SSブログ

第130話 ベラールさんの運転 [パリ]

私が出張でヨーロッパを訪れていた12年前のこと、ロンドンのオランダパーク近くのイタリアンレストランで取引先のイギリス人と夕食をとっていたとき、以前から彼の態度、もしくは性格、それとも彼が英国人であるということを不快に思っていたのか、ベラールさんは、突如彼を荒々しい言葉でののしりだしたことを思い出した。彼が失礼なことをいったわけではない。どちらかというと和やかに食事をしていたのだが。そのときのベラールさんは今にも血管が切れるのではと思うくらい興奮していた。同席していたフランス人の部下になだめられてその場は収まったが、ベラールさんは英国嫌いであるという一面を知らされた場面だった。そのベラールさんがミニに乗っている。BMWに移ってからのミニではない。リアにはGBと大英帝国を示す大きなエムブレムが取り付けられた英国生まれ育ちの最終版ミニクーパー40周年記念モデルである。奥さんの車であるにしろ、よく英国車を購入することをOKしたものである。ベラールさんも70代半ばにして人間が丸くなってきたのだろうか。
ゴールドのミニクーパー、中はローズウッドがふんだんに使用されているまさに小さな高級車である。高級車といえば大型車、どうして日本ではこういう小さな高級車が生まれないのだろう。生産しても売れないのかもしれない。私は日本人の感性を呪った。外観は小さいミニだが、中は意外にも広い、となればたいしたものだが、中はやはりそれなりに狭い。後部座席にすわった奥さんは、帰国後、ミニは乗り心地も悪いし、何より息苦しかったと嘆いていた。
DSC01423.JPG
ベラールさんはマニュアルシフトのミニを操り駐車スペースから車を出した。一方通行の駐車場内をかなりのスピードで走る。やがて地上へつながるらせん状の上り坂に入る。するとベラールさん、アクセルを踏み込み、タイヤをキーキー鳴らしながら地下7階から地上へ猛スピードで走るのだ。まるでフランス映画「タクシー」の一場面を見ているようであった。いくら対向車がこないことがわかっていても、ひとつハンドル操作を誤れば壁面に激突である。私のドア側アームレストを握る手も自然と汗ばむ。後部の奥さんは悲鳴をあげつつウインドウ上部に備えつけられたグリップを握りしめ地上への無事帰還を待っているようであった。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

第129話 ベラールさんの車 [パリ]

この日はベラールさんがパリ市内を案内してくれることになっていた。といってもベラールさんのことだから、ツアー客が観光バスに乗って連れて行かれるようなメジャーなスポットではなく、穴場というか通好みの地域を用意してくれているに違いない。
約束の9時少し前、ベラールさんから私たちの部屋に電話があった。すぐに部屋を出て階下に下りるとベラールさんはフロント脇のソファーに腰かけ分厚い本を開いている。何の本かと尋ねるとパリのガイドブックだという。外国人が来て私が地元の鎌倉を案内するときと同じ。その土地の住人はガイドブックを見なければ地元のことなんかほとんど知らないのである。ベラールさんもパリのガイドには慣れていないからと言って笑っていたが。今日はマレ地区を散策しつつ、ピカソ美術館を訪れ、その後モダンアートのポンピドーセンターを案内してくれるとのこと。ホテルの外に出るとベラールさんの車が目の前に停まっていてすぐに目的地へゴーかと思っていたが甘かった。すぐそばの駐車場を借りているのでそこまで歩くという。
ホテル横のソルボンヌ大学の入り口では、IDカードを見せながら賢そうな学生たちが次々と校内に消えていく。パンテオン前の大通りの舗道を少し歩くと、舗道にある小さな建物、小屋というべきかもしれないがその前でベラールさんは止まった。小屋の中に入るとボタンがある。「エレベーター?」と尋ねると頷く。何でもパリは駐車スペースがないので地下のいたるところにこうした公共の駐車場があるそうである。エレベーターに乗ってびっくり。地下10階以上あるではないか。ベラールさんの車は地下7階に停めてあるという。地震にあって生き埋めになったら何世紀も発見されないに違いない。
DSC01412.JPG
エレベーターを降りて私たちの少し先を大またで歩くベラールさんがある車の陰に突然消えた。車はワーゲンの最上級車種パサートだ。12年前は確かルノーに乗っていたが、さすがにもう少し余裕のある大きな車でないと疲れるのだろう。ベラールさんの後を追うと、何とベラールさんはパサートではなく、その隣のミニのドアを開けて中を片付けているではないか。「これがベラールさんの車?」ときくと頷いた。「これは奥さんのミニ。私の車は隣のワーゲン。でもパリ市内を走るにはミニが最適なので奥さんに借りてきた」という。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

第128話 戦闘機とエッフェル塔とエスカルゴ [パリ]

DSC01324.JPG
オルセーを出た私たちはセーヌを渡りシャンゼリゼまでのんびり歩いた。そしてシャンゼリゼを少し外れた裏道にあったカフェに入り、クロックムッシュとコーヒーでランチ。表通り沿いの店より高い値段設定には驚かされたが。現地人と観光客では価格が異なるのかもしれない。
DSC01319.JPG
シャンゼリゼと並行する広場ではフランスの航空宇宙産業誕生100周年を祝う展示が行われており、フランス軍のものと思われる戦闘機、軍用ヘリコプター、ロケット砲が掲載された大型トラック、ジェット機の部品などが陳列されていた。日比谷公園に戦闘機やロケット砲を積み込んだ自衛隊車両が陳列されていたら226事件の再来かと都民は驚くことだろう。シャンゼリゼを凱旋門までたらたら歩いた後、メトロに乗ってホテルにいったん戻ることにした。夜はパリの夕景を堪能すべくセーヌ川クルーズに乗船することにしていたのでそれまで一休みするためである。
DSC01357.JPG
DSC01372.JPG
セーヌ川クルーズの船はノートルダム寺院のすぐ横から出発した。クルーズ船にはデッキや船内でディナーをとれるものがあるようだが、私たちはエッフェル塔近くで下船、フェブレイ夫人が調べてくれたレストランにとりあえず行くことにしていたので船内では景色を眺めるだけ。船内でのお食事といっても天ぷらはでない。東京湾の屋形船とは趣が随分異なり、フランス料理のフルコースらしい。当たり前の話だが。乗船後しばらくすると夕闇のパリの空にエッフェル塔が浮かび上がってきた。しかしそのエッフェル塔、フランスのEU加盟何周年だか、EU発足何周年だかはしらないがEUカラーなのだろう全身ブルーにライトアップされていたのである。さらにフラッシュのような閃光がいたるところで時折放たれて落ち着きがない。私としてはセピアカラーのシンプルな自然なエッフェル塔が見たかったのだが。
エッフェル塔脇で下船した後、塔には登らず周辺の公園を散策、その後フェブレイ夫人推奨のレストランに向かった。セーヌ川をはさんでエッフェル塔を真正面に望む立地条件としては最高の店である。しかし店は繁盛しているようでかなりの待ち時間があるとのこと。それなりの店に行くときはやはり予約は必須なのだろう。明日は夕刻からのベラール夫妻とクラシックコンサートを前に、早朝からベラールさんが車で市内の小さな博物館とかポンピドーセンターを案内してくれることになっている。待ち時間は無駄と考え、私たちはメトロを乗り継いでカルチェラタンまで戻り、ホテル横のカフェでエスカルゴを食した後、就寝することした。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

第127話 オルセー美術館からの眺め [パリ]

DSC01261.JPG
パリ滞在3日目は唯一私たちだけで行動する日だった。とにかく二人とも行ったことのない所に時間を気にすることなく訪れたい。まずはメトロに乗ってオルセー美術館に向かった。メトロをおりて地上に出て少し歩くとオルセーはあった。目の前はセーヌ川だ。チケット売場前にはすでに小グループの学生たちが集まっている。ひとり9.5ユーロ(約1500円)ほど支払って館内に入る。イギリスと異なり、フランスはリヨンの美術館でも入場料をとられた。六本木の国立新美術館などでの展覧会とほぼかわらない額である。しかし展示物の質や量からいったら間違いなく安い。日本での催事では代表的な作品しか展示されないから1時間ですべて観て周ることだって可能だ。それに大変な混雑。作品を観ているのか人の頭をみているのかわからない。それに比べればこちらは混んでいるといっても開店したばかりのデパート程度だ。よそみをしていても人にぶつかるということはまずない。
DSC01281.JPG
もともと駅舎だった建物を美術館にしたのでオルセーは細長い。そこには19世紀中盤から20世紀初頭までの美術品が展示公開されている。それ以前の作品郡はルーヴル、それ以降はポンピドーセンターとパリの美術館はきちんと時代別に仕分けられているのだ。オルセーにはゴッホの「自画像」、ゴーギャンの「タヒチの女」、ミレーの「落穂拾い」をはじめ、コロー、マネ、ルノアール、ロートレックといった日本でも馴染みの画家たちの作品を収蔵している。オルセーには1日中いても問題ないのだが、それはパリ滞在に充分な時間があるときのためにとっておかなくてはならない。私たちは3時間余り館内をのんびりと歩き分厚い美術書のページをめくるようにして作品の数々を鑑賞した。
DSC01273.JPG
展示された絵画の合間にときおり大きな窓があるのだが、そこから眺めるパリの街並みの美しいこと。パリ中心部には高層建築が皆無、すべての建物の高さが統一されているのだから。セーヌを隔てたさらに遠方にはモンマルトルの丘に建つサクレクール寺院がぼんやりと見えていた。見事なまでに都市景観を守っていることに驚くとともに、ヒトラーの命に従わずパリを爆撃しなかったドイツ軍司令官に最敬礼である。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

第126話 ベラール邸でのディナー [パリ]


ダイニングテーブルを前にベラール夫妻、姪御さん、睦美、私と奥さんが座る。8人が一度に食事をしても問題ないほど大きなテーブルだが、すでに食器やグラスやパンがセットされている。中央部分だけ少し隙間があったがそこにはメインディッシュが置かれるのだろう。
DSC01224.JPG
とりあえず泡(シャンパン)で乾杯、その後ベラールさんが抜栓し皆のグラスにそそがれたのはボルドーのシャトーランシュバージュだった。日本のレストランでオーダーすれば福澤さんが3人いないと安心して頼めない銘柄である。ベラールさんは私がかつてワインの輸入商社に勤めていたことを知っているので私が有無を言わせぬ代物を選択したのかもしれない。もっともこちらは何もここまでのクラスのワインでなくても不平をいう気などさらさらないが。メインディッシュは長方形の器に大きく鮮やかな海老やタコが盛られたムニエルだった。もちろんロレッタさんのお手製である。大きなテーブルも前菜やメインディッシュ、様々な器であっというまに埋まってしまった。しばらくするとベラールさんが私に見せたいものがあるのでついてきないさいと言う。エレベーターに乗りこむのでコンビニにでもつまみを買いにいくのかと思ったらエレベーターは1階を通り過ぎ地下に。おりて少し歩くとベラールさんがあるドアの前でとまり鍵をあける。地下にあるいくつかの部屋はこの建物の居住者がそれぞれ管理するスペースなのか。それとも地下もベラールさん所有で貴重品が入っているので鍵をつけているのかもしれない。灯りをつけるとそこは酒蔵、セラーだった。
DSC01230.JPG
日本のレストランでもこれだけ保有しているところは少ないと思う。ボルドーワインを中心に、数々のシャンパンやブルゴーニュワインが棚で眠っていた。何でも気に入ったワインがあるとケース単位でオーダーしているそうだが、これをすべて飲み切るには連日パーティを催さなければならない。ベラールさんはその中から今日のラストはこれを開けようと手に取ったのでボルドーのシャトータルボ、これまた小売店で購入しても福澤さんおひとりさん、レストランならもうひとり以上は必要になるワインだった。
DSC01223.JPG
皆が待つ上階のダイニングルームにワインを持ち帰り、あっという間に空にした後にリビングへ移動、記念写真などを撮りながらしばし談笑。地下のセラーとここを行ったり来たりしながら朝まで居座りたかったがそうはいかない。名残惜しいがお暇することにした。ベラール夫妻とは翌々日クラシックコンサートに行くことになっているので今夜でサヨウナラというわけではない。私たちは睦美をメトロの駅まで送りがてら徒歩でホテルのあるソルボンヌ広場に向かう。ホテル横のカフェはまだ営業しており、何かつまめる程度の余裕は胃袋にあったがおとなしく部屋に戻ることにした。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

第125話 下半身無着衣ルックで現れた姪っこ [パリ]

エジプトやインド、中国、もちろん日本も含め、ベラールさんが訪れた国の歴史を物語る逸品が展示された棚には、私たちのお土産である京扇子がすでに綺麗に飾られている。さすが日本通のベラールさん、ディスプレイ用の小物もちゃんと活用されていた。最後にライトアップされた小雨にけむる日本庭園を見せられて睦美も言葉がない様子だった。雨の日本庭園も美しい。庭だけ見れば東京の料亭の雰囲気である。
DSC01217.JPG
邸内回遊が終わったので、さあディナーとはいかない。ひとまずリビングのソファに落ち着き談笑である。ベラールさんがシャンパンを開けグラスに注いでまわる。奥さんと睦美はロレッタさんとフランス語で話していたが、ロレッタさんは私の奥さんに気を遣って言葉を選び、さらにかなりゆっくりと話してくれているようだった。もちろんロレッタさんは英語でも話せるが、今日は奥さんの勉強のためということでフランス語を使ってくれているのだろう。
お土産として渡した「日本の色」という英語版写真集の話しとかロレッタさんの健康状態を話していると、大柄な女性がリビングに入ってきた。電話もチャイムもなっていないからこの家の鍵を持った人だろうから不審者ではなさそうだ。しかし彼女、下半身に何も身につけていないのである。私は目のやり場に困った。だが、ベラールさんもロレッタさんも何ごともないかのように私たちに彼女を紹介しはじめた。ベラールさんの姪御さんだった。年齢は40前後といったところか。しかしベラールさんは、「お客さんの前でそんな格好は失礼だ」と戒めないのだろう。私は不思議に思った。もしかすると何か障害をもった姪御さんで、こういう身なりは日常茶飯事、いちいち怒ったり注意したりしないに違いないと勝手に想像していた。
DSC01219.JPG
私は視力が悪い。姪御さんは下半身裸で乱入してきたのかと思っていたが、彼女はらくだ色のズボンを履いていただけと知ったのはその後しばらくたってからのことである。でも勘違いしていたのは私だけではなかった。睦美も最初仰天したそうである。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

第124話 息子のCDで迎える演出 [パリ]

ベラールさんの住んでいる住居のガードは固い。まずビルの入口脇にある操作盤で暗証番号を入力する。するとドアがあき、10畳ほどの広さの何もないロビーとなる。次にロビー突き当たりのドアの横にある内線電話で訪問先を呼び出し、相手が入室を許可するとそのドアが開くことになる。つまり二重のセキュリティーシステムになっているわけだ。昨日のように外から電話して「今着いたから開けて」といえば、ベラールさんが迎えにきてくれるのだろうが、私たちはその建物の流儀に従って入館したのである。
ベラールさんに入室を拒まれることもなく私たちは建物内に入ることができた。ロビーのドアを抜けると右手に大人4人が乗れるか乗れないかという小さなエレベーターがある。小さな東洋人が3人乗りこんだだけでも息苦しい狭さである。ベラール邸がある2のボタンを押す。エレベーターは大きな音を立てて上昇を始め、すぐに大きな音とともに停止した。2階だからあっという間である。
2階の住人はベラールご夫妻だけなので、エレベーターのドアが開くと、正面のベラール邸玄関ドアも開け放たれており、中にベラールさんと奥さんのロレッタさんが立っていた。と同時に私たちの耳に聞き覚えのあるメロディが飛び込んできた。音はベラール邸の中から聴こえてくる。それは昨日ベラールさんにお土産のひとつとして渡した次男のバンドのCDに収められた曲だった。ベラールさんらしい心憎いお出迎え。私たちは感激しながら美術館のようなベラール邸に再び入館したのである。
DSC01248.JPG
私はベラールさんにはここ数年の間にも何度か会っている。彼が来日したとき空港に迎えにいったりしていたのだ。でも奥さんのロレッタさんに会うのは12年振り。出張でパリを訪れた際、週末をノルマンディーのオンフルールや避暑地ド―ヴィルで一緒に過ごしたのである。その時オンフルールのハーバーの前で撮った写真をA4サイズに大きく伸ばして昨日ベラールさんに渡していた。
奥さんは入院するほど足が悪かったときいていたので心配していたが、今は回復しているようでひと安心。私たち夫婦は昨日ベラールさんに邸内の案内と邸内の美術品の数々を紹介してもらっていたが、睦美はベラール邸がリノベーションされてから訪れるのは初めて。そこでベラールさんが邸内を案内してくれた。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

第123話 逃げるが勝ち [パリ]

マネージャーは売り子さんの少し後方に立ち、彼女の接客の様子をチェックしているようだ。彼女のボーナスの査定に影響があるのだろうか。それとも私たちがブレゲの時計を販売するに相応しい人物かを鑑定しているのかもしれない。睦美が売り子さんに私の探している品名を告げる。睦美の左手はエルメスの存在を知らしめるかのようにいまだに不自然に顎の下あたりにあった。私は社長からプリントアウトされた商品リストを渡され「この時計の価格を」と依頼されていたので、その時計の品番、シリーズ名を暗記するとともに、その時計のデザイン、面構えまでしっかりと脳裏に叩き込んで日本を発っており、品番も睦美に伝えておいたのだ。
売り子さんは私たちのすぐ左手、入口に一番近い小さなショーウインドウの前に進み、中の品物が希望の商品であるといった。私の上着のポケットには折りたたまれたその商品リストがあるが、この場でそれを引っ張りだして照らし合わせるわけにもいかない。しかしそのショーウインドウの中では確かに社長の望みの代物が時を刻んでいた。これだこれだという顔を私がすると売り子さんは、これで一丁あがりと思ったのだろうか、時計の大きさはどのぐらいがいいのかと質問を投げかけてきたのである。私は掛け時計を探しているのではなく、この腕時計が欲しいのに何をとぼけたことをいっているのかと思った。しかし睦美の通訳によれば、時計の文字盤には使用する人の手の大きさに合うようにいくつかのサイズが用意されているようなのだ。さすが高級品は肌理が細かい。睦美はさらに私たちに日本語で一言つぶやいた「彼女フランス人じゃないね」。
売り子さんは私に手を差し出すようなそぶりをみせたが、時計を使用するのは私ではない。私は頼まれて調査にきただけ。日本のディスカウントショップとの間に大きな価格差があれば購入すべしとの指令をうけたにすぎないのだ。しかしここまで話しているのに売り子さんは、商品をショーウインドウから取り出すそぶりがない。飾り窓のようにウインドウ越しに品物を見て選べということか。するとマネージャーがようやく表舞台に登場し、私たちを奥の別室へ誘導するように売り子さんに告げたようだった。睦美の顔色が変化する。そして日本語で囁いた「奥に通されると購入しなくてはならない状況になる危険性があるよ」長居は無用、私たちは速やかに退店することにした。
DSC01204.JPG
DSC01200.JPG
捕獲される寸前で潜入調査先を脱出した私たちはその後ルーブル美術館へ。しかし館内に侵入して展示品を鑑賞することはなく、ただ外観を眺めるなどパリ市街地を徘徊、疲れたらカフェでワインを飲むなどして時間をつぶし、今夕のベラール邸での晩餐会に備えた。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

第122話 高級時計店ブレゲにて [パリ]

DSC01210.JPG
パリでは私の勤務先の社長から重要な業務の遂行を命じられていた。高級時計店ブレゲへの潜入調査である。社長が激務の最中に見つけた日本のインターネット激安ショップにおけるブレゲの価格と、現地価格との間にどの程度の差があるかを調べなければならないのだ。
ブレゲのショップは超高級ブランドショップしか見当たらないバンドーム広場に面している。外には体格の良い黒服のガードマン兼ドアマンが立ち観光客が気安く入れる雰囲気ではまったくない。最初からブレゲだけが目当ての顧客、もしくは少なくとも他ブランドと比較して購入を検討している人だけが重い扉を開いて入店を許される状況といえる。私たち夫婦だけならショーウインドウを除くことしかできなかったであろうが、今日は睦美嬢が一緒なので入店可能だ。なぜなら彼女の左手首には数年前に購入した馬具屋ヘルメスの腕時計が燦然と輝いているのだから。その価格は現在の彼女のパリでの1年間の生活費に匹敵するという。バブリーだった外資系証券会社勤務時代、後輩のお供でハワイのショップに立ち寄った際、衝動買いした代物だそうだ。彼女いわく「今なら絶対手をだせない」という逸品である。これさえ身につけていれば、冷やかしで入店してきた日本人観光客とは思われないであろうというのが彼女の推測だった。
彼女は不自然に左手首を露呈し、エルメスの印籠を見せつけつつ「早くドアを開けなさい」とドアマンを威嚇した。小さな彼女がバンドーム広場の一角でマグマ大使のように大きく見えた。ドアマンはニコリともせずドアを開けた。彼女に続いて私たちも店内に入る。奥行きはありそうだがとにかく中は薄暗い、店内の左手に小さなショーウインドウが奥までいくつかあるが、商品を照らしだすそのショーウインドウ内の照明だけでショップ内の明るさを確保しているようにも思えた。私たちが入店するとすぐさま若いパリジェンヌらしき売り子さん(この表現はマッチしないかもしれないが)がマネージャーらしき男性とともに私たちのもとにやってきた。私たちの背後にはなぜかさきほどのドアマンが立っている。彼らも私たちとともに入店してきたのだ。東洋からきた不審者たちを監視しているのかもしれない。売り子さんは最初英語で話しかけてきたが、睦美が英語で応えることなく流暢なフランス語で対応したので、その後の交渉はフランス語で進んだ。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

第121話 自動車ジャーナリストと間違えられる [パリ]

DSC01156ss.jpg
私はマイクラをあきらめて土産用の車を探すことにした。ベントレーのセダンを購入しようと決めていた私がベントレーはどこにあるかとたずねると彼は即座にそれが鎮座するショーウインドウの前に誘導してくれた。ベントレー購入を即決すると彼はショーウインドウを開けて中からそれを取り出しレジに戻っていった。私としてはじっくりと店内を見て回りたかったが次の約束もある。ひととおり店内を歩いて、最近の日本では見かけた記憶のないボルボアマゾンのミニカーと、息子用に柄の綺麗だった有名ライダーのヘルメットのミニチュア版と購入することにしてレジに向かう。
ベントレーとボルボアマゾン、そしてヘルメット、3点お買い上げで119ユーロとか。結構なお買い物である。日本で購入した方が安いくらいだ。私は、これらを日本で手に入れることはできない、だからこの値段は妥当だと、自分に言いきかせた。するとスキンヘッド男、119ユーロだが、99ユーロに値引きするという。結構アバウトな商売をしているようである。それとも定価そのものがアバウトなのかもしれない。ところがここで問題がおきた。本来収まっているべきプラスチックケースが見当たらないというのだ。このベントレーは土産用だからケースは不可欠である。奥の親父さんも加わり店内や店奥を探し回った末、やっとこ見つかった。彼はプラスチックケースにベントレーを収め、裏側からネジでしっかりと固定した後、薄っぺらな紙袋に3品を入れて私に差し出した。
せっかくなので店内の写真をとってもいいかと彼に尋ねると彼も親父さんも快諾してくれた。私がデジカメのシャッターを店内各所できっている最中、彼らは奥さんに「旦那は日本のジャーナリストか」とたずねたそうである。ちょうどパリオートショーの最中だったので、この数日の間に、何人かの日本からきた自動車ジャーナリストがこの店にやってきていたのかもしれない。私はレジの横に山積みになっていた白や淡いブルーのフィアットチンクェチェンコを買えばよかったと後悔しつつ店を出た。あれを買えば総額150ユーロになっていただろう。それでも彼は99ユーロにしてくれたかもしれない。それほど大雑把な商売はしていないだろうが。店の外に、朝から東洋人の残した土産物のせいでトイレ掃除を余儀なくされ、怒りにふるえるカフェの金髪パリジェンヌが立っていなかったので、奥さんはほっとした様子だった。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。