアクセルを踏み続けた。時折、前を走行するトラックを抜き去る際、車線変更のためにワイパーを作動させながら。

 “The End” “Fin” “つづかない” 「完」

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第152話 車内でアメイジングを連発する変な外人 [帰国]

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彼は機内で私たちの前に座っていた夫婦ものの片割れのオヤジである。オヤジが何度も席を立ったり座ったりして、その都度、後席にいた私たちにもシートの揺れる衝撃があり不愉快な思いをしていたので顔を覚えてしまったのだ。このオヤジ、パリ出発直後は元気そのものだったが、無料だと思って意地汚くやたらとアルコールを摂取したせいだろう。成田到着前に吐いていた。用意された袋から汚物が少し外れて自分の衣類を汚したようで、CAがきてその始末をしていたのである。CAとは大変な職業だ。CAに憧れる女児や女子は彼女たちの職務を知らなさすぎる。きっと相当気持ちが悪かったのだろうこのオヤジ、日本到着後、荷物引取り所内の柱によりかかり、ターンテーブルにのってくる自分たちの重たいスーツケース見つけては、奥さんにピックアップを偉そうに指示していたのである。よくこんなオヤジのいうことをきけるものだと私の奥さんは感心していた。オヤジたちは国内線を乗り継いでどこに帰るのだろうか。明日の今頃は「時差ぼけで困っちゃうぜ」などと村人たちに得意げに話しているのだろうか。
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しばらくするとホテルに向かうシャトルバスが到着した。これから出発する人たちがバスからおりてスーツケースをバスの下部にある収納庫から取り出し出発ロビー方面に向かう。私も彼らのあとに続きたかったがそうもいかない。空いたスペースに私たちのスーツケースが収納され、私たちもバスに乗り込む。数人降りたがバスの座席は結構埋まっていた。私たちのいる第1ターミナルへくる前に、第2ターミナルを経由しているので、そこから乗車したホテル利用者もいるのだろう。私たちの斜め前の席にはアメリカ人もしくはカナダ人と思われる夫婦ものが二組座っていた。彼らは行動をともにしているらしい。出張先に奥さんを同伴してきたのか、亭主は二人ともスーツにネクタイ姿である。その内の一人が座席の前に供えられたカップホルダーの存在に気づき、それをいじりだした。ボトルを置くときはこうなって、不要になったらこうやって折りたためる優れものだと同行者に説明しているようで、やたらと「アメイジング」「アメイジング」と連発していた。つまらないもので感心する輩たちである。しかし、私たちが日常目にしていてつまらないと思っているものでも、アメリカ人からすると優れもので感動するものがまだまだあるのかもしれない。ビジネスチャンスはまだまだいっぱいあるということだろうか。

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第151話 帰国 2週間ぶりの日本 [帰国]

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帰国便も半年以上前に予約したおかげで、最後部に近い二人がけのシートを確保できていた。機体が尾翼に向かうにしたがい緩やかなカーブを描いているために、機体後方部の座席は窓側にも足を放り出すに十分なスペースが確保されている。しかし私たちの座席の後ろにいた乗客が窓側の空いたスペースに靴を脱いた足を伸ばしてきた。その男の靴下が異様に臭い。旅行中一度も履き替えていないのではないかと思えるぐらいの異臭である。私の非ではない。私は耐え切れず奥さんと席を替わってもらった。どんなに臭くても奥さんの睡魔を妨げることはなかったようである。帰国便では座席前に備えられた小さな画面で映画を観ることもなく、食事の時間にはおきて、あとはひたすら私も眠り続けた。空港からの帰路のことを考え、私は食事時間でのワイン等アルコールは控えたが、奥さんは往路同様食事のたびにスパークリングやらワインをオーダーしていた。別に悪臭から逃れるためではなかったと思う。飲みたいから飲んでいたに違いない。それになんといっても無料なのだから。
定刻にジャンボ機は成田空港に到着した。時間がかかるのではないかと思っていた入国審査も到着便が少ない時間帯だったのかスムースに通過。心配していたスーツケースも、杖の入った長細い段ボールもターンテーブルに載って私たちの目の前に出現。無事に受け取ることができた。税関で荷物のチェックをされることもなく、私たちは無事日本に入国、帰国できたのである。でも安心してはいけない。旅は家に無事に着いて初めて完結する。帰路の運転は、ヨーロッパ国内以上に神経を使わなければと私は気を引き締めた。
空港近くのホテルに車を置いてある私たちは、ホテルと空港を結ぶシャトルバスを待つことに。頻繁に行き来しているわけではないので、バスの到着まで30分近くある。成田と日本国内各地を結ぶ国内線のチェックインカウンターのそばで私たちは時間をつぶすことにした。そこがバス乗り場に最も近く、搭乗客がチェックインまでくつろげるチェアーがたくさんあったからである。私たちがしばし休息のための陣地を確保すると見覚えのあるオヤジが私たちの横に立った。

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第150話 翼よ あれがパリの灯だ [パリ]

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長い長い動く歩道を何本か乗り継ぎ、出発便の待つサテライトに到着した。出国検査場は大勢の中高生と思われる学生たちで大騒ぎになっていた。もちろん日本人ではない。中国人でもない。彼らが同じフライトでないことを願うしかなかった。
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騒々しい検査場をでてようやく待合室に入る。帰国便はジャンボ機なので待合室も騒がしいかと思っていたら、まだ出発まで間があるせいか閑散としていた。大声もきこえてこない。日本人はマナーが良いのだ。大きな窓を外に目を向けると滑走路の端にタクシーからも見えた今まさに夕暮れのパリの空に向けて離陸の瞬間をむかえようとしているコンコルドのモニュメントも見える。全日空206便は午後8時発。午後7時をまわるとようやく陽が暮れ始めた。徐々に空が暗くなっていく。待合室もいつのまにか日本人で溢れていた。大半の人は表情が明るい。希望のブランド品を入手できた喜びか、憧れのエッフェル塔に登ったりモンサンミッシェルを訪れたりしたことで興奮しているのか。それとも帰国後のことを思いおこさないように、フランスで味わった楽しい気持ちを1分1秒でも長く維持させるためにあえて気分を高揚させているのかもしれない。少なくとも私のようにあと2日後のことを考えて暗い気持ちになっている日本人は多くは存在していないようだ。そんな明るい日本人の多い待合室にも日本に向かうため全日空便に搭乗する外国人はいる。彼らは日本人をみて日本語を間近にきいてどう思っていることだろう。日本人は騒がしい、声がでかい。耳障りであると思っているのかもしれない。日本を訪れるのが初めての外国人の中には、あと数時間後に間違いなくやってくるこうした黒髪の日本人ばかりの中での生活に慄き、大きな窓ガラスをぶち破って滑走路に飛び降り、命の限り走り続け家族や友人のいるパリの街に戻りたい衝動にかられている人もいるに違いないと私は思った。
定刻の午後8時少し前、機はサテライトを離れた。そして滑走路をしばらく走行した後、エンジンパワー全開にしてフランスの地を飛び立ったのである。すぐに眼下に宝石をちりばめた様に本当に美しいパリの灯が見えてきた。機はパリ上空を通過しながら上昇を続ける。日本に向けての長い飛行が始まった。私たちが銀婚旅行で得たたくさんの思い出を乗せて。思い出は間違いなく乗っている。でも思い出より大切なお土産がたくさん詰まったスーツケースがこの機に積まれたかどうかは不明だ。祈るよりほかにない。

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第149話 中国人が席巻する免税店 [パリ]

出発までまだまだ時間はあったが私たちは出国審査を行ないターミナル内で待つことにした。もうこれでホテルに忘れ物をしてきたことに気づいても戻ることはできない。私たちはすでに出国したことになるのだから。
30数年前に感動した宇宙ステーションのような動く歩道はいまだ健在。シャルルドゴール空港を利用するのが初めての奥さんは異次元の世界に来た人のようにキョロキョロしていた。どこかのんびり休めるカフェのような店はないかと歩いてみたがあっという間に行き止まりに。新しいターミナル2はデパートの特選フロアのような雰囲気なのだろうが、ターミナル1はなんとも寂しい、飲食店はもちろんのこと免税店の数も成田にも遠く及ばない。免税店などのショップが並ぶフロアを歩いて気がついたが、いたるところで中国語が聞こえてくる。ノートルダム寺院やシャンゼリゼでも中国人団体客に遭遇したことから推測するに、中国からパリを訪れる観光客の数は日本からの観光客をすでに大幅に上回っているのではなかろうか。そして彼らの声は異様にでかい。時に耳障りなほどである。中国語の発声法からそうなるのか、はたまた存在をアピールするためにそうなるのかはわからない。農協ツアーが話題となっていた時代の日本人も今の中国人観光客のようだったのだろうか。
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小銭を使い切るために私たちは免税店に入った。かつての海外土産の定番、ウイスキーや煙草もあるが、さすがフランス、ワインの品数も圧倒的に多い。棚ごとに生産地の異なるワインが陳列されている。私でも聞きなれた地名のワインがほとんどだ。奥に入り込むと温度湿度管理されたセラーがあり高額ワインが収められていた。そしてそこには中国人の先客が。なんとそのお相手をしている販売員は中国語を話していた。彼女の顔を見て納得。彼女はフランス人ではなく中国人だったのである。よほどここで高額ワインを購入していく中国人が多いのだろう。フェブレイさんが中国はこれから大変有望な市場になるといっていたことは間違いなさそうである。
免税店内を散策しているとニュイサンジョルジュで購入したマスタードや、オンフルールで買ったパテの缶詰類もある。ここで買えばよかったと思っても後の祭りだ。値段は多少高くても、免税店ではなく現地で買い、現地の粗末な袋に入っていることにお土産としての大きな意義があるのである。私は自分自身を納得させた。免税店で土産用の煙草やチョコレートなどを買い財布の中の小銭もあとほんの僅か。最後の最後に残った小銭をにぎりしめて立ち飲みスタンドに行き飲み物をオーダーした。フランスでの最後の晩餐、午餐ならぬ最後のティータイムである。あとは帰国便が待つサテライトへ移動し手荷物検査を受けるだけだ。

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第148話 土産の杖を梱包してくれるスタッフ [パリ]

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私たちは幸いにも追加料金の徴収は免れたようである。でも規定重量をオーバーしていることは明らかだ。とすると航空会社がサービスしてくれたのか、それとも女性スタッフには会社の置かれた厳しい状況など関係ないから細かいことは気にしないことにしているのか、追加料金を要求してからの私とのやりとりが面倒くさいのでフリーパスにしてくれたのかもしれない。とにかくスーツケースはこれで航空会社の手に渡ってしまった。もう手出しはできない。あとはスーツケースが無事に私たちと同じ便に積み込まれ成田空港で無事私たちの手元にもどってくることを祈るしかないのだ。
でもまだ問題は全て解決してはいない。最大の問題は私が手に持っている土産としてヴェズレーで購入した杖だ。杖の先は長丁場の巡礼にも耐えられるよう鋭利な金属が取り付けられている。私自身でその部分に紙を幾重にも巻き、他の人に危害を加えることがないようにはしてあるが、テロリストの手にかかれば立派な武器になることは明らか。「これは機内には持ち込めませんよね」と尋ねると「ええ」といって、彼女は私たちの後方に立っていた黒人男性スタッフを呼んだ。その杖を渡すと男性スタッフはすぐに理解したようで、カウンター内からダンボールを引っ張り出し、長方形のカートンを組み立て、杖をその中に入れたのである。もちろん杖を押し込んだだけでは中で杖が転がってしまうので、動かないように新聞紙などを丸めて押し込んだ。パターやゴルフクラブなどを買って帰る乗客のためにこうしたサイズのカートンがちゃんと用意されているのだろう。日本の航空会社ならではの肌理の細かさに感心する。女性スタッフが梱包の出来栄えをチェックしOKがでると男性スタッフはカウンターからまた離れていった。見事な分業システムである。女性スタッフによって到着地が印字されたシールを段ボールに貼られ、箱詰めされた杖はスーツケース同様コンベアに載りバックヤードに消えていった。成田で受け取って開けてみたらポッキリ折れていたなどということがないよう私は神に再度祈った。
しかし梱包してくれたあの男性職員、ブランド物でもない、ただの木の杖を梱包したのは初めてだったのではないだろうか。日本人は妙なものを買うと、今夜あたり家族に話すのかもしれない。

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第147話 重量オーバー?冷や冷やのチェックイン [パリ]

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シャルルドゴール空港は進化を続けている。この空港が開港したのは1974年3月(写真参照)で、私が初めてフランスを訪れたとき乗っていた便は、シャルルドゴール空港に着陸した日航機としては2番目だった。私の対面に座っていたスチュワーデスたちも着陸して滑走路を走っている間ずっとシートから身をのりだすように窓から外の景色を珍しそうに眺めていた記憶がある。飛行機を降りてから税関などに向かうときも、動く歩道がアトリウムの中で美しく交差し、まるで宇宙ステーションの中にいるようだった。しかし30年以上の時を経て、ターミナル2も完成。私が30数年前に降りたち、そして今日帰国の途につくためにきているターミナル1は、老朽化のためかあちこちで修復工事が行なわれており、斬新というイメージは全く感じられない。
各航空会社のチェックインカウンターは円形の建物の曲線にそって配されており、全日空のカウンターは工事中でそこより先にはいけませんよという一番端にあった。出発まで3時間あまりあるためだろうか、チェックインを待つ人もいない。ただカウンターから少し離れたところに団体旅行と思われる日本人の集団が2,3グループ見受けられた。
カウンターで手続きをしてくれたのは日本人女性。日本から持ち込んだ大型書籍などの土産はなくなってはいたが、その分、日本に持ち帰るお土産がかなりあったので、スーツケースの重量オーバーが心配だった。燃料の高騰により、機体の塗装面積を減少させたり、機内食の食器類まで軽量化に取り組んだりと各航空会社とも燃費向上に向けた対策を講じているご時世。1キロでもオーバーしていたら規定の追加料金を払わなくてはならないものと覚悟していた。二人でスーツケース2個。40キロが限度だが、ひょっとすると50キロを超過しているのではというのが私の予測だった。スーツケースを恐る恐るカウンター脇の計量器に載せる。一瞬重量が表示されたが、女性スタッフは何ごともなかったかのようにスーツケースの取っ手の部分に行き先を表示したシールをまきつけ、そのまま計量器と連なった終始動いているコンベアに移動させた。スーツケースはすぐに私たちの視界から消えたのである。

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第146話 シャルルドゴール空港到着 [パリ]

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高速に乗ると車窓からは大きな工場や倉庫がみえはじめる。それが終わると郊外の田園風景が続く。ホテルをでてから1時間あまり、車中から超音速旅客機コンコルドが見えた。しかしコンコルドはすでにお役御免、飛行してはいないはずなのだが。それは空港敷地内に今にも飛び立つ感じでディスプレイされた実物機だった。
タクシーはシャルルドゴール空港に到着した。ドゴール空港にもターミナルビルはたくさんある。降りる所を間違えれば、また時間をかけて移動しなくてはならないだろう。しかし事前に全日空機の発着するターミナルを伝えてあるので間違えることはないはずだ。車を出発ロビー入口のまん前に車をとめてくれるのかと思っていたが、世の中そうは甘くない。リヨンのタクシー事情同様、ロビー前に横付けできるのはメーターとルーフにサインのついた正規のタクシーのみということだろう。私たちを乗せたタクシーは、出発ロビー入口前にある片側4車線はある道路の1本外側の道路に駐車しなければならないようだ。まあ道路を1本渡れば正面入口になるわけだし、雨が降ったとしても屋根はあるので濡れることもない。コストセーブの犠牲としては問題にはならない範囲だと自分を納得させた。私はドライバーにキャッシュで60ユーロを支払った。これで大型紙幣はきれいさっぱりなくなったことになる。相手が悪質ドライバーで、あと10ユーロよこせといわれたらどうしようと怯えていたが、ホテルと契約しているタクシーだけに、チップ込み、規定通りの料金で解放してくれたのである。
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私たちは二つのスーツケースを引っ張り、空いた手でバッグと杖を持ち、出発ロビー口に向かった。おフランスの外気を感じるのもこれが最後かと思うと名残惜しい。帰国便が墜落もしくはハイジャックでもされない限り48時間後には私は間違いなく日本のオフィスにいる。そんなことは考えたくなったが時々脳裏をかすめる。そのたびにスーツケースが重くなるような気がした。

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第145話 パリっぽくない音楽を聴きつつ空港へ [パリ]

ホテル階段下の倉庫のようなスペースに保管というか放置されていた私たちのスーツケースや土産物の杖はパリの闇組織に持ちさられることもなく無事発見された。まあ、その時点で当然中身まではチェックしてはいないが。
タクシーは予約していた時間ぴったりの3時半にホテル前に到着した。タクシーといってもルーフにオレンジ色に光るTAXIサインはない。もちろん提灯や貝殻のようなサインもない。しかし違法な白タクではなく認可された合法タクシー、ただし街を流して客を拾うことのできないタクシーなのだ。そのかわり通常のタクシーよりはお得な料金設定になっている。メーターはなく事前に乗車場所付近から空港までの料金が決められているのだ。
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日本からの賓客がパリを離れるというのに、ホテル正面玄関付近にいる大勢のソルボンヌの学生たちは全く私たちに関心を示さない。記念撮影や別れを惜しんでハグを求める女子大生もいない。当たり前の話しだが。車に乗り込むとアラブ系のドライバーなのか、車内にはパリに似つかわしくない音楽が流れ、ドライバーもそれにあわせて何かを口ずさんでいる。チグリス川ではなくセーヌ川に沿ってしばらく走ると、滞在中見たこともない近代的なビルが立ち並ぶエリアに入ってきた。といっても日本の都心のような高層ビルは全く存在しない。パリ市内からみたときでも景観を損ねることのないよう厳しい高さ制限があるのだろう。
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ホテルから市内を抜け空港に向かう高速道路に乗るまでは都心の首都高速のような渋滞に巻き込まれかなりの時間を要した。別に事故があったわけではない。夕暮れ近く、毎日発生している自然渋滞なのだろう。奥さんはアラブ系音楽を子守唄にホテルを出発した直後から得意の睡眠に入っている。夕暮れのパリの風景を脳裏に焼き付けようという気はさらさらないようだ。近いうちにまた来るからとその必要性を感じていないのかもしれないが。

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第144話 パリ最後のランチはベトナム料理 [パリ]

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12年前出張で訪れた際に宿泊したのはルパブリックにあるホリーデーインだった。メトロをおりてルパブリック広場に立ってまずそのホテルを探した。さすが大手ホテルチェーン、今もしっかり営業を続けているようである。ホテル前には大型バスが停車しており市内観光をするのか、空港へ向かうのか、ホテルから出てくる団体客を待っている様子だ。
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睦美と合流した後、ルパブリック広場周辺の雑貨店、パン屋など、彼女を含め地元民が利用するいくつかの店を見て回る。雑貨店に置かれていた食器には買ってかえりたいものも何品かあったが、割れ物だし、それになんといってもすでに封印された私たちのスーツケースには全く余裕のスペースがないので諦めた。
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その後、一旦睦美のアパルトメントを訪れる。彼女はアパルトメントを借りているわけではない。なんと彼女所有の物件なのだ。日本で嫉妬深い日本人男性社員と競い合い稼ぎ出した蓄えを投入し手にいれたものだった。もちろん新築ではない。トイレの汚水がバスタブに逆流することもあるという中古物件ではあるが、パリ中心部といっても過言ではないエリアの不動産だ。帰国時売却しても大きな損失にはならないに違いない。
不動産王睦美に連れられて午餐場所へ。そこはベトナム料理店だった。ベトナムがフランス領だったことも影響してかパリにはベトナム料理店が結構多い。余談だが真面目で手先が日本人のように器用なベトナム人はパリでも多種業界で活躍しているようだ。かつて勤務していた毛髪関連産業の会社時代パリを訪れた際には植毛作業を手際よくこなすベトナム人にも会ったことがある。
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店で焼きそば、炒飯、フォーなどをつまみに昼間から3人でワインを1本空けた後、ホテルに空港までのタクシーが迎えに来る時間が迫ってきたのでお別れすることに。変な外国人に騙されない限り、睦美は間違いなく何年後かに保有しているアパルトメントを購入時よりも高額で売却しスーツケースに溢れるほどのユーロ紙幣を詰めて帰国するだろうから今生の別れというわけではない。滞在中のアテンドに感謝するとともに、渡したカルネ券から2枚をいただき私たちは再びメトロに乗ってホテルに向かった。

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