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第4話 ANA201便機内にて [往路]

12時前に日本を発った飛行機は、12時間半後にロンドンに到着する予定だ。日本時間でいえば26日の午前0時、現地時間ではまだ25日の午後4時ということになる。それからホテルにチェックインし、その後ロンドンのフライデーナイトを楽しみ、夕食をとり、眠りにつく頃には現地でも26日になっているだろう。つまりあと18時間あまりたたないとベッドにもぐりこめない。日本時間でいうと明日の朝6時までは横になれないことになる。とにかく飛行機の中では眠れるときに眠るよう努力しなければならない。食事だけはパスされないようにCAの動きには細心の注意を払いながら。
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機内で観ることができる映画は路線によって、さらに月毎に異なる。私たちの利用したロンドン便での機内では、その月、CARS、セックスインザシティー、といった映画が選択できた。しかし用意された全てを鑑賞することは時間的に不可能。結局私は食事と睡眠の合間に、CARSと日本映画で三谷幸喜監督の国内でも封切られたばかりのマジックアワー、それと北欧、インド、日本の短編映画3部作を鑑賞した。短編映画は各10分弱だったが、日本の短編映画の陰気さには閉口した。島国で他国との交わり加減が少ない分、あのように陰にこもった描写になるのだろうか。しかし外国人はああいう日本映画をみて日本の文化・人間関係の在り方に共感するのかもしれない。とにかく後味の悪い映画だった。
久しぶりではあったが、過去数十回は10時間以上のフライトを経験している慣れからだろうか、それともロンドンに帰れるという高揚感からか、私自身それほど苦痛を感じることもなくヨーロッパ圏に到達していた。到着予定時間が近づくと機内はあわただしくなる。トイレに行く乗客も増え、私たちの席の横を頻繁に人が通る。トイレが満杯となると空きを待つ人がたむろしていることもあった。やがてシートベルト着用のサインが点り、現地時間や天候を知らせるアナウンスが機内に流れる。ここで墜落してほしくはないが、最悪そうなっても三里塚に散るよりはいいかなと私は思った。

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第3話 さよならJAPAN [往路]

機はサテライトを離れ誘導路を通って滑走路に向かう。離陸が込み合っているのか、風の影響か、誘導路でしばらく待たされる。乗客たちはくつろいているようではあるが内心不安でもあるに違いない。管制官から離陸OKの指示を待つパイロットは乗客以上に緊張していることだろう。離陸と着陸が最も神経を使うときいたことがある。もっとも航行中も気を緩めてもらっては困るのだが。窓から外をみると成田-シンガポール間に就航間もないシンガポール航空の総二階建旅客機エアバスA380が私たちに続いて離陸するようである。滑走路に続く誘導路をゆっくりと移動していた。私は初めてみるA380をデジカメで撮影した。離着時にデジカメの使用は禁止されているのだが私は特別なのだ。
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管制塔からGOサインがでたのだろう。甲高いエンジンがさらに甲高くなる。スピードがあがる。窓から見えるサテライトの姿も目で追えなくなり一瞬のうちに後方に消えていく。このまま滑走を走り続けたら私たちは三里塚の草地に散ることになる。ロンドンの地を踏む前に千葉の地に叩きつけられたのではたまらない。次の瞬間機内が静かになる。滑走路を疾走していたタイヤの走行音が消えたのだ。タイヤが外れてしまったわけではない。無事離陸したのだ。タイヤが格納される音がきこえる。地面がみるみる下の方に遠ざかる。私たちは日本を離れた。今欧州に続く空へと舞い上がったのである。
夏休みでもないし連休を控えているわけでもないが、機内の座席はほぼ埋まっていた。私たちの座席の横、つまり3列シートの真ん中、両側にギャングウェイがあり窓のない列の三席には誰も座っていなかった。離陸しているので途中から乗り込んでくることもないだろう。しりもち事故があった際は危険なので最後部は敬遠されるのだろうか。これから13時間あまり、私たちは供される餌を食し、照明を落とされ強制的に窓側のブラインドをおろさせられ睡眠することを強要される。そしてまた食し、眠りにつかされるというブロイラーのような時を過ごさなければならない。鶏と違うところは座席の前の小さなスクリーンで日本上映前の映画を楽しめるということだろう。

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第2話 人影まばらな成田空港ターミナル1 [往路]

私たちの搭乗する全日空機は成田空港ターミナル1から出発する。成田空港が開港した1978年にはターミナル1しかなかったが、利用客の増加にあわせて1992年に第2ターミナルも完成。現在は日本航空がターミナル2、全日空はターミナル1を拠点として世界各地に国際線便を離着陸させている。チェックインカウンターはさほど混雑していなかった。11時半の離陸まで時間は十分すぎるほどあったが私たちはチェックイン後すぐに出国手続きを済ませ、ターミナル内で出発を待つことにした。
ターミナル2の南ウイングはほぼ全日空と提携航空会社の専用ターミナルのようなもの。改装後間もなく天窓を通して陽の射しこむコンコースは広く明るく美しい。出発便も少ないせいか歩いている人も少なくガランとした印象だった。奥さんはまず免税店に入り現地での販売価格が高い上、日本の銘柄を入手することは不可能なので、吸わない私の許容数量も合わせ2ケースの煙草を購入。私は書店でその日が発売日だった自動車専門誌を買い求め、コンコースのソファーに腰掛けて、メイルを打ったり、本を読んだりして時間をつぶすことにした。
全日空201便ロンドン行きの搭乗開始を知らせるアナウンスが流れると、ソファーから一斉に搭乗客が立ち上がる。座席も決まっているのだからあわてて搭乗口に向かう必要もないのだが、日本人は本当にせっかちである。新幹線で東京に行くとき、新横浜を過ぎると荷物を持ってドアの前に向かうサラリーマンの姿を描いた漫画があったことを思い出してしまった。
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私たちの席は最後部から二番目。ボーイング777型機の座席配置は左3、中央3、右3の横9列配置だが、後部は2,3,2の7列配置。両サイドは3席ではなく2席のみとなっている。私たち二人が陣取れば他の乗客が座ることはないのだ。出発半年以上前に購入したときは、ほぼ全席空席だったので、私たちはその席を楽々確保できたのである。登場口から機内に入ると乗客がハットボックスに手荷物を押し込んでおり、ギャングウェイをスムースに歩くことができない。まして私たちの席は最後部だ。その道のりは長い。ようやくたどり着くと私たちの後ろ、最後部の二人がけのシートにはすでに乗客が座ってくつろいでいた。新婚ではない。男二人。話すわけでもない。二人とも別の方向を向き座席ポケットの雑誌を手にしたりしている。同行者ではないようだ。二人の素振りでそれは十分わかる。しかし同性愛者でないという確証は持てない。機内の照明が落ちた途端、私たちの後方から悩ましい声が聞こえてくることがないことを望むだけだった。

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第1話 前泊ホテルから成田空港へ [往路]

旅が始まった途端、リーマン・ショックを引き金としたブラックマンデー以上の経済危機に遭遇することになった。ポンドやユーロの価値が下落する。買物をするにはありがたいことだ。しかし株価も世界の各地市場で大幅に下落する。日本株も同様だ。旅行資金として帰国後売却しようとしていた株も大きく値を下げる。下がれば必ず上がる。下げ続ける株はない。ブラックマンデーの時だってすぐに値を戻し、安値で買って大儲けした投資家もいる。直後に慌てて売却した投資家は逆に大損したのだ。今度も同じだ。株価は戻る。そう考えた私はやはり素人だった。リーマン・ショックは1929年に始まった世界大恐慌に匹敵する大事だったのである。
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ホテルから空港へ向かうシャトルバスには私たちと中年中国人のビジネスマンがひとり乗っていた。50人以上は乗車できるであろうバスにたった3人だけだ。運転手は中国人ビジネスマンと私たちに下車するターミナルを尋ねた。私たちも中国人も第1ターミナルと答えた。でもさらに乗客は増えた、乗り遅れたおばさんたちがいたのである。中国人ビジネスマンと私たち3人を乗せた大型シャトルバスが定刻にホテル正面玄関を出て空港へ向かう道路に出ると、後方でホテルの従業員がバスに向かって走りながら何かを叫んでいる。どうやらバスに乗り遅れた人がいるらしい。バスはその場に停車しその乗客を待つ。中国人ビジネスマンは早くも携帯を取り出し大阪にいるらしい日本人スタッフに英語で電話しはじめていた。その声のでかいこと。他人の迷惑などお構いなしである。やがてふたりのおばさんが乗車、運転手さんや先に乗車している私たちへの謝罪の言葉もない。さすがおばさんである。OBASANが、SYOSHAのように海外の辞書に載る日も近いだろう。空港のターミナルビルが見えてきたころ運転席に備え付けられた電話がなった。話の内容から察するに乗客の中にホテルに忘れ物をしてきた人がいるらしい。私たちではないことは確かだ。電話を切ると運転手さんが、ハンドルを握り前方を見ながら、フロントに貴重品預けたままお忘れになった方はいませんかと尋ねた。運転手はその対象者をすでに知っているようだ。乗り遅れたおばさんが奇声を発した。「すっかり忘れてたわ」というのである。しかし次におばさんがボソッと呟いた一言に私たちは驚いた。「ホテルの人が持ってきてくれるわよ」と言ったのである。悪びれたところなどさらさらない。ホテル側がもってくるのが当たり前という感覚なのだろう。中国人はあいかわらずズーっと大声で電話の向こうの相手と話し続けている。いつの昼飯かはわからないが、ランチの時間を指示している様子だった。バスはまず第二ターミナルに到着した。バスの乗客にここで下りる人はいない。早い便で帰国もしくは来日した乗客を乗せるためであろう。しかし、乗る人はいなかった。運転手が扉を閉めると、中国人が座席に広げた書類をあわててブリーフケースにしまい込みながら「ここでおりる」と叫んだ。ここは第二ターミナルですよと運転手がいうと、「間違いだった。ここでおりる」という。意味不明な中国人ビジネスマンであった。ああいう人と商売をする日本人はよほどタフでなければ相手にならないだろう。彼を下ろし、しばしの静寂の後、バスは第1ターミナルに到着。私たちは下車し、重たいスーツケース2個を受け取りターミナルに向かった。忘れ物をしたおばさんふたりは私たちが下車した後も車内に残り、運転手さんと協議していた。バスにそのまま乗ってホテルに帰り再度出直したのか、はたまた運転席の電話を通して交渉というか強行な態度でここまでもってくることがサービスだ言い張り、ホテル側をねじ伏せたのかは定かでない。

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