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第32話 再会そして永遠の別れ [ロンドン]

上空は見事な青空、テムズ川から吹く風は冷たくもなく心地よい。日曜日とあって橋の上は渋滞もしていない。その分、片側2車線の道路を走る二階建ての路線バスや観光バス、タクシー、自家用車もかなりの速度で私たちの前を通過していく。このように車の往来が結構ある道路を、80半ばのおじいさんが自転車で走行して大丈夫なのだろうか。いくらスピードを競うレースではないといっても少しばかり心配になった。9時10分を少しばかり過ぎたがまだサトウさんは現れない。それよりさきほどからレースをしているような自転車が私たちの前を全く通過していないことに気がついた。私の聞き間違いか。この橋ではなかったのか。不安に感じ始めたとき、橋の中央付近にこちらに向かってくる一台の自転車が見えた。私は普段メガネしていないので視力は非常に悪いし、奥さんもそれほど良くない。二人ともそれがサトウさんであるという確証がつかめない。しかしヘルメットも被っていないのでただの通行人、サトウさんではあるまいと判断した。ところがである、その自転車が私たちの数メートル手前に来たとき、相手が我々に向けて感嘆の声をあげたのである。サトウさんの方が私たちを先に確認したのだった。サトウさんだとわかっていれば橋の中央付近からカメラの動画に記録していたのに。もう一度戻ってこいできてくださいとはいえない。ノーヘルで危なくないかと尋ねると、ヘルメットは嫌いだという単純な答えが。それにしてもサトウさんの服装はグレーのズボンに青いセーターで昨日とまったく同じ。レース参加者とは誰も思わないだろう。
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サトウさんは私たちが待っていてくれたことを本当に喜んでくれた。あとふたつみっつ橋を渡るとゴールだそうで、そこに奥さんが車で迎えにきてくれているとのこと。自転車を折りたたんで車に積むため帰路は車だそうである。サトウさんはタイムを競っているであろうレース中の身、あまりひきとめてもいけないので、「気をつけて」と声をかけて私たちは別れた。サトウさんは緩い下り坂になったウエストミンスター橋を渡りきりビッグベンの先を左手に折れて私たちの視界から消えていったのである。
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今度サトウご夫妻に会える日はいつになるのだろうか。25年は待ってはくれまい。2,3年のうちにまたロンドンに帰ってこなければいけない。私は誓ったがその望みはかなえられなかった。ポール・サトウ氏はその何年後、天に召されたしまったのです。

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第31話 ビッグベン下で自転車レースに参加するサトウさんと再会 [ロンドン]

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翌朝テレビではシンガポールで開催されている初の夜間F1レースの予選の模様を映し出していた。私たちは甲高いF1カーの走行音にせきたてられるように素早く着替え、朝食をとるため営業開始早々の階下にあるレストランに入った。前夜は昼にサトウ家でがっつり栄養をとったので夜はフォートナムメイソンのサンドイッチと軽め。だから自分の好きなだけ皿にもれる朝のバッフェはありがたかった。朝食後奥さんに一服する間も与えずすぐにホテルをでて地下鉄ボンドストリート駅に向かう。この日はサトウ家のご主人ポールさんが高齢者の自転車レースに出場するときいていた。彼がビッグベン横のウエストミンスター橋を自転車で通過するのは9時10分ごろとのこと。だから急ぐ必要があったのだ。
昨日の朝購入した今日の分のフリーパス券を改札口ゲートで挿入し、長いエスカレーターを乗り継いでジュビリーラインのホームに出る。このジュビリーラインは30年前には存在しなかったラインだ。つまり私は初めて乗る。といってもロンドンの地下鉄は中心部をぐるりとまわる日本のJRや私鉄各社の四角い形の車両が走るセントラルラインやディストリクトライン以外はどれも同じ。チューブ状のトンネル内を走行するため天井の両サイドがせばまった窮屈な形の車両なのである。
ジュビリーラインができたおかげで、ボンドストリート駅からウエストミンスター駅まで乗り換え無しであっという間に到着。地下鉄を降りて改札口を出て案内板に沿って歩いていると、ギターの弾き語りが聴こえてきた。地下鉄のコンコースは音が適度に反響して上手に聴こえる様な気がする。30年前、映画「スティング」のテーマ曲を上手につまびく若者に感動した記憶が蘇った。コンコースで音楽を聴かせるミュージシャンの卵たちは足元に缶や帽子やギターケースを置き、通行人からカンパをもらっている。昔は誰でもできたらしいが、最近は許可無しで奏でることはできないらしい。ちゃんと市か交通局のオーディションをパスした者だけが許されているとのことだ。
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私たちは、耳は傾けながらも視線は向けず彼の前をカンパすることなく通り過ぎ地上に出た。目の前はテムズ川、川向こうにはロンドンの新たな観光スポットとなった大観覧車ロンドンアイがみえる。右手を見るとテムズ川に架かるウエストミンスター橋が、道路を挟んだ向こう側には国会議事堂に連なる高さ100メートル弱のビッグベンがそびえ立ち、先端で時を刻んでいた。まだ9時前だ、サトウさん到着まではまだ時間がある。私たちは開店準備に取り掛かった露店の土産物などを売る小さな売店をのぞきこんだり、ビッグベンを背景に記念撮影をしたりしてサトウさんを待った。

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第30話 トイレをさがしてナショナルギャラリーへ [ロンドン]

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ひとやすみして喉をうるおした後、ネルソン提督の像や、三越の入口に鎮座するライオンのモデルとなった巨大ライオン像があるトラファルガー広場に向かって歩く。途中紅茶専門店で初の土産物として小さな小さな紅茶詰め合わせを購入した。店を出ると私たち二人は何かを飲んだ結果として必ずやってくる人体の摂理。尿意を感じていた。しかしこの辺りには大きな商業施設はない。この界隈で公衆トイレを利用した記憶もない。だがロンドンには便利な施設が点在している。入場料、入館料無料の美術館や博物館だ。そこには必ずトイレがある。そしてすぐそばまできているトラファルガー広場にはルーヴルやメトロポリタンに大きさで及ばないものの世界的に知られるナショナルギャラリーがある。イタリアやオランダ絵画を鑑賞するだけが美術館の役割ではないのだ。
屈強なガードマンが仁王立ちする正面から入館する。もちろん窓口で入場チケットを購入する必要もない。ただなのだから。寄付金を募る箱は置いてあるが任意だ。私たちはその箱に気がつかないことにしてガードマンの横をすり抜ける。これまでディズニーランドに隣接するホテルをはじめ、台北市内、ロサンゼルス空港、ボストン空港などワールドワイドに不審者扱いされた私だが、ナショナルギャラリーのガードマンに呼び止められることはなかった。私たちはすぐに館内案内図を見る。どのエリアから鑑賞しようかと策を練るわけではない。まずはトイレの位置を知りたかったのである。
目的地は地下にあった。掃除の行き届いた綺麗なトイレで任務を終えた私たちは第二の目的である美術鑑賞のために1階にもどり時間の許す限り館内を歩くことにしたのである。日本にいたときも年に1,2度は美術館に足を運んでいたが、日本で催される企画展は入館料も高いが入館者も多く、時には絵を観にいったのか人の頭を観にいったのかわからないこともあった。しかし西洋の美術館は違う。広々しているし無料だし、好きな絵画をソファーに腰を下ろして何時間でも鑑賞することが可能なのだから。風景画でも人物を描いたものでもどんな絵でも自分の感覚にあったものは受け入れる私だが、たったひとつどうにも好んで鑑賞しようとは思わないジャンルがあった。それが宗教画である。案の定、宗教画が掲げられたエリアにきたら気持ちが悪くなり、絵を鑑賞するためではなく気分の悪さを解消するためにソファーのお世話になってしまったのである。しばらく休息して元の体調になった私は、その後しばらく宗教画以外の作品に触れた後、ナショナルギャラリーを後にした。

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第29話 昼下がりのコベントガーデン [ロンドン]

地下鉄ノーザンラインを乗り継いでレスタースクエア駅で下車する。乗車時間は乗り換え時間をいれても15分とはかかっていない。30年以上経たとはいえ、さすがに1年近く住んでいてほぼ毎日利用していたので、案内板を見上げたりガイドブックを開いたりすることなく移動できた。
地上に出てからわき道を通りコベントガーデン方面へ。この辺りもよくきたところなので迷うことなどない。途中インド料理店があったのでメニューをチェックする。明日の晩、つまりロンドン最終日のディナーはカレーと決めていたのである。インドが植民地であったからだろうロンドンには昔から美味しい本格的なインド料理店が多い。30年前にもインド料理店に連れていってもらったことがあるが、ビールを頼むときには冷えたビールをとあえて告げないとその辺に置いてある生ぬるいビールを持ってこられると同行者が言っていたことを思い出した。辛いカレーにはぎんぎんに冷えたビールでなければいけない。とりあえず値段だけをチェックしてコベントガーデンへ。ここにきたのには目的がある。ミニカーショップを訪れるのだ。奥さんにはそのことは伝えていない。たまたま店があったという筋書きで店に立ち寄り物色する予定だった。店はすぐにみつかった。住所を前日暗記していたのでたやすいことだ。ロンドンは通りの名前と番地を覚えるだけだから簡単なのだ。その店にはプラモデルなどは売っていない。道路沿いのショーウインドウにも様々なサイズのミニカーが陳列されている。店内に入ると子供の姿は見当たらない。いい大人ばかりだ。レジカウンターのいた店員が日本からきたカモにチラッと視線を向ける。店内はミニカーで溢れていてどこからみていいのかもわからない。視力の良くない私は少しでも鮮明に見えるようにと右手ひと指し指を目じりにあてて顔の外側に引っ張る。度の強いめがねをかければ済むことなのだが。そんな私の様子を他のお客が異様な目でみていることに気づいたが関係ない。奥さんもつまらなそうにそれほど広くはない店内を散策しているようだった。結局何ひとつ購入することなくその店をでた。事前調査で訪問すべきミニカーショップはパリにもある。あわててロンドンで買うこともないと思ったからだ。
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集中してモノを探していたからだろうか、店内の熱気の影響からか喉の渇きをおぼえた。奥さんも同様の様子なので通り沿いの小さなカフェスタンド、ロンドンだからティースタンドだろうか。とにかく軽食と飲み物を提供する小さな店に入る。店内にもテーブルと椅子はあったが、少しでも涼みたい心境だったので私たちは店に面する決して広くはない舗道に置かれたテーブル席を利用することにした。
久しぶりに飲むコーラが美味しい。私たちの横を時折ダブルデッカーやロンドンタクシーが通る。舗道を歩く人たちも店先でくつろぐ私たちに目を向けることはない。まあ別に気ぐるみをきているわけでもないただの東洋人が座っているだけだから注目することなくて当然なのだが。

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第28話 なつかしいチョークファーム駅 [ロンドン]

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サトウ家を後にした私たちは地下鉄チョークファーム駅まで歩いた。かつて毎日歩いた道、迷うはずがない。リージェンツパークロードにでてからプリムローズとは逆方向、つまり右手に行く。4,50メートル歩いていくと道幅は広いが車は通ることのできない橋にでる。その橋を渡ればチョークファーム駅まで1分とかからない。サトウ家から駅まで5分も要しないのだから、下宿先としては最高のアクセスだ。今日サトウ家に来たときのように、リージェントパークを突っ切れば徒歩ですら中心部にもいけるわけだから。ところで駅に通じる歩行者専用陸橋には3-4メートルはある塀があり橋の下が見えない。かつて私は下に何があるのかまったく関心がなかったのだが、ある日LONDON AZというロンドンの詳細地図を見て初めて知った。橋の下には地下鉄ではなく英国鉄道の列車が走っていたのだ。ユーストン駅からでた英国北部に向かう列車が走っていることになる。駅を出発して間もないので、列車の走行音も聞こえてこなかったのだろう。プリムローズ駅周辺は何もかわっていなかった。駅が高層の商業ビルになるわけもないのであたりまえといえばあたりまえだが、30年以上街並みが大きく変わっていないということは凄いことだと思う。駅入口のすぐ横には新聞・雑誌、菓子類や飲料、たばこなどを売る、今でいうコンビニのような小さな店があったが、その店もまだ健在だった。私もかつて学校帰りに雑誌やマーブルチョコなどを買った記憶がある。
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お馴染みのロンドン地下鉄マークが掲げられた入口から構内へ。といっても切符売場を含めても教室より小さいかもしれないが。ゲートでパスを通してから鉄格子のシャッターがついたリフト(エレベーター)で地下ホームまで降りていく。現代的な音も振動も少ないエレベーターに交換されているかと思ったら、鉄格子リフトも新しくなってはいなかった。何から何まで昔のままだ。体にかなりの衝撃を受けて地下で停まるとロンドン地下鉄を感じる何ともいえない生暖かく埃っぽい空気を頬に感じる。電車が駅に近づくにつれて、走行音がけたたましくホームに轟き、私の全身に生暖かい空気が激しく当たっていくのだ。でも決して嫌いではない。その瞬間自分が今間違いなくロンドンにいることを感じ取れるのだから。

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第27話 See You Again [ロンドン]

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話が33年前の話におよんだときのこと。私はこの周囲も随分変貌したことに驚いたと話した。そしてこの先にあった食料品店、インド人夫婦が経営していたあの店はどうなりましたかとたずねると、お二人が口をそろえてあの店はずい分と前になくなったという。しばし間をおいてパトリシアさんが私に疑問を投げかけてきた、「あなたは食事つきでここにいたんじゃなかったかしら?」というのである。余計なことを口走ってしまったと後悔しても時は戻らない。私は時々ペプシなどの飲み物を買いにいっていたとごまかした。お宅の夕食の量が少なかったから仕方なく通っていたとは口が裂けてもいえない。
会話をする中で知ったことだが、サトウ家では私と前後して50人あまりの学生さんが滞在していたとのこと。もちろん寝るだけのため、下宿先として利用していた学生もいただろうし、私のように完全なホームステイとして家族とどっぷり生活をともにした人もいただろう。しかし、今もってカードや手紙などによって交流がある人は私と、ドイツ人の二人だけだという。決して居心地が悪かったわけでもないだろうが、一宿一飯の恩義という言葉が西洋にはないのかもしれない。でも私がサトウ家でお世話になった日本人第1号ではないと当時きいていたのだが。
時計を見ると2時を過ぎていた。思い出話を含め双方話は尽きないが私たちも短いロンドンの滞在を有意義に過ごさなくてはならない。今日のノルマはこれからナショナルギャラリーに行くこと。もちろん1時間や2時間で観て回れるわけもないが、今日を逃すと時間がない。明日もテートモダンに行きたいし。私たちはおいとますることにした。これまで知らなかったメイルアドレスを交換し、スポールのマグカップの入った紙袋を忘れることなく私たちは席を立った。メイルアドレスを知ったということは、今後はクリスマスカードだけではすまない。近況報告を随時していかなくてはならないだろう。いかに平易な単語で自分の気持ちを伝えるか、英作文を必死に構成する自分を想像すると少しばかり気が重たくなった。玄関に行く狭い廊下でハグをして外に出る。ロンドンらしからぬ青空は広がっていた。そして玄関前の階段で記念撮影。パトリシアさんはご主人にぴったりと寄り添う。近いうちにまたお会いしましょう。お互いにそうはいったものも私たちがロンドンを訪れない限り会うことはないだろう。絶対近いうちにロンドンに帰ってきたい。私のロンドン行きたい熱が再び大きく燃え上がった瞬間である。

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第26話 SEIKOの置時計 [ロンドン]

ヒューが再び外出した後、ダイニングに移って豪華ランチとなった。丸テーブルは昔のままだ。ダイニングの周囲には昔同様棚があり、書籍などが無造作に置かれている。その棚にブルーの文字盤の時計を発見した。それは私がぬいぐるみの会社をおこしてロンドンに買い付けに来た際、サトウ邸によったのだが、そのとき持参した土産の時計である。30年近くを経過して文字盤周囲のクリスタル風の装飾こそ輝きを失っていたが、今もって確実に時を刻んでくれているようだ。私が時計の存在に気づき指差すと、ご夫妻ともそれはあなたからの贈り物だと覚えてくれていたのが嬉しい。もらってから故障もなく、1,2回電池を換えただけだそうである。さすが世界のSEIKOだ。
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前回訪問時はパトリシアさんの手料理だったが、今日のランチは近くの惣菜店で買ってきたポルトガル料理だという。さすが80歳を過ぎて4人前の献立を用意することはオーバーワークというところか。何枚もの大皿に美しくもられた料理は惣菜店で調達したものとは思えない。レストランで食しているのと同じである。サトウ家ではかつて毎夕食時には自家製ワインが供されていた。そのワインは私専用のバスルームの片隅で熟成されていたのである。ただし葡萄を原料とするワインを飲んだ記憶が私にはない。キャベツとか人参とか、パイナップルとか、とにかくデカンタに入れられたオリジナルワインを毎夜飲んでいたのである。しかし、今日はご主人が食卓横の棚の下から瓶詰めされたワインを取り出してきた。イタリア産の赤ワイン。原材料はもちろん葡萄だ。たずねるともう自家製ワインは製造していないそうだ。ワイン作りの苦労など当時の私は知る由もなかったが、結構手間がかかるのでギブアップしたそうである。
33年前の私の滞在時、私とサトウ家の契約は朝と夕食(サパー)付。そして代金は週払いというという条件だった。朝食は皆時間がまちまちなので、前夜食卓にパンやコーンフレークが用意されていて、紅茶が飲みたければお湯を沸かしていれればいいし、ミルクが必要なら冷蔵庫から自由に取り出すことができる。夕食は土日も含めサトウ家の家族と一緒。もちろん私に用事があるときはその旨を伝えておけば用意はされない。もちろん夕食代の返金もないが。サトウ家一家は週末を郊外の別邸で過ごすことが多かったが、その際は夕食になりうる食材をちゃんと冷蔵庫に入れておいてくれたものである。その郊外の別邸の敷地内では野菜を作っており、収穫された新鮮な野菜がサトウ家の食卓にはいつもあったので、野菜好きの私には本当にありがたかった。こちらの人は何でも火を通してしまうので生野菜が口に入ることは珍しいのである。それだけ新鮮な野菜が市場では手に入りにくいということなのかもしれないが。でもあるときボールに盛られたレタスなどの生野菜を自分の小皿にとり、フォークで食べようとした瞬間、私の目にレタスの葉の中で蠢く結構大き目の青虫が飛び込んできたときは仰天した。それからはがっつくことなく慎重に野菜を食することになったことはいうまでもない。そうした生野菜もふんだんに供されるサトウ家の食卓だったが、たまに量的に私の腹が不満をもらすことがあった。そうしたときにはすぐ近所に、インド人が経営する食料品店、自家製のスコッチエッグ(コロッケの中にゆで卵が入ったようなもの)なども豊富に売っていたので、夕食後小銭入れをもって閉店間際のその店を訪れスコッチエッグを買ったり、フィッシュアンドチップスの店に行ってポテトを調達したり、そして酒屋でビールも買ってきて部屋で第二ラウンドということもあった。

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第25話 サトウ夫妻の子供たち [ロンドン]

その後しばらく談笑していると玄関ドアが閉まる音がした。そしてリビングに登場。3階に住んでいる長男のヒューだった。彼は私より5,6歳は上だと思うので、もう60を過ぎているはずだがそうは見えない。昔とほとんどかわっていない。いまだ独身とのことだが、今何をしているのか、生業についてはきかなかった。私が住んでいた頃も、葡萄の収穫のためにフランスに行くといっていたから、フリーター一筋なのかもしれない。トランプを始めとするカードに精通しているようで、短時間のうちに日本の花札のことをいろいろたずねられた。何でもインターネットでその存在を知ったらしく、絵札の意味とか遊び方もかなり知っているようである。次回訪問時には花札を忘れずに持参しなくてはなるまい。
サトウ夫妻には男女二人づつお子さんがいた。私がお世話になっていた1975年当時。長男ヒューは30歳目前だったのだろうか、この家にいたが就職をしているようには思えなかった。銀行に勤務しながら秋にはフランスへ葡萄の収穫に行くということはないだろうから。ヒューの上にあまり年が離れていない姉がいた。滞在時数度しか私は彼女にあったことがない。彼女はセイロンかどこかの国の彼氏がいるらしく同居はしていなかったのだ。その長女、今は結婚して南アフリカに住んでいるそうで、サトウ夫妻も年に1度は娘のもとを訪れているとのことである。渡航時に機内の狭いシートに座ったままの道中が苦痛だと嘆いていた。次女ジョジーナは当時二十歳前後だったと思う。彼女は同居はしていたが、ほとんどはひげもじゃのボーイフレンドの家に泊まっていたようである。なぜならあまり夕食をともにした記憶が私にはないので。その彼女、12年前に訪れた際には私がサトウ邸にくることをきいて、旦那さまと会いにきてくれた、その当時で40歳になっていただろうが、髪も長いままでまったく昔とかわっていなかった。彼女もまた私のことを全然変わっていないといっていたが、どうみても社交辞令だったと思う。彼女の変わったところといえば、一緒にきた旦那さまが、ひげもじゃ男とは別人だったということぐらいだろうか。その彼女今はロンドン郊外に住み、旦那さまとコンピュータ関係の仕事をしているそうだ。そして末っ子が当時小学校3,4年生だったロレンツという男の子。サトウ夫妻の見ていないところで苛めてやろうかと思わせるような生意気なところはまったくない純朴な子供だった。夕食の後、私が退屈そうにしているとチェスをしようかと誘ってくれる気配りのできる小学生だった。彼とも12年前に会っているが、まず電話を通じての声がまったく昔と異なるので驚いた。当然だろう、二十歳を過ぎていたわけだから昔と同じ声のわけがない。会ってまたびっくり、私より大きくなっていたではないか。君はロレンツではない。ロレンツの背丈は私の胸までもないはずだといった覚えがある。そのロレンツは教師となり、結婚して子供もいるそうである。
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サトウご夫妻の目下の悩みは、子供や孫たちがきても半地下部分を売却してしまったため泊まるところがないということらしい。しかたなくこのリビングのソファーに寝てもらっているといっていたが、日本の住宅事情と比較すれば、客人の寝泊りするスペースは十二分にあると思うのだが。

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第24話 半地下売却 [ロンドン]

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床面積からいったら日本ではかなり大きな家の部類に入るサトウ邸も、生活のためか何年か前に半地下部分だけを売却したとのこと。その売却金でキッチンの改装、二階へつながる階段の踊り場の先、中庭側にバスルームを新設したそうである。確かにキッチンは中庭側から差し込む日差しのせいもあるだろうが、以前よりかなり明るい。新装サトウ邸を見てもらいたかったのか、私が興味ありそうな表情をしたからだろうか、ご主人が食事前に邸内を案内してくれたのだが、33年前とは大きく変貌していた。半地下売却に伴いリビングのある1階から半地下へおりる階段は当然ない。その場所に板が打ち込まれているので、ここに階段があったとは誰も思わないだろう。私専用のトイレもバスルームも収納スペースに様変わりしていた。二階へつながる階段の踊り場の先には明るいバスルーム兼トイレが新設されている。このバスルーム2方が大きなガラスであるためかとにかく明るい。もちろん周囲の住居からは丸見えだが、ブラインドを下げれば問題ないだろう。こんなところで陽の差し込む時間に、ぬるーいお湯に半身浴でもしながら本でも読んでいたら極楽である。毎日続けていたら脳みそが溶け出すに違いない。まあ日本人の感覚からいわせてもらえれば、トイレは別の場所に造ってもらいたかった。私の家ではないので口をはさむことではないのだが。二階の私がかつて住んでいた部屋が、今はパトリシアさんの寝室。別の下宿人さん向けの小ぶりの部屋がご主人のポールの寝室となっているそうだ。奥さんの寝室の方が倍以上広いとは。ご主人が優しいのか、サトウ家の力関係を象徴しているのだろうか。カップルが生活していた3階にはサトウ家の長男が今は暮らしているそうだ。
リビングでご主人の用意してくれたスパークリングで乾杯。サトウ家の家族のことや、私たちの今後の予定などをしばし話した。また日本から持参した京扇子のお土産をおふたりに贈呈。奥さんの従兄弟が京都の有名な京扇子屋さんだったので、市場価格よりお安く入手できたが、それでも結構なお値段である。フランスで会う約束をしているあと二組のご夫婦にも、同じ扇子を容易しているのだが、サトウ夫妻を含め、皆さん日本に興味のある方々なので、その美しさ、価値は理解してくれるに違いないと信じて持ってきたのだが。サトウご夫妻も大変喜んでくれたのでほっとした。もちろんもらったものを「何、これ」みたいに扱う人はいないだろうが。すると今度は奥さんから私たちにプレゼントが渡された。日本のお店ではありえないように雑に包装された小ぶりの箱がふたつ。私たちがきっと何かプレゼントをもってくるだろうと予測して、そのお返しを用意していたそうだ。その雑な包装紙を乱暴に破くと、かなり丈夫そうな箱が出現。青いふたを開けると中にはマグカップが入っていた。かつての冬のロンドンの光景が描かれたスポールの夫婦マグカップだった。別に夫婦ではないかもしれないが。荷物になるかもしれないがいっていたが、これだけしっかりした箱に収められていれば、スーツケースに入れて持ち歩いても中身が損傷することはないだろう。

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第23話 再会 [ロンドン]

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チャルコットロードに入って2,30メートル歩いたところがサトウ邸である。築200年近くを経た建物は半地下プラス地上3階建てが通りの端から端まで連なる長屋のようなもの。その中にサトウ邸もある。各家庭が個性をだそうと扉の色を変えたりしてはいるが、訪問者はそれだけでは判別できない。ドアの上にあるガラスに描かれている住所を示す番号がたよりだ。35とガラスに描かれたサトウ邸の前に立つ。いよいよサトウ御夫妻とのご対面である。私は5,6段ある階段をのぼり、ドア横のブザーを押した。
サトウ夫妻は開いたドアの向こう側で二人並んで私たちを迎えてくれた。私の奥さんは新婚旅行の際会って以来25年ぶり、私は12年ぶりの再会である。でも私から見ると私がサトウ家にホームステイしていた33年前とお二人とも容姿は全く変わっていない。もちろん33年の間に顔の皴は増えたが体型はまったく同じに見える。それに反して私は。12年前に再会した時以上に、今回はサトウ夫妻を驚かせたかもしれない。
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玄関ドアを入り、あまり幅のない廊下で軽いハグの後、右手にあるリビング兼ダイニングルームに通された。40畳以上はあると思われるリビングダイニングは周囲に飾られた装飾品に変化はあるが、ソファーや、円形のダイニングテーブル、椅子も変わっていない。ダイニングルームに続くキッチンは以前より明るくなったように感じたが。
リビングのソファーに座ってしばしマダムサトウ=パトリシアさんと近況報告を兼ねた談笑。その間、ご主人のポールはダイニングとキッチンを行ったり来たりしながら再会を祝すためのスパークリングワインを用意してくれているようだった。12年前に私が訪れた時はディナータイムだった。出張中の身だったので日中はお仕事に励み、夜は同行の上司に無理をいって自由時間をいただき訪れたのである。その時もテーブルに料理を運び、飲み物を提供するのはご主人のポール。パトリシアは私と話しながら、ご主人にあれこれと指示していたことを思い出した。もちろん夕食を作ったのは奥さんだろうが、それをサーブするのはご主人の役割になっているのだろう。
かつては半地下にご夫妻の寝室、末の息子さん(当時10歳ぐらい)、私と2,3歳しかかわらない(当時で二十歳前後)であろう次女の寝室、そして家族専用のバストイレがあったはずである。というのも私は滞在中一度たりとも半地下には足を踏み入れていなかったので。家族の領域を侵犯することはなかったのである。1階はリビングダイニングと食堂、そして私専用のトイレ、私専用のバスルーム。二階の道路に面した20畳以上はあったであろう部屋が私の住居、そして二階にはもう一部屋、8畳程度の部屋があった。その部屋もホームステイの学生さん向けに用意されていたものだが、私が滞在していた半年あまりの間には、フランス人女子学生が1カ月ぐらいいただけで、ほとんどは空室だったと記憶している。そして3階は第三者に貸していたようで20代半ばの若いイギリス人カップルが住んでいた。結婚していたのか同棲していたのかはわからないが。とにかくかつては半地下プラス3階がサトウ家の持ち物だったわけである。

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