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第63話 バンパーはぶつけてナンボ フランス人化する私  [リヨン]

私はこの車は壊れているに違いないと思った。事務所にどなりこんでやろうかとも考えたが、その前に私のギアの入れ方が甘いのではないか、それとも操作が誤っているのではないかとも思い、奥さんに誰か車のわかりそうな人を駅前から連れてきて欲しいと無理難題を押し付けたのである。奥さんは何といえばいいのかなどとブツブツいいながら駅の方に向かって歩いていった。彼女がもどるまでの間も私は何度かチャレンジしていたのである。追突しているのと同じだから、当然そのたびに前の車は、少しづつではあるが前方に押し出されていたに違いない。外気は冷たいが私はあまりの暑さにジャケットも後方に脱ぎ捨てオペル相手に悪戦苦闘していたのである。何度もぶつけるうちに私はすっかりフランス人になっていた。前の車にぶつけても動揺はない。バンパーはぶつけるためのもの、そんな意識になっていたのである。
もっと若くて背が高くイケ面男を連れてくると思ったが、奥さんは意外と小柄なお兄さんと戻ってきた。何でも彼はタクシードライバーとか。駅前で客待ちする運転手さんに困っていることを伝えると、仲間の運転手さんから、お前の車は見ておいてあげるから行って助けてこいと送りだされたそうである。奥さんがそういっているのであって真実はわからない。まあプロだから問題を解決してくれるだろうと私は彼に身をゆだねた。
彼は運転席側のドアをあけ、私を運転席にすわらせたまま車内中央のギアを覗き込んだ。オペルは運転したことがないのでわからない。多分そういっていたのだろう。次に彼は車の外でしゃがみこみ、ギアを横から見た。するとあるものを発見したのか、シフトノブの下部を指差したのである。そこには小さなボタンがあった。これを押しながら図の位置にギアを移動させればバックギアに入るということなのか。すぐに私はボタンを押しながらギアを操作した。確かにこれまでにない感触でギアが入った。運転手さんが見守る中、私はエンジンを始動させバックを試みた。するとどうだろうオペルは見事に後方に移動し前の車から離れていったのである。私が車からおりて彼にお礼をいうと彼はニコニコしながら自分の車が停まる方向に歩いていった。小柄だと思った彼の背中が大きく見えたのは気のせいだろうか。
その後の彼の動向を私たちは知る由もない。彼の車が「車をみていてあげる」といった仲間のドライバーと親しいマフィアによって乗り逃げされ、その後海外もしくは国内中古車市場に転売、彼は車を持たないペーパータクシードライバーになってしまった可能性もある。せめて今日のランチ代ぐらいのチップをお礼として差し出すべきだったのではないかと後悔したが、彼から法外な損害賠償を求められる前にこのリヨンの街を立ち去ろうと私たちはニュイサンジョルジュに向けてそそくさと出発したのである。さらばリヨン! 開けたウインドウから入り込むリヨンの冷たい空気が冷や汗を流した後の私には心地よかった。
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第62話 前途多難な左ハンドルマニュアル車 [リヨン]

さあ準備万端、一路ニュイサンジョルジュに向けて出発である。今日の走行距離は200キロ程度、途中昼食のための休憩をとったとしても午後2時頃には到着すると見込んでいた。左ハンドルのマニュアル車を運転するのは私の記憶が正しければおそらく生まれて初めて。ライトやワイパーなどのスイッチ位置を確認し、スターターをまわしエンジンを始動させいざ出発。排ガス規制が日本より緩やかなのだろうか、小型車にしてはおなかに響くようなエンジン音が心地よい。
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シフトノブに記された図に従い、バックギアにいれようと私はニュートラル位置にあったシフトレバーを思いきり私の方に引き寄せ、次にそれを前方へ倒した。前には20センチの隙間もないほど接近して車が停まっていたが、幸い後方には車はいない。一旦バックして道路に出ようとしたのである。ロンドンでマニュアル車になれていてよかったと私は思った。クラッチを少しゆるめ、下り坂ということもあり同時に若干強めにアクセルを踏む。するとどうだろう私の予測に反して車はガックンと前方に進んだのである。私はあわててブレーキを踏んだ。と同時にエンジンもとまった。アクセルの踏み込みが弱くて車がバックすることなく下り坂を下りてしまったのだろうか。この時点で前の車との距離は10センチをきっていたはずだ。私はギアをニュートラルに戻し再度エンジンを始動させ、バックギアに入れた。今度はさらに慎重に、かつさきほどより強めにアクセルペダルを踏み込みだ。エンジンの回転があがりエンジン音も大きくなる。同時にクラッチペダルを踏む足を緩めていった。車はスーッとバックするはずだった。しかしまたしてもガックンと前進した。そしてこんどはゴツンという音も。前方の車のバンパーにぶつかったようである。
割れたプラスチック製のバンパー、さらにバンパーではショックが吸収されず、凹んだフロントグリルの映像が脳裏に浮かんだ。前の車と私のオペルのダメージを確認してもらおうと、私は奥さんに降車を命じた。車を降りて前方に立つ奥さんは手を左右に振っている。どうやら幸い両車ダメージはほとんどないらしい。私は三度トライすることにした。今度は前の車との隙間がないわけだから、逆に前の車を利用して容易に後方に下がれるだろうと判断したのである。今一度バックギアの位置を確認し、指定どおりの位置にギアをいれ、アクセルを今度は普通に踏み、同時にクラッチペダルを緩めていった。ところがである、またしても車は前方に進もうとしたのである。薄ら寒い10月のリヨン。だがこの時点で私の全身からは汗が吹き出ていた。その後何度か私は何度もギアがバックに入っていることを確認しリヨン駅からの出発を試みたのだが。

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第61話 レンタカーのバックギアが入らない [リヨン]

レンタカー事務所棟の正面玄関を入ると長い廊下が左右に伸びている。左に目をむけるとはるか遠方に駅構内のコンコースと思われる風景が見える。右手に目を転じるとその両側にレンタカー屋が軒を連ねているようだ。Hertzの事務所は容易に見つかった。カウンターは5人もすわればいっぱい。おばさん一人で対応している。先客がひとりおり、その人の手続終了を後方で待つ。先客がキーをうけとり事務所から出たので私たちはカウンターごしにすわり予約確認書をおばさんに手渡した。
ロンドン市内とは違い、Hertzの看板に偽りなし、最初にガソリンを購入したことにして満タンにして返却する必要がないようにするか否かの確認だけですぐにキーを差し出してきた。パリでの返却先の地図を渡してはくれなかったが。車はブルーのオペルだという。予約段階ではプジョー206となっていたが変更になったのだろうか。初めてフランス車のステアリングを握ることができると楽しみにしていたのだが仕方ない。車が駐車している場所も口頭での説明のみ。パリ方面に向かう高速の乗り口に不安があったので、駅構内をでて高速に入る道順を尋ねると、ようやく紙に簡単な略図をかいてくれた。とっても簡単だからというが、こっちは左ハンドルには慣れていないし、ましてマニュアル、簡単なわけがない。不安げな私たちは半ば強制的に別れを告げられ、スーツケースをひきずって外に出て駐車場所に向かった。
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事務所から指定されたレンタカーの駐車場所といわれるところまでは100メートルもなかった。レンタカー会社専用の駐車スペースがあるわけでもなく、駅前のゆるやかな下り坂の通りに停めてあるだけ。路駐である。まさかここが駐車場所かと疑問に思ったがとりあえず車を探すことにした。でも車がない。おばさんがいっていた青い車が見つからないのだ。ようやく3ドアハッチバックのオペルコルサを見つけたのだが濃紺である。でも他にオペルは見当たらない。受け取ったキーホルダーに記されたナンバープレートと濃紺のオペルのナンバーを照合するとなんと一致した。ものすごく大雑把に分類すればこれは確かに青といえるだろうが、ダークブルーとか利用者が容易にわかるいいかたがあると思うのだが。まあこれがフランス流なのだと納得して私たちは後部座席を倒しハッチバックを開けてスーツケースを積み込んだ。

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第60話 ホテルからリヨン・ペラーシュ駅までの黒人TAXI運転手 [リヨン]

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薄ら寒かったがべルクール広場に面するホテル玄関前に立ちフロントで呼んでもらったタクシーを待つ。ここからレンタカー事務所のある駅まではワンメーターでもいけるような距離、スーツケースさえなければ徒歩でもいいのだが、二つのスーツケースを引きずって石畳の道を歩くわけにはいかなかった。やがてプジョーのタクシーが到着、中からでてきた大きな黒人ドライバーに部屋番号を伝え、確かに私たちが彼のタクシーに乗るべき客なのかを確認する。私たちより先に外にでてタクシー待ちをしていた別の宿泊客は不満気だったが、部屋番号があっているのだから、このタクシーは私たちを迎えにきたことは間違いない。
要人の警護もできそうないかついドライバーの顔色が曇った。私たちのそばにある二つの大きなスーツケースが原因らしい。車はライトバンではなくセダンタイプのプジョー。バンタイプならふたつのスーツケースぐらいなんなく後部のカーゴスペースに納まるだろうが、セダンのトランクにそれほどの余裕がないであろうことは私にも想像がついた。案の定ドライバーは何度も入れては出し、入れては出しを繰り返す。他のタクシー待ちの宿泊客はその様子を嘲笑っているようにも見えた。試行錯誤の末二つのスーツケースをようやくトランクに収納。いざ駅に向かって出発である。しかし、この運転手は信頼できるのだろうか、料金は割高でもフランソワに頼んだほうがよかったかもしれないと後悔する。
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5分も車を走らせると駅周辺に到着した。構内にあるレンタカー事務所の近くまでと伝えていたが、運転手もその場所が定かでないらしい。ドライバーは周囲をキョロキョロしながら車をしばらく走らせているとようやく何社かのレンタカー会社の看板が表示された場所に到着した。ドライバーはホッとしたような笑みを浮かべ建物の方を指差してフランス語で話す。さすがの奥様も理解できない様子。「あのドアから中に入れば事務所があるはずだ」と運転手はいったと勝手に推測するしかない。荷物をおろし10ユーロ弱のところだったが、15ユーロを手わたすと日本語で「ありがとう」と満面の笑顔で受け取った。結構愛想のいい運転手さんではないか、人を風体で判断してはいけないことを再認識したのである。
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第59話 お昼だから昼休み 休館中の美術館に唖然 [リヨン]

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バスは旧市街にあるリヨン美術館、市庁舎、リヨンオペラ座等の前を巡りつつ走る。私たちの次の目的地はリヨン美術館だったので、そこまで徒歩圏内にある宮殿のような建物の旧証券取引所近くで下車した。 すでに昼に近いが空腹というわけではない。しかしトイレには行きたい。ところがだ、トイレが見つからない。様々な店舗が入る商業ビルにも潜入したがみあたらない。といって公衆トイレもないようである。私たちは間違いなくトイレのあるカフェに入店し、ちょっと早いランチをいただくことにした。
重要案件をクリアし、ついでにクロックムッシュを食べた私たちはリヨン美術館に向かった。12時をまわったばかりということもあり、ツアー客よりランチ場所を求めるビジネスマンやOLの姿が目立った。西洋の歴史的建造物に麻痺したのかもしれないが、証券取引所ほど華やかさ重厚感がない建物のリヨン美術館に到着した。フランスは英国のようにただではなく入場料が必要。しかしチケット売り場にいってびっくり。なんと休館中とのこと。その日が休館日だったということではない。お昼休みだから館内には入れませんよということなのだ。職員が交代で休みをとろうという知恵がないのか、融通が利かないのか、来館者を全く無視した対応に呆れるとともに驚かされる。私たちは周辺のチョコレートショップや土産物屋を冷やかしつつ午後の開館を待つことにした。
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美術鑑賞を終えた後はホテルのあるべルクール広場まで、バイク用ヘルメットだけを売る店、ミニカー専門店など興味ある店舗を覗きつつリヨンの街を歩いた。フランソワに予約してもらった今夜のディナー会場も通り道だったので下見。当然まだ店は営業してはいなかったが、なかなかお洒落な雰囲気の店である。ボったくられる心配もなさそうなので安心した。人間同様外見で判断してはいけないのだが。明日からの車での移動に備え詳細なフランスの道路地図帳を購入しようと結構大きな書店にも立ち寄った。ところが店に地図はおいていないとの冷たいお言葉。書店でも扱う書籍が細分化されているのだろうか。リヨン~ブルゴーニュ~ヴェズレイ~オンフルール~パリ、総走行距離1000km超のドライブは日本から持参した主要高速道しか記されていない日本全図に等しいフランス全図の地図に頼るしかない。迷子になっても心配することはない、道は必ずどこかに通じている、私は覚悟を決めざるを得なかった。だらだらと旧市街を散策した後、ルイ14世の待つべルクール広場に帰還。洗濯物が撤去されていないことを願いつつ広場を横切り夕食に備えてホテルの部屋で一休みすることにした。
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フランソワ手配のレストランというかビストロでは、ワインをこぼされることもなくデザートまでフルコースでいただいた。
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日本人には少々量的に多い気もしたが、失礼のないようもちろんすべて体内に収納、完食である。当然法外な請求書を提示されることもなかった。帰路は心地よい夜風を受けながらソーヌ川沿いを歩いてホテルに向かう。ライトアップされたリバーサイドの建物がゆらゆらと川面に浮かび、とても美しかった。明日からはマニュアル左ハンドル車でのロングドライブ。対岸のフルヴィエールの丘に建つノートルダム大聖堂に向かって明日のブルゴーニュまでの無事を祈った。
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第58話 二階バスに乗ってリヨン市街を巡る [リヨン]

ホテルの前のべルクール広場は犬の散歩をする人や、通勤のためか地下鉄の出入口に向かう人、そこから出てくる人が見うけられた。縦横200m x 300mの広い平坦な長方形の広場の中央にはルイ14世の騎馬像がある。どこか日本にとって近くてとっても遠い国、北朝鮮のニュース映像に映し出される広場に似ているような気がした。あちらの方がもっとだだっ広いのだろうが。広場からは昨夜フランソワに連れて行ってもらったフルヴィエールの丘、そこに建つ大聖堂も見ることができる。
私たちは夜ではなく昼間のリヨンの街も見渡してみたいと思い、再度フルヴィエールの丘に行くことにした。乗り降り自由で市内観光地を周遊しているバスのチケットを広場の脇で購入。バスの到着を待った。
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待つ間、アメリカから来たというご婦人に話しかけられ、どこそこへは必ず行きなさいと押し売りされる。何でも前日もこのバスを利用したらしい。何日かかけてリヨンを制覇するつもりなのだろうか。バスは都内や日本の観光地にも走っている二階建ての屋根なしバス。快晴ではなかったがオープンエア―は気持ちがいい。途中今も実際に使用されているという古代ローマ劇場を通る。離れた席に座っていた先ほどのご婦人はそこで下車。私たちにも見学を勧めたがこちらは彼女と異なり観光できるのは今日だけ、時間に余裕がないのでお断りした。フルヴィエールの丘から眺める日中のリヨンもまた美しかった。街全体が同じレンガ色の屋根で統一されているようで目に優しい。旧市街の間を流れるソーヌ川、さらにその先ローヌ川の向こう側の新市街に建つ高層の鉛筆ビルはひときわ目立つが、色調が同系色のためか違和感がさほどない。1年経ったら街の姿が変貌する東京とは全く異なり、リヨンに限らず厳しい規制の下、昔の街並みを維持している西洋の都市は本当に美しい。丘の上に建つノートルダム大聖堂に入り世界平和を祈願した後、私たちはふたたび周遊バスを待った。
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周遊バスは観光客向けだけあって、ソーヌ川をわたりシャッターチャンスを提供するとともに、だまし絵の描かれたビルなど観光客が喜びそうなスポットを経由してくれる。バスの各座席にはイヤホンがセットされており、バスの走る場所に応じて日本語でも観光案内を聴くことができるのだ。走行中、八百屋、といっても日本と違ってモダンな雰囲気だったが、その店先で果物を万引きする少年を目撃。少年のそばには歩行者も何人かいて彼らも気づいていたようだが誰も彼を追いかけることはなかった。バスの中から私が「万引き―」と叫んでもみてもフランス人には理解できないだろうし、私たちの乗るバスは一瞬でその場を通りすぎてしまったので旅の思い出としてとどめることにした。

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第57話 ワタシが美食の街リヨンを訪れた理由 [リヨン]

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ところでフランス最初の目的地がなぜリヨンになったのか。母方の祖母がリヨン出身だったからというわけではない。永井荷風の下宿先をどうしても見たかったというわけでもない。理由はブルゴーニュに行くため。リヨンは着地点にすぎなかったのだ。ブルゴーニュのニュイサンジョルジュという村に、かつて私が勤めていたワイン輸入会社と取り引きしていたドメーヌ(自社畑を有したワイン生産者)がある。私はそこの社長が何度か来日した際には鎌倉を案内するなど行動を共にしていた。その輸入会社を退職した後も私のことを忘れさせまいと、毎年彼にバースデーカード、クリスマスカードをせっせと送り続けていたのである。今回銀婚旅行の話が持ち上がった際には真っ先に彼にフランスにも行くのでぜひ貴社を見学したいとメイルを送ったところ、長年のカード送付が功を奏したのか彼は快諾してくれたのだ。まあ、一般的にそれは困るとは言わないだろうが。さらに滞在中は世界中から彼のドメーヌを訪問するVIP用に建てたアパルトメントを使いなさいといってくれたのである。2日分の宿泊費が浮くのでもちろんこちらがその提案を快諾したことはいうまでもない。
当初フランス滞在初日はスイス国境に近いアヌシーにするつもりだった。フランスでも人気上昇中のアヌシー湖畔で自然を満喫した後に車でブルゴーニュへ移動する予定だったのだが、アヌシーに空路入るにはスイスのジュネーブ空港が最も近い。しかし、スイスでは日本の国際免許証が通用しないとの情報(諸説あり真偽はいまだ不透明)があり、ジュネーブではなくリヨンでレンタカーを借りブルゴーニュに行くことになったのだ。リヨン経由を決定した後に毎年12月に開催されるリヨンの光の祭典を知り、見てみたいと思ったものの、1年前でも宿泊先の確保は困難といわれている祭典だからその時点で当然ホテルの予約も取れない。来年以降に銀婚旅行を伸ばそうとも思わなかったし、12月に会社を長期間留守にするわけにもいかないので老後の楽しみにしようと諦めたのだが。
滞在2日目は、フランソアが予約してくれた夕食のレストラン以外予定はない。行き当たりばったり、しいていえばリヨン美術館に行ってみたいということぐらいだった。階下のレストランで朝食を済ませ部屋に戻ってからは昨夜入浴時に洗った後、日本から持参した洗濯ロープに吊るしていたバスルーム内の洗濯物を洗濯ロープごと陽のあたる窓際に移動した。室内とはいえベルクール広場の一角に建つクラシカルな建造物のホテルである、“ホテルの窓越しに洗濯物”“美に対する意識の欠落した東洋人の非常識な行動”などとニュースになって非難されないか心配ではあったが。

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第56話 路上で夕食 コルクがあけられずワインをこぼす店員 [リヨン]

一休みした後に部屋をでてディナーにありつくことにした。フランソワに教えてもらった通りを目指す。振り返ると私たちの宿泊するル・ロワイアルが美しくライトアップされている。各窓に備え付けられたライトが建物を隅々まで照らしており、漆黒のリヨンの街に浮かんでいるようであった。レストランが立ち並ぶ通りは本当にホテルの眼と鼻の先にあった。幅数メートルの通りの両側にレストランが連なる。レストランといっても身構えるような日本のフランス料理店ではない。店の前にはたくさんのテーブルが並び、お客さんが窮屈そうにナイフフォークを操りワイングラスを手にし、時折通り全体に響く歓声があがるようなビストロ、カフェテラスのような店である。平日の午後9時過ぎだが通りは結構人通りもある。日本では夕食後の寛ぎタイムだが、欧州では夕食時間のピークなのかもしれない。どこに入っても大差はなさそうだが、あまり空いている店には入りたくないのでそこそこ店の外の席が埋まっている店を選んで入店した。
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入店といってもドアを開けて入るわけでもない。屋外のテーブルを指差し、ここに座ってもいいと店の人に尋ねるだけだ。両親とも白人ではないとわかる女性のギャルソン(ギャルソンは男の場合で、女性の場合はセルヴーズというようですが)が私たちを接客してくれることになった。ワインリストとメニューをもらう。とりあえずビールではなく、せっかくブルゴーニュ近くまできているのだから地元ローヌ県のワイン、コートドローヌの赤、そして炭酸抜きの無料ではないただの水をオーダーする。地元とはいっても日本のレストランで同じワインを頼んだときと比べて段違いに安いという気はしなかった。ここまではワインの名前をいうだけだから私でもできる。ソムリエの役割を終えた私は今夜のメインディッシュを選択する。それが何なのかわからないものは仏文科卒の奥さんに尋ねる。メニューを手にあれこれ思案しているとギャルソンがワイングラスとボトルを持ってやってきた。これでいいかと手にしたボトルのエチケット(ラベル)を見せるので、私がうなづくと彼女は開栓作業に入る。ソムリエナイフを手にはしているのだが心もとない。私の方が絶対に上手く開けられると確信した。なかなか開かない。体格の少々良いギャルソン、力づくであけようとしたのがいけなかった。勢いよくコルクが抜けてしまい、中のワインが少々というには語弊があるような量がテーブルにこぼれでてしまった。困ったような顔をするギャルソン。しかし新しいボトルを持ってくる気配はない。一流レストランならともかく町の居酒屋みたいなものだ。文句をいっても気分が悪い。奥さんだってフランス語では嫌味のひとつもいえないだろう。気にしないでというようなことを奥さんはいったのだと思う。ギャルソンは笑顔でグラスにワインを注ぎだした。当のギャルソンからパルドン(ごめんなさい)という言葉が発せられることはなかった。謝ったら負け。文化の違いをまたひとつ学習した気がした。その夜は離日前泊の成田空港近くのホテル以来、足を伸ばせるバスタブで疲れを癒した後に就寝した。

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第55話 夜の街リヨン ブルーライトリヨン [リヨン]

私たちは一時リヨンの光の祭典にあわせて旅行をしようかとも思った。毎年12月初旬に行われるその祭りの晩にはリヨン市内の照明が消され、家々の窓際に置かれた蝋燭だけがともり、それはそれは幻想的な雰囲気になるとのこと。その光景を見たかったが、12月は日本も師走で繁忙期。光の祭典見物はリタイヤ後のお楽しみにすることにしたのだ。この丘の上から光の祭典を見たならどんなに感動することだろう。蝋燭でない街の灯りだけでこれだけ美しいのだから。
フルヴィエールの丘を離れた頃には8時を過ぎていた。チェックインし後に街にでても食べるところがあるのか不安になる。フランソワに尋ねるとホテルのすぐそばにレストラン街があるという。まだまだディナータイムは始まったばかりだから問題ないとの返事だった。さらにフランソワが明日の夕食は予定があるかというので、何もないと答えると、旧市街に良いレストランがあるので予約しておこうかといわれた。彼が市内のボったくりレストランと契約し客を送り込むたびにコミッションをいただく悪徳ドライバーにも見えないし、三ツ星レストランポールボキューズ本店に予約を入れているわけでもない。別にここで食べようという予定もあてもないので7時に頼むとお願いすると、フランソワの表情が曇った。7時ではまだ店は準備中だというのである。結局私たちは開店間際の7時半でお願いすることにした。日本と時間の感覚がおおいに異なることを学習しなくてはいけない。
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フルヴィエールの丘を出発してから10分ぐらいでホテルに到着。石造りでいかにもヨーロッパのホテルという外観だった。新市街のモダンなホテルに宿泊するより遥かに良い選択だとフランソワもいっていた。フランソワは約束通り予約時以上の料金を請求してこない。私たちはリヨンのナイトツアーを楽しんだ分だけ得したのである。スーツケースをロビーまで運んでくれたフランソワとはここでお別れ。二度と会うことはないかもしれないが、再度リヨンにくることがあったらそのときもフランソワに予約を入れようと私は思った。築100年は経ていると思われるホテル・ル・ロワイアル、平たく言えばル・ローヤルだが、館内は手入れが行き届いているようで気持ちが良い。エレベーターこそ後付のためだろうか小さめだが廊下も広いし天井も昔の建築物らしく高く気持ちが大きくなる気がした。廊下の両脇には額装されたエルメスのスカーフが飾られている。昔ながらのキーを使って大きなドアを開けて部屋に入る。私たちの部屋はベルクール広場に面していた。窓から顔をだすとさっきまでいたフルヴィエールの丘が見える。
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室内の壁をはじめベッドカバーにいたるまで赤を基調にしているのだが、落ち着かないという感じが全くない。安らぎさえ感じるぐらいだ。ロンドンやボートンオンザウオーターの宿に比べて部屋も広い。バスとトイレは別々にある。さらに何をおくのだろうかというようなシングルベッドがひとつ入りそうなクローゼットまであった。昔の人は馬車一杯にいくつものスーツケースを載せて旅をしていたのだろうか。

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第54話 おわびのしるし 夜のリヨン案内 [リヨン]

ちょうど15分ぐらいした頃、舗装されていない道路を軽い砂埃をたてながら黒いジャケット姿の背が高く細身の男が走ってくる。フランソワだった。彼はすぐに私たちのことを彼が忘れた顧客であると理解したようである。当然だ、到着ロビー前に立っているのは私たちだけだったから。一般のタクシーは出発ターミナル前の道路に入れるが、個人タクシーはターミナル内への進入を許されてはいないらしく、彼の車はターミナルビルから少し離れた場所に駐車されているらしい。その駐車場所に向けて空港内を移動する間、彼は私たちの今後のスケジュールなどを尋ねてきたが、会話の合間にも何度か今日の不手際を詫びる言葉をはさんでいた。そんな彼の態度から駐車場所に着く頃には私たちの彼に対する怒りは消えていたのである。
彼の車はプジョーやシトロエン、ルノーといったフランス車ではなく、なんとスウェーデン車ボルボのワゴンだった。スーツケースを積み込んだ後、私は当たり前のように奥さんとともに後部座席に乗り込んだのだが、彼は助手席に座ったらどうかとすすめる。文化の違いなのだろうか。前の方が広いというのだが、自家用車ならともかく定員いっぱいでもないのに助手席に座ることに抵抗があったので丁重にお断りした。なぜフランス車にしないのかと尋ねるとボルボは頑丈だからという。本当はレクサスが欲しかったが高くて手がでなかったそうである。折角フランス車に乗れると思っていた私はがっかりしたが。
空港からリヨン市内までは30分もかからなかった。途中奥さんに折角フランスに上陸したのだからフランス語を使ってみたらというと、フランソワにフランス語で話しかけた。すると、彼は驚いたようにフランス語が話せるのかという。話せるから話しているのだ。当然社交辞令だろうが、私が奥さんのフランス語はどうかと尋ねると「上手い」という。雇ってくれるかというと「もちろん」と答えが返ってきた。その言葉をきいて、これでフランス滞在中、英語の通じないド田舎に紛れ込んでもなんとかなるだろうと私は安堵したのである。
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市内に到着した頃には陽が完全に沈んでしまっていたため黄昏をローヌ川、ソーヌ川を見ることはできなかった。しかし空港に私たちを待たせたことを悪く思ったのか、フランソワが料金は予約時のままでいいのでリヨンの夜景を見せてくれるという。どこかに拉致監禁させられる心配もなさそうだったので私たちは彼の提案を受け入れた。車は人通りもまばらな旧市街を通り、急勾配の狭い道を走り、旧市街の背後にある丘を上っていく。やがて駐車場に到着。そこはリヨンの観光スポットのひとつフルヴィエールの丘にあるノートルダム聖堂だった。車を降りフランソワの後を着いていくと目の前にはリヨンの夜景が拡がっていた。旧市街、新市街が一望できる。オレンジ色の灯りだけがきらめく美しい光景である。新市街にある唯一の高層ビル、えんぴつビルとも称されるクレディリヨネビルがひときわ目立つ。私たちの宿泊するベルクール広場はあの辺りだと教えてくれる。この夜景を見ようと思ったら、ホテルからタクシーかバスでこなくてはならない。料金もかさむ。しかし今宵はサービスだ。フランソワ、予約を忘れてくれて、迎えが遅れてくれてありがとうと私たちは言いたかった。

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