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第69話 ワイン街道を行く でも携帯電話がつながらない 公衆電話もかけられない [ニュイサンジョルジュ]

クーシェ(Couchey)から先は集落、ブドウ畑、集落、ブドウ畑集落の連続だった。ニュサンジョルジュに向かうにはおばさんの家の前でUターンして国道74号線という幹線道路を通ればもっと早く着いたのだろうが、幹線よりも1本奥、黄金の丘の中腹を貫くこの狭い道を通ることで、ワインのラベルでお目にかかったことのあるフィサン(Fixin)、ジブレイシャンベルタン(Gevrey Chambertin)、モレサンドニ(Morey St Denis)、クロデタール(Clos de Tart)、シャンボールミュズニー(Chambolle Musigny) ブージョ(Vougeot)、エシェゾー(Echezeaux)、ボーヌロマネ(Vosne Romanee)、など有名な村の数々を通過できたことは幸運だったといえるだろう。さすがに立ち寄りはしなかったがブルゴーニュワインの最高峰ロマネコンティ(Romanee Conti)の畑のそばも通ったのである。ロマネコンティが育つブドウと同じ空気を至近で吸えたことは私の将来に少なからず良い効果をもたらすに違いない。
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ブージョに着いた頃、時計は2時を過ぎていた。ニュサンジョルジュ村の近くまできたらフェブレイさんに電話をいれることになっていたので私は車を停め連絡することにした。20年以上会っていない、声もきいていない相手である。私は携帯電話に登録しておいた彼の会社の番号をプッシュした。ところがつながらないのである。世界中どこでも使える、繋がるが謳い文句の携帯といっても、周囲がブドウ畑だらけのこの場所では電波が届かず通じないのだろう。こうなれば公衆電話しかない。しかしこんな村に公衆電話があるのか。ところがすぐにそれは見つかった。何かの施設の大きな駐車場の一角に電話ボックスがあったのである。私は小銭の入った財布を持ってボックスに入った。ところがそこには小銭の投入口はない。何か専用のカードが必要な電話のようだ。利用者が投入した現金が収納されている状態で電話機を放置することなど異国ではありえないということだろう。少なくなったとはいえ利用者の投入した現金がいつも収納されている公衆電話が街中に点在する日本の治安の良さにあらためて感動した。しかし日本を賞賛している場合ではない。これから訪れる相手と連絡がとれないのだから。
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私は途方にくれた。しかし、目的地の至近にいることは間違いない。ニュサンジョルジュの村に入って尋ねれば、世界に名の知れたフェブレイワインの名を知らない人はいないだろう。容易に辿り着くであろうとも思った。ならばここで腹ごしらえ。私たちはいまだに昼食にありついていなかったことを思いだしたのである。車をその場所に無断で少々停めさせてもらって、ブージョのダウンタウン、といっても人はまったく歩いていないのだが、車中から見つけたカフェで軽い昼食をした後、目的地に入ることにした。

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第68話 親切なクーシェのおばさん [ニュイサンジョルジュ]

おばさんは教会を出た頃から私たちの存在に気づいたようで明らかに不審者に近づくような様子で恐る恐る私たちに向かって歩いてくる。おばさんにとって初めて遭遇する東洋人なのかもしれない。パニックになってもおかしくはない状況である。怖いのなら近寄ってこなければいいのにと思っていたが、どうやらおばさんは私たちが車を停めたホテルの隣の住人のようである。私たちの横を通り抜ける瞬間、奥さんがフランス語で声をかけた。「ちょっとおばさん、ここはどこなの?ニュイサンジョルジュにはどうやっていけばいいのさ」と尋ねたのだろう。推測だが。ここで尋ねることはそれしかない。サルコジ政権に不満はないかなど遠くの国からきた異人が村民に意見を乞う必要はないのである。
おばさんは笑顔でまくしたてた。耳慣れた地名がいくつか私の耳にも入ってきたので、多分おばさんはここからいくつかの村を過ぎればニュイサンジョルジュだと教えてくれたのだろう。「メルシーボクゥー」という奥さんに、おばさんはどこからきたのか尋ねたのだろう。黄金の国、日本というと大げさに驚いたような表情とそぶりをした。日本から車で来たと思ったのだろうか。別れ際に記念写真を撮らせて欲しいとお願いするとおばさんは快諾した。髪と服装を整えた後、奥さんとともにカメラに収まってくれたのである。おばさんはその夜の夕食時、若しくは翌日の晩も、その次の晩も、収穫で疲れきった家族の面々の体調などお構いなしに、日中出会った謎の東洋人夫婦についてしゃべり続けるに違いない。私たちはおばさんが家に入るのを見届けた後、車に乗り込み再び石畳の坂を登り始めた。
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おばさんは私の予想通りのことをいっていたようで、この先を左に折れて小さな村をいくつか過ぎればニュイサンジョルジュに着くと言っていたとか。おばさんの言ったように坂を登りきって左に曲がるとすぐに家並は途絶えた。ひとつの集落=村を過ぎたということだろう。私たちがおばさんと出会った場所がどこなのかは尋ね忘れたが、看板を見る限り、クーシェ(Couchey)という村らしかった。

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