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第22話 サトウ家周辺の変貌 [ロンドン]

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プリムローズヒルを出てリージェンツパークロード沿いを歩く。通りに出るとすぐにパブがあったことを覚えていたが、そのパブはいまだ健在だった。でもその隣辺りにはフィッシュアンドチップスの店や日本への小包を送った郵便局があったはずだが見つからない。郵便局といっても奥にカウンターがあって切手を販売したり小包の重量を測ったりするだけ、手前のスペースはお菓子や雑誌を売っている、いまでいうところのコンビニみたいなものだろうか。特定郵便局のようなものだから夫婦二人で運営していたようで半年この界隈で暮らした私も顔なじみになっていたものである。当時で50歳近かっただろうから、年老いて店も郵便局も閉じたのだろうか。フィッシュアンドチップス店もときたま利用した。プリムローズヒルでボーっとしたいときや、夜に何か満腹感が得られないとき、酒屋でCOLTとかいうオーストラリアの缶ビールを買い、新聞紙に包まれた山盛りのチップスを持ち帰り部屋でつまんだものである。しかしこの通り、30年前の静けさが嘘のように活気がある。昔は週一のペースで洗濯物を洗うために通ったコインランドリーや、食料品店、クリーニング屋、酒屋、中古車販売店がある程度だったが、今はカフェもどきの店も洒落たレストランまである。建物の色もレンガ色だけでなくブルーやイエローなどカラフルに塗装されている。二階の窓辺に美しい花を飾る店もある。何か通り全体が単なる住宅街にある商店群から、若い企業家やアーティストが集積するモダンな通りに変貌しているようだった。懐かしさと驚きからきょろきょろしながら歩いていると、さきほどプリムローズヒルにいた若いお父さんがベビーカーを押しながら前から歩いてくる。向こうもさっきの東洋人だとわかったのだろう笑顔で近づいてくる。ベビーカーには先ほどまで丘の上ではしゃいでいた女の子と男の子が秋の陽を受けながらもぐっすりと寝込んでいた。立ち止まった際に「これ、さっき撮ったお嬢さんの写真です」とみせてあげたかったがそれはできない相談。「おきろー!」と大声で叫んでやろうかとも思ったが、「疲れたみたいですね」と一言だけいい残し、パパと子供たちに笑顔を残してその場を去った。
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酒屋の角を曲がってリージェンツパークロードに別れを告げるとチャルコットスクエアという半円形の通りに入る。その中間点でぶつかる通りがサトウさんの住むチャルコットロードである。全長200メートルほどだろうかまっすぐに伸びたチャルコットロードとチャルコットスクエアの間には、小さな公園があり、直接車で出入りすることはできない。つまりチャルコットロードの片側は行き止まりのため、車の通りはほとんどない。幅10メートル以上はある道路の両側には住人の所有する車がぎっしりと駐車していた。かつては道路に平行して、つまり縦列で駐車していたが、車の台数が増えたのだろう、今は道路に対して斜めに車が停められている。住人以外の車が往来することはほとんどないのだから、中央に車が1台通れるスペースさえ確保していればいいのだろう。帰国後知ったことだが、チャルコットスクエアに面する住居の価格は、ロンドンで一番高いといわれており、半地下1階地上3階建ての19世紀に立てられた長屋形式の住居で、5億円するとのことだった。確かにサトウさんたちが住むチャルコットロードに面する家よりも、チャルコットスクエアに面する建物の方が、重厚感があったようにも思える。多分潜在意識がそう思わせるのだろうが。

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第21話 プリムローズヒルの親子 [ロンドン]

昔は丘の上にはベンチが1,2個、舗道沿いにあるだけだったが、今はかんたんな見晴らし台のようなものができ、そこにいくつかのベンチが配されていた。当然今日もそのベンチは若いカップルや老人夫婦で埋まっている。周囲の芝生では子供連れの家族が遊んでいた。そんな光景を見た後、私は立ち止まり後ろを振り返った。抜けるような青空ではないが、ロンドンらしい青空の下にはポストオフィスタワーが見えた。昔はなかったビルもいくつか見えるがロンドンらしく空気が霞んでいるせいかセントポール寺院やロンドンアイは確認できない。それでも私は感動していた。ついに帰ってきたという気持ちである。大きく深呼吸をする。恋焦がれていたロンドンの空気で私の肺は占拠された。
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奥さんは若いお父さんにとともに公園にきていた2,3歳の女の子にカメラを向けている。お父さんは奥さんがカメラを向けても何もいわない。実際滞在中、ロンドンの別の場所で子供の遊んでいる乗り物のおもちゃがユニークなのでカメラを向けると遠くから「ノーカメラ!」と叫ぶ親に遭遇したことがある。お前は何者か、有名人か、だいたい貴様の子を撮っていたのではない。貴様のガキの持っている乗り物に興味があるだけだ。といいたかったがやめたことがある。その親に比べれば大きな気持ちをもった立派なお父さんである。女の子の弟と思われる子はベビーカーに座り活発なお姉ちゃんを見てベビーカーが揺れるぐらい大笑いしていた。お父さんはベビーカーがひっくり返らないようにおさえながら、女の子の動きも追わなければならない。もしかすると「ノーカメラ」などといっている余裕がないのかもしれない。突如女の子が丘をかけおりだしたらどのように対処するのだろうか。しかし気になるのはこのお父さんの連れ合い、つまり奥さんは何をしているのだろう。善意に解釈すれば「ランチを作っている間、お散歩にいってらっしゃい」といわれたのだろうか。悪意に考えれば「日曜日ぐらい子供の面倒みてちょうだい」と家を追い出されたのだろうか。人がよさそうだし気があまり強くなさそうなお父さんだから後者かもしれない。
女の子はカメラを向ける見慣れぬ東洋人の奥さんの前でも臆することなくポーズをとったり、奇声を発してカメラの前を行ったりきたりしている。私も奥さんも、そして若いお父さんも気づいていたようだが、女の子の動き回る芝生に明らかに糞と思えるこげ茶色の物体が転がっていた。幸い女の子がそれを踏みつけることはなかった。でも一瞬女の子の足元がもつれ芝生上に仰向けに倒れこんだのである。しばし時が止まり、次の瞬間女の子は泣き叫びだした。お父さんがあわててかけより抱き起こす。女の子が倒れこんだ数センチ横には糞があった。彼女は運をつけそこなったのかもしれない。
せっかくポーズまでとってくれたのに、丘をくだりながら奥さんのデジカメを確認すると女の子の映像はまったく写っていなかった。かつてのフィルムカメラのように帰国後現像して初めて写っていないことを知るのと、いい写真が撮れたと思って直後に確認すると写っていないことがわかるのと、どちらのショックが大きいだろうか。私たちは丘をおりて公園の出入口近くのベンチに腰掛けしばし時間調整をした。目の前にあるプリムローズヒルの丘の上に今度はいつ立つことができるだろうか、目の前を行き来する何匹もの犬に愛想をふりつつ私は考えていた。

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第20話 なつかしのプリムローズヒル [ロンドン]

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リージェンツパークを抜け、右手にロンドン動物園の馬舎を見て、運河用の幅の極端に狭いナロウボートが往来するリージェント運河にかかる小さな橋を渡ると片側1車線の一般道にでる。その向こう側がプリムローズヒルのゲートだ。
プリムローズヒルは一面芝生かどうかわからないが短い草で覆われ、その一部に樹木やベンチが配された典型的なロンドンの公園である。ただ他の公園と異なるのはなだらかな勾配をもった丘があることだ。旧くはローリングストーンズがこの公園でジャケット撮影したこともあるとか。最近は近隣に住むヒューグラントなど著名人が訪れることから観光スポットのひとつにもなっているという。私は33年前にサトウ家にホームステイしているとき、学校帰りや休日など、それこそ週に2,3度、いやもっとかもしれないがこのプリムローズヒルを訪れ、ひなたぼっこをしたり読書をしたり、ときに寝転んでヒースロー空港方面に向かって上空を絶えまなく飛んでいくジェット機をながめ、あの飛行機には私宛の手紙が載っているだろうかなどと考えていたのである。
当時は公園にいても会う人はごく少数。近隣住人や彼らに飼われる犬たちの格好のお散歩コースだったに違いない。新婚旅行のときもこの公園に奥さんとともに訪れ、重たいビデオ機材を肩にかけ丘を登ったものだ。その後仕事でロンドンに来た際は、サトウ家は訪問してもさすが時間的にこの公園にくることはできなかった。つまり私にとって25年ぶりの訪問。ここ何年か、夜毎ロンドンに行きたい、プリムローズヒルからロンドンの街を眺めたいといっていた私にとって、プリムローズヒルに立つということは今回の旅行において最大の目的であるといっても過言ではないかもしれない。
公園に足を踏み入れてまず驚いたことは公園にいる人の多さである。昔はポツンポツンと人や犬が見える程度だったが今日は違う。日曜日だからというわけでもなさそうだ。丘の上にも人がみえるし、公園内のベンチには誰かが必ずすわっているようだった。芝生にはサッカーボールで遊ぶ少年たちもいる。観光地化は噂ではなく真実だった。しかし人が多いといっても昔に比べればということ。日比谷公園や新宿御苑の比ではない。私の見渡せる半径200メートル圏内に100人はいないだろう。
プリムローズヒルの最も高いところにあがるためには最初から整備された道をのぼるか、ブッシュで覆われたゆるやかなスロープを登る必要がある。33年前は存在しなかったが、長い歳月の間に訪問者が丘のてっぺんに行く最短距離を発見し、そこを多くの人が通っていくようになったのだろう、獣道のように草が踏みつけられてなくなり土が見えているところができていた。私たちもその獣道を通っててっぺんをめざした。振り向けば、手前にロンドン動物園やリージェンツパークの緑、その背後にポストオフィスタワー、セントポール寺院のドーム、今はロンドンアイなる大観覧車も見えるはずである。でも私はてっぺんにのぼるまでそれをじっと我慢した。てっぺんにつくとそこは平地で一面に芝が拡がっている。このまままっすぐに歩くとどこに行くのか私は知らない。私は33年前、同じ道をつかって丘の上に立ち、同じ道を使って帰っていっただけだったことに気がついた。

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第19話 リージェンツパークを通りプリムローズヒルへ [ロンドン]

オックスフォードサーカスからリージェンツパークの入口までは10分程度で到着した。通り沿いに商店はまったくなく、オフィスやホテル、それに高級アパルトメントばかりである。車の通りもほとんどなく、道路の中央に立って写真を撮ることも可能なほどだった。もちろんウイークデイではこうはいかないだろうが。かつて私はボンドストリートにある語学学校に通っていた。往きは地下鉄、帰りは地下鉄かバス、そしてときおりリージェンツパークを通って徒歩で帰ったものである。何ごともなければ東京ドーム40個分の広さがあるこの公園を突っ切れば40分もかからない道のりだったが、公園内には誘惑が多い。放し飼いの犬もいる。リスもいる。池もある。ベンチもいっぱいある。だから1時間ぐらいをかけて帰っていたものだ。今日もリージェンツパークの北の端に位置する思い出のプリムローズヒルでしばし休憩したとしてもまだまだ時間の余裕がある。私たちは色づき始めた木々が点在する広々とした公園をのんびりと歩いた。
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ロンドンの公園には芝生が一面に拡がっている。私たちの感覚からすればとても広いと思われるリージェンツパークもロンドンでは小さい部類。ロンドン南部にあるリッチモンドパークなどは300万坪の広さがあるのだ。日本ではかなり広いと感じられる100坪の土地を有する建売住宅なら3万棟建てられる。4人家族だとすれば12万人が生活できる勘定だ。これだけあればひとつの行政区になるだろう。かつては王室の鹿狩り場だったというから当然といえば当然の広さなのかもしれないが。土曜日ということもあり繁華街とは異なり家族連れやカップル、犬の散歩組みが結構目立つ。公園脇に設けられた何面もあるサッカーグラウンドでは、色とりどりのユニフォームを着た少年サッカーチームが練習をしている。いくつかの女子チームもみかけた。ロンドンの中心地にこれだけの整備されたグラウンドを確保し、子供たちが存分に練習できる環境が整っているのだから日本と力の格差が生じることも仕方ないことかもしれない。
一方散歩している犬たちはリードにつながれることなくご主人様の目の届く範囲で自由に公園内を走り回っている。他の犬がいたっておかまいなしだ。犬同士が喧嘩している光景などみたことがない。30年前ロンドン郊外の公園にいた犬が皆放し飼いで、その犬たちが日本で散歩中の犬のように決して取っ組み合いの争いなどしないことにとても衝撃を受けたが、時は経てもロンドン在住の犬たちの心はあいかわらず穏やかなようでなんだかほっとした。
30分以上をかけてのんびりとリージェンツパークを突っ切ると19世紀半ばにオープンにしたロンドン動物園が見えてきた。かつては入場料も安く、水曜日とか木曜日とか、とにかく週に1回無料という曜日があったので、私もしばしば学校帰りや、帰宅後一休みしてから見物にきたものである。当時日本で異常なほど人気があったパンダも、こちらでは数ある動物の一種類にすぎず特別扱いはされていなかった。私も初めて訪れたときは見過ごして素通りしたほどである。パンダそのものもぬいぐるみのように白と黒に綺麗に色分けされてはおらず汚れてほとんど全身真っ黒。普通の熊とかわらなかった記憶がある。ロンドン動物園には新婚旅行の時にも訪れた。当時大変重たい思いをして日本から持参したビデオにも獲物を追うように檻の中で無駄のない歩きをする狼の姿が残っている。そのロンドン動物園、近年は経営難から閉鎖の危機もあったがなんとか乗り切ったそうだ。でも入場料が3千円近くにはねあがってしまったのだが。そんなわけで今回私たちはパスさせてもらった。

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第18話 地下鉄1日乗車券購入 [ロンドン]

ロンドンの地下鉄が初乗り600円程度にまで高騰していることは知っていた。私が暮らしていた1975年当時も日本に比べれば高いといわれてはいたがそこまで高いイメージはなかった。当時は初乗り15ペンスぐらいだったと記憶している。1ポンド700円、800円の時代だが、100円から120円程度だったのだろう。いちいち切符を買っていたのではそれこそあっという間に小銭入れだけでなく財布も軽くなってしまうが、ちゃんと救いの手は用意されていた。1日フリー切符のようなトラベルカードである。そして週末となるとさらにお得になる。千円ちょっとでロンドン中心街(大半の名所や美術館、博物館は範囲内にある)の地下鉄とバスが乗り放題ということになる。地下鉄に2度乗ったらほとんどもとはとれるという優れものなのだ。
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H&Mをでるとすぐに地下鉄入口があったので私たちは階段をおり、オックスフォードサーカス駅に入った。主要な地下鉄が交差するこの駅、私もかつては何度もこの駅を利用したが、いつもごったがえしており、当時恐れられていたIRAがここに爆弾でもしかけたらとんでもないことになるなあと思っていたものである。でも今日は週末、それも午前中。改札口を出入りする乗降客の数は極めて少ない。私は自販機ではない対面販売、JRでいうところの「みどりの窓口」のようなカウンターにいってトラベルカードを買うことにした。切符などを販売する窓口の係員と購入者である私はかなり分厚いガラスかプラスチックで仕切られている。係員とのやりとりもマイクとスピーカーを介して行なわれる。その日窓口にいたおばさんはとても親切というか普通の人だった。横柄でもなくきちんと仕事をこなしてくれている。これはロンドンでは珍しいことといえるかもしれない。私は今日の分のトラベルカードを購入、明日のカードも今購入できますかとたずねると大丈夫というので、そちらも購入した。奥さんの分と合わせて週末券4枚お買い上げである。現金やクレジットカードの受け渡しも、手から手へ直接は渡さない。窓口の下部くぼんでいて、そこに現金やカードを投入。それを回転させて相手側が受け取り、お釣りや決済の済んだカードはまたそのくぼみに職員が入れて回転させて客の手元に戻ってくる仕組みである。そんなにロンドンの治安が悪いのだろうか。それとも日本があまりに杜撰なのだろうか。
ここから地下鉄を乗り継いでいけば15分もかからずにサトウ家に近いチョークファーム駅に行ける。でもまだまだ時間はあるし予定通り徒歩でサトウ家を目指した。私たちは新婚旅行では訪れていないリージェンツパークに向かうため再び地上に出たのである。

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第17話 待ちこがれたロンドンの朝 [ロンドン]

ホテルを出ると石造りの建物の間を抜けて頬に当たる風が冷たい。陽がのぼって時がたっていないせいだろうか。この風こそが私が待望していたロンドンの象徴、心地よさである。あらためて自分が今ロンドンにいることを実感した。
今日のメインイベントは12年ぶりのサトウ家訪問だ。佐藤家ではないサトウ家、アーネスト・サトウの末裔Satow家である。私は1975年の春から年末まで半年以上サトウ家にホームステイしていた。帰国してから2度ほど仕事でイギリスに来ているが、その際は必ずサトウ家を訪れることにしていたのである。今回私たちが銀婚旅行としてヨーロッパを訪れることは今年のはじめにはわかっていた。しかし、あまり前からご高齢のサトウご夫妻に秋に行きますよと伝えても、何カ月も前から私たちの歓迎準備に追われて体調を崩されてはこまるので、渡欧することを告げたのは日本出発わずか1週間前。ご主人が電話で応対してくれたのだが、しばらく話した後にいきなり「どなたですか」といってきたりしたので少々心配だった。すでに80歳代半ばをすぎたであろう老人である。意識がはっきりしていることの方が不思議なのかもしれないが。その時点では土曜日に訪れることだけを約束。ロンドンに着いたら時間などの打合せのため再度電話をすることになっていたので、前日ホテルにチェックイン後すぐに連絡すると、私たちの訪問の件を覚えていてくれたのでほっとした。サトウさんは12時にきて欲しいとのこと。ランチを振舞ってくれるのだろう。逆算して10時過ぎにホテルを出発。ピカデリーサーカスあたりの店をのぞき、地下鉄オックスフォードサーカス駅で地下鉄とバス乗り放題の週末乗車券を購入。その後ゆっくりと時間をかけてリージェンツパークを横切ってプリムローズヒルまで歩きサトウ家に向かう予定だった。
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ほとんどの会社がクローズする土曜の朝ということもあり道路に車の通りはほとんどない。昨夕はごったがえしていたオックスフォードストリートにでても人影も車も少ない。もっともまだ大半の店はオープンしたばかりの時間帯だから当然といえば当然だ。オックスフォードサーカスの交差点近くに日本に先ごろオープンして連日入店するための長蛇の列ができているというH&Mを見つけた。その筋向いにもH&Mがある。当然だが入店のための列など見えない。いつでも入店可能だ。私たちはどんなものが販売されているのかをリサーチするため入店した。店内には客が2,3人いる程度。日本のショップならオープン直後の店内は商品が綺麗に陳列されているだろうが、売っているのは商品でディスプレイではないということだろうか、平台に置かれた衣類も、かごに収められた商品も雑然としていて、昨夜の閉店当時のままという感じである。確かに価格は安いが「これはきれい」とか財布を引っ張り出すほど魅力的な商品は見つけられなかった。購買層のターゲットが我々とは異なるのだろう。

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第16話 ロンドンの朝 ポールニューマン死す [ロンドン]

昨夜はソーホーのイタリアンレストランで豪華なディナーをとり、人通りもまばらになったオックスフォードストリートを歩いてホテルに戻り、ベッドに入ったのは1時を過ぎ。しかし6時半には目が覚めた。外の明るさが気になったのではない。外はまだ真っ暗だ。時差ぼけもない快適な目覚めだった。やはりロンドンの空気は私に合っているのだと感じずにはいられない。奥さんもすぐに目覚めたが、これまた不快感はないようである。
テレビをつけるとなんと私の好きな俳優のひとりであるポールニューマンの死を知らせるニュースが映し出されていた。週末だからだろうか、それともポールニューマンが英国においてもかなりの人気者だったのだろうか、同じニュース、同じ映像が何度も何度も流れている。ロバート・レッドフォードと競演した「俺たちに明日はない」。中学生のとき鎌倉の映画館で観たが、「俺泳げないんだ」というロバート・レッドフォードを大笑いしながら追っ手から逃れるべく一緒に滝壷に飛び降りるシーン、警察に取り囲まれて死を覚悟した二人が一緒に外へ飛び出し、四方八方から銃弾を浴びるシーンを徐々にカメラが引いていくエンディングのシーンは今でも鮮烈に私の脳裏に焼きついている。これまたロバート・レッドフォードも出演していた「スティング」は、あのメロディーも印象的だったし、ラストシーンは本当に痛快だった。最近では、息子のように可愛がっていた男に殺されるマフィアのボス役を演じていた「ロード・トゥ・パーディション」、殺す側のトム・ハンクスがミスキャストではないかと思えたが、ポールニューマンは相変わらず渋い演技だった。彼の死をロンドンで告げられるとは。きっと日本では今夜から来週にかけて追悼番組として彼の作品が何本か放映されるのだろう。
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8時過ぎに階下のレストランでの朝食のため部屋をいったんでたが、その時点でも窓の外は薄暗い。ホテルだろうが旅館であろうが、旅先での朝食は楽しみのひとつである。ロンドンの宿泊ホテルはビュッフェ形式で、卵料理やウインナー・ベーコンなども選べるし、生野菜もフルーツも豊富だった。好きなものを好きなだけ食べられるわけだが、ときどき、ここぞとばかりに皿を山盛りにしてはみたものの、結局食べきれずに残していく非常識な人を日本でもみかける。しかし外国人の中にもその類はやはり存在した。皿に多種多様な食料を山のように盛って席に着く中東周辺から来たと思われるビジネスマン二人。朝からあんなに食べるのかと思っていたら案の定、彼らが去ったテーブルには食べ物が山のように残った皿が置かれていたのである。朝食代を払っているのだからどんなに残すが関係ないという思想なのかもしれない。

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第15話 レミゼラブル(ああ無情)後編 [ロンドン]

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小さな舞台に大掛かりなセット、大勢の役者がその中で演じ歌う。彼らが舞台上を移動するたびにその足音が生音で観客の耳に飛び込んでくる。これが舞台演劇の醍醐味なのだろう。奥さんはレミゼラブルを読んだことがあるといっていたが、恥ずかしながら私はアンルイスのああ無情は知っていても本物のレミゼラブルのストーリーは知らない。舞台上の役者の歌詞も当然理解不能。他の観客が笑っても何を笑っているのかもわからない。大音響とともにステージ上で役者が動き回っているうちはいい。しかし、動きのない静かな場面になると耐えられない。日本時間でいるとすでに夜明けに近い。眠くなって当然である。100ポンドの子守唄をききながら寝入ってしまうのである。そして大きな音で我にかえる。そんなことを繰り返しているうちに舞台が役者たちでうまり、歌声も大きくなり、観客の大喝采とともに幕が下りた。時計を見ると9時に近い。予想より1時間も早いし、正味1時間半も観ていない。これで100ポンドはぼったくりといえるかもしれない。しかし、これからアンコールがあって何度も幕が開くに違いない。それも観劇の延長線上で楽しみのひとつなのだろうと想像していた。ところがである。幕がおりたとたん観客は一斉に席を立って惜しみない拍手をするのかと思いきや、我先に出口方面に向かうのである。これでお仕舞い?もう幕は上がらないの?ステージと観客とのコミュニケーションは?私たちも席を立ち出口に向かった。劇場内のパブはアルコールを頼む観客でごったがえしていた。どうも腑に落ちないが劇場の正面玄関から退場する人も多い。本当に終わったのだろう。これが英国流なのかもしれない。私たちは自分に言いきかせて劇場を離れた。
ミュージカルや演劇にはほとんどの場合インターミッションといわれる休憩がある。20分程度のその時間に外へ出て一杯やる人もいる。そのことを私たちは忘れていた。もちろんストーリーを知ってさえいれば、これで終わりのわけがないと確信できたはずである。休憩時間が過ぎても席に戻らない私たちをいいことに、奥さんの隣に座っていたロンドン南部からきたお嬢は、私が座っていた少しは中央よりの舞台がみやすい席に移動して鑑賞できたことだろう。そして後ろの英国人カップルは、「前に座って居眠りしていた東洋人たち、内容がわからないから帰っちゃったよ」と嘲笑していたに違いない。
この世で二度と会わないであろう彼らが何を噂しようが関係ない。私たちは今宵のディナーにありつけるレストラン発見に向けソーホーの暗闇に消えていったのである。

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第14話 レミゼラブル(ああ無情)前編 [ロンドン]

ピカデリーサーカスの東側、ウエストエンドといわれるエリアにはブロードウエイのように大小たくさんの劇場がありミュージカルを楽しむことができる。私たちはロンドン初日の夜、本場のミュージカルを観ることにした。当日券の残りを販売しているチケットセンターに入り今夜観賞できる出し物を尋ねた。みどりの窓口より狭い店内は、前売り券を買わずに少しでも安くチケットを手に入れようとする輩、まるでスーパーの閉店間際に入店するケチ、よく言えば倹約家たちで賑わっていた。まあ私たちもワンノブゼムといえないこともないのだが。マンマミーアを観たかったがあいにく売り切れ。レミゼラブルなら席があるというので料金を尋ねると二人で100ポンド(約2万円)との答えが。奥さんにどうするか確認すると「それにしよう」という。100ポンドが日本でいくらなのかわかっているのだろうか。寝不足で感覚が麻痺しているのかもしれない。しかし、せっかく観ることができるチャンスなのだからと思い席を確認した後、購入した。劇場はチケットセンターのすぐとなりにあった。開演まで時間がないため私たちはロンドン初日の夕食は、ミュージカル鑑賞後、日本時間なら翌日の朝食時間帯にずれこむことになったのである。
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劇場内はそれほど大きくはないが、最新設備を備えた日本の劇場とは異なり、歴史を感じさせるそれなりの雰囲気を漂っている。私たちが着席した頃、まだ席の半分以上は空席だった。やがて前の列に陽気なスペイン人の観光客と思われる団体さんが着席した。なぜだかわからないが皆さん興奮気味でテンションも高く声が大きい。背後には英国人カップルが着席した。顔は見ていないが発音や話の内容からして現地人と判断しただけである。私たちの席は通路側から二番目と三番目。奥さんが通路側に近い席に座った。つまり通路側が一席空いていることになる。開演が近づくにつれて空席は徐々に少なくなっていく。皆、劇場内のパブで一杯飲んだり、周辺のレストランで食事を済ませたりしてから席に着くのだろう。いつのまにか奥さんの隣の席には二十代前後のレディーが座っていた。彼女が奥さんに何かを尋ねてきたのだが、わからないので彼女の話をきいてくれという。彼女は終演時間を知りたがっていたのだ。良く聞き取れないがロンドン南部からきたらしく時間によってはバスがなくなってしまうというのである。私はプログラムももっていないのでわからないが、2時間公演したとしてだいたい10時頃には終わるのではないかといい加減に答えた。彼女はGパンにTシャツというような軽装ではもちろんない。ミュージカル鑑賞に相応しいそれなりのドレスを身にまとっていたが発音にエリザベス女王のような気品がない。ロンドン南部の下町のお嬢といったところだろうか。その彼女、私の回答を疑問視したのか、後ろの席にいた英国人カップルに同じ質問をしていた。彼の答えも同じだった。後で奥さんにきいたのだが、彼女、あなたのご主人はフランス人かともたずねてきたそうである。私のルーツはベルギーの貴婦人だそうだから、彼女には私の背後にある何かが見えたのかもしれない。

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第13話 ソーホー地区の建物の外に群れをなす集団 [ロンドン]

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リージェントストリートを歩いていると交差する細いストリートの向こうに、ものすごい数の人だかりを発見した。何か事件、それを見物する野次馬か、それとも今宵のミュージカルを観る人たちがすでに劇場の外で列を作っているのかと思った。私たちは確認すべく脇道に入った。その群集に近づいて初めてその人たちが何をしているのかがわかった。彼らが立っているのはパブの外。つまり店内では煙草をすえないので、彼らはラガーの注がれたジョッキを片手に店頭で一服していたのである。それにしてもものすごい人数である。それが、一箇所ではなく、パブというパブの店頭がすべてそういう状態なのだ。当然半分以上の人は車道に溢れでており車が通るたびにけたたましいクラクションを鳴らされている。こんな光景も20世紀には見ることはなかった。
ピカデリーサーカスを基点に、トラファルガースクウェア方面、オックスフォードストリート沿い、シャフツベリーアベニュー、グロセスタースクウェア、ソーホー界隈は、33年前のロンドン滞在時にほとんど毎日のように散策していたので地理は頭に叩き込まれているはず。ものめずらしさではなく、懐かしさからきょろきょろしながら、ロンドンらしからぬあまり上品とはいえない鮮やかなネオンが灯りだした通りをグロセスタースクウェアの劇場街に向けて歩いていると東洋人ではない明らかに西洋人と思われる女性に声をかけられた。チャイナタウンはどこかというのだ。ディナーに招かれているとのことでかなりあわてている。私は三十年前の記憶を呼び戻し、自信ありげにチャイナタウン方面を指差した。彼女はお礼を述べた後、私の前からチャイナタウン方面の雑踏の中に消えていった。しかし彼女は私をロンドン住人と思ってたずねてきたのか、それとも中国から来たツアー客なら中華街がどこにあるかは百も承知だろうと思って尋ねてきたのか。確かめようもないが多分後者だろう。
ところがどっこいこのチャイナタウン案内話には落ちがある。それから何時間後か、ホテルへ帰る途中でチャイナタウンに紛れ込んでしまったのだが、その場所は、さきほど女性に尋ねられたときに自信ありげに指示した方向とは真逆だったのである。チャイニーズレストランを探して危険なソーホーエリアを彷徨っているあの女性に遭遇しないよう私たちはうつむき加減にホテルへ急いだことはいうまでもない。

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