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第26話 SEIKOの置時計 [ロンドン]

ヒューが再び外出した後、ダイニングに移って豪華ランチとなった。丸テーブルは昔のままだ。ダイニングの周囲には昔同様棚があり、書籍などが無造作に置かれている。その棚にブルーの文字盤の時計を発見した。それは私がぬいぐるみの会社をおこしてロンドンに買い付けに来た際、サトウ邸によったのだが、そのとき持参した土産の時計である。30年近くを経過して文字盤周囲のクリスタル風の装飾こそ輝きを失っていたが、今もって確実に時を刻んでくれているようだ。私が時計の存在に気づき指差すと、ご夫妻ともそれはあなたからの贈り物だと覚えてくれていたのが嬉しい。もらってから故障もなく、1,2回電池を換えただけだそうである。さすが世界のSEIKOだ。
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前回訪問時はパトリシアさんの手料理だったが、今日のランチは近くの惣菜店で買ってきたポルトガル料理だという。さすが80歳を過ぎて4人前の献立を用意することはオーバーワークというところか。何枚もの大皿に美しくもられた料理は惣菜店で調達したものとは思えない。レストランで食しているのと同じである。サトウ家ではかつて毎夕食時には自家製ワインが供されていた。そのワインは私専用のバスルームの片隅で熟成されていたのである。ただし葡萄を原料とするワインを飲んだ記憶が私にはない。キャベツとか人参とか、パイナップルとか、とにかくデカンタに入れられたオリジナルワインを毎夜飲んでいたのである。しかし、今日はご主人が食卓横の棚の下から瓶詰めされたワインを取り出してきた。イタリア産の赤ワイン。原材料はもちろん葡萄だ。たずねるともう自家製ワインは製造していないそうだ。ワイン作りの苦労など当時の私は知る由もなかったが、結構手間がかかるのでギブアップしたそうである。
33年前の私の滞在時、私とサトウ家の契約は朝と夕食(サパー)付。そして代金は週払いというという条件だった。朝食は皆時間がまちまちなので、前夜食卓にパンやコーンフレークが用意されていて、紅茶が飲みたければお湯を沸かしていれればいいし、ミルクが必要なら冷蔵庫から自由に取り出すことができる。夕食は土日も含めサトウ家の家族と一緒。もちろん私に用事があるときはその旨を伝えておけば用意はされない。もちろん夕食代の返金もないが。サトウ家一家は週末を郊外の別邸で過ごすことが多かったが、その際は夕食になりうる食材をちゃんと冷蔵庫に入れておいてくれたものである。その郊外の別邸の敷地内では野菜を作っており、収穫された新鮮な野菜がサトウ家の食卓にはいつもあったので、野菜好きの私には本当にありがたかった。こちらの人は何でも火を通してしまうので生野菜が口に入ることは珍しいのである。それだけ新鮮な野菜が市場では手に入りにくいということなのかもしれないが。でもあるときボールに盛られたレタスなどの生野菜を自分の小皿にとり、フォークで食べようとした瞬間、私の目にレタスの葉の中で蠢く結構大き目の青虫が飛び込んできたときは仰天した。それからはがっつくことなく慎重に野菜を食することになったことはいうまでもない。そうした生野菜もふんだんに供されるサトウ家の食卓だったが、たまに量的に私の腹が不満をもらすことがあった。そうしたときにはすぐ近所に、インド人が経営する食料品店、自家製のスコッチエッグ(コロッケの中にゆで卵が入ったようなもの)なども豊富に売っていたので、夕食後小銭入れをもって閉店間際のその店を訪れスコッチエッグを買ったり、フィッシュアンドチップスの店に行ってポテトを調達したり、そして酒屋でビールも買ってきて部屋で第二ラウンドということもあった。

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第25話 サトウ夫妻の子供たち [ロンドン]

その後しばらく談笑していると玄関ドアが閉まる音がした。そしてリビングに登場。3階に住んでいる長男のヒューだった。彼は私より5,6歳は上だと思うので、もう60を過ぎているはずだがそうは見えない。昔とほとんどかわっていない。いまだ独身とのことだが、今何をしているのか、生業についてはきかなかった。私が住んでいた頃も、葡萄の収穫のためにフランスに行くといっていたから、フリーター一筋なのかもしれない。トランプを始めとするカードに精通しているようで、短時間のうちに日本の花札のことをいろいろたずねられた。何でもインターネットでその存在を知ったらしく、絵札の意味とか遊び方もかなり知っているようである。次回訪問時には花札を忘れずに持参しなくてはなるまい。
サトウ夫妻には男女二人づつお子さんがいた。私がお世話になっていた1975年当時。長男ヒューは30歳目前だったのだろうか、この家にいたが就職をしているようには思えなかった。銀行に勤務しながら秋にはフランスへ葡萄の収穫に行くということはないだろうから。ヒューの上にあまり年が離れていない姉がいた。滞在時数度しか私は彼女にあったことがない。彼女はセイロンかどこかの国の彼氏がいるらしく同居はしていなかったのだ。その長女、今は結婚して南アフリカに住んでいるそうで、サトウ夫妻も年に1度は娘のもとを訪れているとのことである。渡航時に機内の狭いシートに座ったままの道中が苦痛だと嘆いていた。次女ジョジーナは当時二十歳前後だったと思う。彼女は同居はしていたが、ほとんどはひげもじゃのボーイフレンドの家に泊まっていたようである。なぜならあまり夕食をともにした記憶が私にはないので。その彼女、12年前に訪れた際には私がサトウ邸にくることをきいて、旦那さまと会いにきてくれた、その当時で40歳になっていただろうが、髪も長いままでまったく昔とかわっていなかった。彼女もまた私のことを全然変わっていないといっていたが、どうみても社交辞令だったと思う。彼女の変わったところといえば、一緒にきた旦那さまが、ひげもじゃ男とは別人だったということぐらいだろうか。その彼女今はロンドン郊外に住み、旦那さまとコンピュータ関係の仕事をしているそうだ。そして末っ子が当時小学校3,4年生だったロレンツという男の子。サトウ夫妻の見ていないところで苛めてやろうかと思わせるような生意気なところはまったくない純朴な子供だった。夕食の後、私が退屈そうにしているとチェスをしようかと誘ってくれる気配りのできる小学生だった。彼とも12年前に会っているが、まず電話を通じての声がまったく昔と異なるので驚いた。当然だろう、二十歳を過ぎていたわけだから昔と同じ声のわけがない。会ってまたびっくり、私より大きくなっていたではないか。君はロレンツではない。ロレンツの背丈は私の胸までもないはずだといった覚えがある。そのロレンツは教師となり、結婚して子供もいるそうである。
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サトウご夫妻の目下の悩みは、子供や孫たちがきても半地下部分を売却してしまったため泊まるところがないということらしい。しかたなくこのリビングのソファーに寝てもらっているといっていたが、日本の住宅事情と比較すれば、客人の寝泊りするスペースは十二分にあると思うのだが。

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