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第77話 フェブレイ邸に定住者なし [ニュイサンジョルジュ]

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オフィス棟の入口左手にフェブレイ邸があった。といっても今のご主人はフェブレイさんではない。フェブレイさん夫妻はレマン湖近くに移住している。エルワンが定住しているのかと思えばそうでもないらしい。エルワンは5年近く付き合っている彼女と、村の別のアパルトメントに暮らしているという。ならば娘さん?しかし彼女もスペイン国王に似たフランス人と同棲しているとか。つまり現在はフェブレイさんがニュイサンジョルジュに戻ってきた時に利用しているだけのようだ。せいぜい年に3,4回。日数にしたら30日もないに違いない。私たち家族が移住してきても良いのだが。
フェブレイさんは私たちを奥さんに会わせたかったようだが、どこかに外出していていまだ帰宅していないようなのでオフィス棟に入った。オフィス棟の正面玄関から入るのは初めて。先ほどは裏の通用口からお邪魔してしまったようだ。正面ドアをあけるとちゃんと受付があり、カウンターの向こうには受付嬢というか受付おばさんがいて帰り支度をしているようだった。フェブレイさんは彼女に奥さんの所在をたずねたようだが、彼女も知らないようである。受付横の木製階段を登ると、歴代フェブレイ社当主の肖像画が並ぶ先ほどの廊下にでた。廊下の左右にある各部署を訪れ私たちを紹介する。海外取引先との窓口となるセクションにも立ち寄ったが、私の知る人はもう誰もいない。ボアゾンという輸出部長も来日したことがあり、そのときも私が鎌倉を案内し小さな我が家にも立ち寄った。長男がまだ赤ん坊のときのことだ。骸骨のような形相の彼をみて長男が泣き出さないか心配だったが、ディズニーランドのアトラクションにでも入り込んだと錯覚したのか笑顔を見せてくれて安心した記憶がある。
私はフェブレイさん同様、そのボアソンにも毎年誕生日とクリスマスにカードを送っていた。しかし私よりも4,5歳年上だった彼。エルワンが引き継いで間もなく、若返り策の一環として退職を余儀なくされたそうである。今はロアールのワイン会社で働いているときいたことがあるが定かではない。
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第76話 樽が並ぶ巨大な地下空間 [ニュイサンジョルジュ]

エルワンの作業を眺めているとフェブレイさんが戻ってきた。話し込んでいたのはイタリアの主要取引先だそうで、さきほど入口付近で見かけたマセラッティはその人の所有車とのこと。ではフェブレイさんの車はどれだったのか、何なのか。私の謎は深まり楽しみも増えた。
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フェブレイさんについていくと大きなエレベーターに乗せられた。ここに展望台があるわけはないから多分地下に下りるのだろうと推測した。フォークリフトが載ることもできるエレベーターをおりると、そこには無数の木樽が綺麗に詰まれていた。トンネル状に広がる酒倉(カーブ)である。上のタンクで発酵したワインをこの木樽に詰めかえ、ここでしばし熟成させるのだろう。私たちの目に入った木樽はどれも新しい。
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ひとつをのぞくと2008 Chambertin Clos de Bezeと刻印されている。できたてのほやほやである。トンネルはどこまで続くのかわからない。とにかく広大でため息がでる。他人の土地の地下を勝手に掘り進んで酒倉を作ったとは思えないから、この上もフェブレイ社の土地ということか。だとするとかなりの土地持ちである。もっとももともとは葡萄栽培をする農民なわけなので土地を保有していて当然といえば当然だ。土地持ちでなくては工場だって建てられない。初めて見る酒倉に感動しつつ私たちは再びエレベーターに乗り込み地上に戻った。
フェブレイさんが私たちに別の酒倉を見せてくれるという。ここだけではなくまだ他にもあるということか。移動のため一旦施設を出て、中庭を通り、アーチ型のトンネルを抜けて通りにでる。フェブレイさんご夫妻への土産物を持参していないことに気づいた私は部屋にかけあがり紙袋に入れておいた土産一式をもって再び合流した。
徒歩で先ほど最初にフェブレイさんと25年ぶりの再会をしたオフィス棟に向かう。歩いて2,3分の距離だったが他の通行人を見かけることもなく、走ってくる車もない。ボートンオンザウオター以上に静かな村である。歩いている間、会話しているときをのぞけばずっとフェブレイさんは鼻歌を口ずさんでいた。後できづいたことだが、フェブレイさんは絶えずこの同じ鼻歌を口ずさんでいたのである。曲は何だかわからない。アメリカ国家のようでもあるが、別の曲にも聴こえる。次回訪れた際も口ずさんでいたら確認しようと思う。
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第75話 7代目登場 [ニュイサンジョルジュ]

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小休止の後、私たちは意味のなさそうな部屋の鍵を一応閉めて中庭にでた。フェブレイさんは選別作業をしている女性たちと何か話していた。選別作業で不合格とならなかったワインがどのような工程でワインに成長していくのか、施設内を移動しながらフェブレイさんは順追って説明してくれた。中庭から建物内に入ると直径・高さとも5メートルはあろうかという大きなタンクが数十個両側に並んでいる。ブドウを発酵させるタンクだ。タンクの横にはブドウの収穫された畑の名前が記された大きなラベルがはられている。すべてのタンクはコンピュータ管理されていて、施設内の壁に設置されたモニターを通して、それぞれのタンク内の状況がチェックできるシステムになっているという。人の手、目による作業を重視する工程もある一方、ハイテクも駆使してよりいっそう品質の維持に取り組む。ブランドに胡坐をかくことなくフェブレイブランドの向上に努める姿勢を強く印象付けられた。フェブレイさんの説明に耳を傾けながらゆっくり施設内を歩いていると反対側から若い男が歩いてくる。彼こそがフェブレイさんの次男坊、7代目フェブレイ社長となったエルワンだ。彼とは私も初対面。彼はまだ30歳になっていないはずだがスキンヘッドにしている。フェブレイさんの遺伝子を受け継ぎ頭髪の状況がかなり悪いに違いない。それをカモフラージュするためのスキンヘッドなのだろう。彼は私たちと簡単な挨拶を交わすと施設の奥に消えていった。
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施設内にはフェブレイワインの取引先だという先客がいて、途中フェブレイさんは「ちょっとこの辺を見学していて」という言葉を残して、そのお客さんの方に向かった。私たちはタンクに沿って施設内を移動する。すると壁側からタンク内に何かを突っ込んでかきまぜている若者がいた。エルワンだ。彼もまた社長でありながら現場に立ってブドウと直につきあっている。こちらにきたらという誘いを受けてエルワンの立っている場所に向かう。
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タンクとタンクの間に梯子があり、その梯子は登ると各タンクの中がのぞける高い場所に位置する狭い渡り廊下のような通路につながる。エルワンはタンクに先端に平板がついた長い棒を突っ込み、発酵中にタンク上部に浮きでた果帽といわれる果皮や種を果汁に押し込むピジャージュという作業をしていたのだった。腕で額の汗をぬぐうジェスチャーをしながら大変な力仕事だという。それはそばで見ていれば十分理解できた。

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第74話 スイートルーム以上のVIP用アパルトメント [ニュイサンジョルジュ]

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鹿鳴館にありそうな広く緩やかなカーブを描く階段をのぼった正面に私たちが2晩お世話になるVIP用アパルトメントの扉があった。旧い建物だから鍵は旧式で、蹴飛ばせば容易に開いてしまいそう。中に入ると大きなソファと大型テレビの置かれたリビングルーム。しかしプチホテルのロビーやラウンジより広い。天井も異様に高い。リビングはキッチンにつながっていた。7,8人は座れる大きな円卓が置かれ、これまたパーティーができるほど広い。コの字型に設置されたシステムキッチンの幅は広く何十枚の大皿を置いても問題なさそうだ。大型冷蔵庫には朝食に必要なバターから牛乳、卵やミネラルウオーターも収納されていた。数十本収納可能な定温ワインセラーにはフェブレイさんのところで作られたワインが何本か寝かされている。フェブレイさんは、この食材もワインも私たちのために用意したものなので全部使っていいという。いくらなんでも2泊3日では消費しきれない量だと思ったが。
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リビングをでると廊下があり、中庭に面して二つのベッドルームがあった。どちらか好きな部屋を使ってくれとのことだった。両部屋とも一流といわれるホテルのベッドルームよりはかなり広い。テレビはないが、大きなクローゼットと必要最小限の照明は確保されていた。廊下の奥にトイレとバスルーム。これまた広いがバスタブは設置されておらずカーテンで仕切られたシャワールームがあるだけだった。ホテルのスイートルームよりも広い部屋というか住居を提供してくれるのだから贅沢をいってはいけない。重要顧客用の宿泊施設を造ったからブルゴーニュにきたら是非利用しなさいといわれてから15年ぐらいはたっただろうか。まさか自分が本当に利用させてもらえることになるなんて思っていなかった。一方フェブレイさんは、社交辞令で言っただけなのに、まさか図々しく本当に利用するとは想像していなかったに違いない。日本人は謙虚というレッテルがフェブレイさんの脳裏から剥がれたことだろう。
「ひと休みしたら施設内を案内するから中庭にいらっしゃい、私はしばらく階下にいるから」というフェブレイさんのお言葉に甘え、小一時間、奥さんいわく広すぎてくつろげない部屋で長時間ツーリングの疲れを癒すことにした。

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第73話 25年ぶりの再会 [ニュイサンジョルジュ]

25年ぶりの再会である。もともと頭髪がふんだんにあったという記憶はないが、彼の頭部の状況はいっそう悪化している様子だ。もちろん彼も私の変貌振りに驚いたであろう。開口一番随分遅かったねといわれたので、私は高速道路で事故があり渋滞したこと、さらに道に迷ったことも説明した。彼は長旅の私たちを気遣ってくれたのだろう。オフィスやカーブ(酒倉)の案内は後にして、疲れているだろうからとりあえず宿舎であるVIPアパルトメントに行こうといってくれた。そして私たちは今歩いてきた迷路のような通路を逆戻りして駐車場まで戻ったのである。今度はフェブレイさんが明かりを点けたり消したりしながら。
VIP用アパルトメントはここからすぐ近くにあるとのことだった。最初フェブレイさんは私たちのオペルに乗り込み案内するつもりのようだったが、オペルの後部座席は倒され大きなスーツケースが積まれていて私たち以外の第三者が乗車できるスペースがないことに気づくと、自分は歩いていくから先に行ってくれという。門をでたら右折して橋の手前をさらに右折してしばらく走ると縦にFAIVELEYの看板が掲げられた建物がある、そこがVIP用アパルトメントだという。
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建築されてから何世紀も経ていると思える石造りの建物の2階がVIP用アパルトメントだった。1階には顧客を招いてのテイスティング(試飲会)やセミナーを開く大きな会議室があり、その他はワイン造りに従事するするスタッフの事務室と宿舎になっているそうだ。道路から外れ小さなアーチ状のトンネルを抜けると周囲を貯蔵庫などで囲まれた作業場を兼ねた中庭にでる。中庭は広く、周辺の著名な畑から収穫されたばかりのブドウを満載したトラックが何台かとまっていた。隅の方では何人かの女性たちが、持ち込まれたブドウをひと房づつ手にとって丁寧に選別していた。この手間のかかる作業があるからこそFAIVELEYのワインは世界で高く評価されているのだろう。選別作業をしている人の中に娘がいるとフェブレイさんがいう。今現在フェブレイさんはリタイヤして事業を次男坊に譲り、スイスのレマン湖畔に移住した身だが、元社長の娘、現社長の姉であっても汗を流す、現場第一主義を貫いているのだろう。日本のドラマにでてくるような高級外車を乗り回すわがまま令嬢とは随分差がありそうだ。

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第72話 フェブレイ社到着 [ニュイサンジョルジュ]

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フェブレイ社の正門?は日本の工場のように幅がある。ワインを積み込む大型トラックが出入りするからであろう。構内に入ると両脇に自家用車が停まっている。従業員のものだろうか。門近くに駐車している青いマセラッティ・クアトロポルテはフェブレイさんの車かもしれない。フランス人がイタ車に乗ってはいけないという決まりはないのだから。
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私はゆっくりと車を走らせ社屋への入り口、つまり玄関か通用口を探した。すると突き当たりとなってしまい道なりに左手におりていくしかなくなった。下り坂をゆっくりとおりると、再び広いスペースに出た。建物の両側にはプラットホームが設置されている。ここはトラックを横付けしてワインを積み込む倉庫なのだろう。しかしシャッターはおりており、積み込むトラックもない。もちろん内部につながるであろうドアも見つからない。私は大きく車をユーターンさせ再び今きた道を戻り門に向かった。するとさきほどはなかったが、フェブレイのシンボルマーク、ブドウを踏み潰しているライオンが描かれたルノーの小さなトラックが停まっていた。そしてその横の建物に先ほどは気づかなかったがドアがある。インターフォンのようなものも見える。私は車を邪魔にならないところに停めてその入口に向かった。
インターフォンを押してしばらくすると男がでた。私の名前とフェブレイさんに面会にきたと英語で伝えると、英語ですぐにいきますとの答えが返ってきた。さすが世界各国と取引のある企業だけのことはある。社内では英語も公用語なのだろう。しばらくすると扉があき大柄な男が立っていた。もちろん面識のない人物である。彼は私たちの車がどこに駐車しているかを確認した後、私たちを建物内に招きいれた。そこは先ほどの倉庫につながる作業場なのだろうか。ワインの入った段ボールや木箱が山積みにされたパレットがいくつか見受けられる。稼動してはいなかったが男の背後にあるのはベルトコンベアだろう。そこで男に再びフェブレイさんに会いに私たちははるばる日本からやって来たと告げた。すると彼はポケットから携帯電話を取り出して誰かに電話をかけた。もちろんフランス語である。電話を切ると彼は、フェブレイのところに案内するという。どうやらオフィス棟は別のところにあるらしい。ここはあくまで倉庫兼作業場ということなのだろうか。
男は薄暗い迷路のような通路を、明かりをつけたり消したり繰り返しながら私たちを誘導してくれた。省エネが徹底されているのだろう。2,3分歩くと大きな廊下にでた。廊下の片側には何枚かの肖像が飾られている。あとでわかったが、フェブレイ家代々の当主、つまりフェブレイ社の社長の肖像画だった。私たちの足音に気づいたのか、廊下の途中のドアから案内してくれた男よりもさらにひとまわり大きい男が出てきた。フェブレイさんだった。

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第71話 村はずれの自動車修理工場でようやく目的地を確認 [ニュイサンジョルジュ]

ウインカーを点滅させて広い敷地のディーラーに入っていく。敷地内には数台のプジョーが置いてあったが輝きもなく新車ではなさそうだ。修理待ちの車なのだろうか。日本にあるカーディーラーなら車が入ってきたことを確認すれば誰かがすっ飛んできて駐車場所を指示してくれるだろうが、ここはフランス。建物の中にいるおっさんはこちらの存在に気づいてはいるものの建物から出てくる気配はない。プジョーのディーラーになんでオペルが?といぶかっているのかもしれない。まして運転しているのは謎の東洋人カップルである。手元で拳銃に弾をつめているのかもしれない。私は誰の邪魔にもならないので建物の正面に車を停めた。ワイン愛好家の間では知られた村とはいえ、ブルゴーニュにある小さな村のディーラーの親父が英語を話すとは思えない。私は奥さんにフェブレイ社の所在をききだすように指示した。
私たちが車からおりるとようやく親父が奥から出てきた。「手をあげろ」とフランス語で言われても多分私たちは理解できない。親父の忠告を無視して構わず歩み寄ったところを撃たれるかもしれない。でも親父は拳銃をかまえてはいない。軽く挨拶した後、奥さんが親父にたずねた。もしフェブレイという名が日本の鈴木や山本と同じで、電話帳の1ページうめつくすほど存在するかもしれないと考え、私はジョセフフェブレーと正式名称を伝えた。
親父はその場所を知っているようで、私たちにそこへの行き方を説明し始めた。これでフェブレイさんに再会することができる。私は安堵したが、問題は奥さんが親父の説明を和訳できるかにかかっていることに気づいた。やりとりをきいているとそれほど複雑ではなさそうだ。親父の説明を奥さんが復唱して確認しているから問題ないだろう。そう思うしかなかった。最初の信号を左に折れてしばらく走ると左手に小さな橋がある。そこをわたればFAIVELEYの文字が見えるとのことだった。今現在、親父の他に店内には従業員がいないようなので、プジョーを買うからそこまで先導しろともいえない。私たちは満面の笑顔で感謝の意を表しディーラーから再び国道に入った。
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最初の信号を左折すると正面に教会の尖塔が見えた。さきほどこの村の手前のぶどう畑からこの村を見たときに目立っていた教会であろう。その教会のすぐ手前に小さな橋があった。ウインカーを点滅させてゆっくりと左折する。緩い上り坂を道なりに数十メートル走ると左手の煉瓦を積み上げた湾曲した塀に描かれた大きなFAIVELEYの文字を見つけた。リヨンのホテルをチェックアウトしてから7時間以上を費やしてようやく、そして無事に到着したのである。

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第70話 やっとの思いでニュイサンジョルジュ到着 [ニュイサンジョルジュ]

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フロントガラスの端から端までブドウ畑が拡がる。コートドールの中腹を走っているとやがて緩やかな下り坂となり、その下り坂の先に集落が見えた。ランドマークであろう教会の尖塔も見える。親切なおばさんと別れてから通り過ぎてきたワインの名称としてききなれた村々のように車であっという間にパスしてしまうほど小さな集落ではない。村というより町と呼ぶにふさわしいひろがりがある。
ニュサンジョルジュだと直感した。直感するまでもなくブージョの次がニュサンジョルジュであることは地図でも明らかなのである。ほとんど車が通らないコートドール中腹の道から、収穫されたばかりのブドウを積んだトラック、瓶詰めされたワインを満載したトレーラー、ワイナリーを見学するツーリストを乗せているであろう観光バスなどが頻繁に通過する74号線に出た。74号線はニュイサンジョルジュ村を縦断しているようである。途中いくつか信号のある交差点にも出くわしたが、大きな問題に気づいてしまった。私はフェブレイさんの会社がどこにあるのか知らないということである。住所も知らない。手紙は彼の自宅に送っていたし、会社宛に送っていたときも日本でいう私書箱のようなものらしく、数字の羅列だけだったのだ。ホームページも見ていたが住所は記載されていない。ニュイサンジョルジュを示す郵便番号のようなものだけだった。日本の地方にある小さな市や町よりも狭いので、社名さえ記されていれば郵便物は届くのだろう。予定ではニュイサンジョルジュ近くに到着したら電話をして、どのように走れば会社に到着するのか訪ねることになっていたが、予定は大きく狂った。電話が通じなかったのだからいまだにどこをどういけばいいのかわからない状態である。いつしか74号線を走る車のフロントガラスから見える光景は、再び左右どちらもぶどう畑という状況になっていた。FAIVELEYの看板を私も奥さんも必死に見つけようとしたが、見つけ出す前に村を通り過ぎてしまったようである。
周囲はまたまた一面のブドウ畑になってしまった。Uターンして再度チャレンジするしかない。それほど大きくない村とはいっても通り過ぎた間には信号もいくつかあったし路地もあった。ダウンタウンと思われる地域もあった。東京のようなビルはないからFAIVELEYの文字がおどるネオンサインが屋上にあるわけもない。これは誰かに尋ねるしかない。車をブドウ畑脇の空き地に突っ込みユーターンした私は、村の外れにあったプジョーの看板を見逃していなかった。ディーラー兼修理工場に違いない。あそこの職人なら世界に知れた「フェブレイ」ブランドを知らないわけがないと勝手に思い込んだ。というより思い込むよりなかったというべきか。

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第69話 ワイン街道を行く でも携帯電話がつながらない 公衆電話もかけられない [ニュイサンジョルジュ]

クーシェ(Couchey)から先は集落、ブドウ畑、集落、ブドウ畑集落の連続だった。ニュサンジョルジュに向かうにはおばさんの家の前でUターンして国道74号線という幹線道路を通ればもっと早く着いたのだろうが、幹線よりも1本奥、黄金の丘の中腹を貫くこの狭い道を通ることで、ワインのラベルでお目にかかったことのあるフィサン(Fixin)、ジブレイシャンベルタン(Gevrey Chambertin)、モレサンドニ(Morey St Denis)、クロデタール(Clos de Tart)、シャンボールミュズニー(Chambolle Musigny) ブージョ(Vougeot)、エシェゾー(Echezeaux)、ボーヌロマネ(Vosne Romanee)、など有名な村の数々を通過できたことは幸運だったといえるだろう。さすがに立ち寄りはしなかったがブルゴーニュワインの最高峰ロマネコンティ(Romanee Conti)の畑のそばも通ったのである。ロマネコンティが育つブドウと同じ空気を至近で吸えたことは私の将来に少なからず良い効果をもたらすに違いない。
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ブージョに着いた頃、時計は2時を過ぎていた。ニュサンジョルジュ村の近くまできたらフェブレイさんに電話をいれることになっていたので私は車を停め連絡することにした。20年以上会っていない、声もきいていない相手である。私は携帯電話に登録しておいた彼の会社の番号をプッシュした。ところがつながらないのである。世界中どこでも使える、繋がるが謳い文句の携帯といっても、周囲がブドウ畑だらけのこの場所では電波が届かず通じないのだろう。こうなれば公衆電話しかない。しかしこんな村に公衆電話があるのか。ところがすぐにそれは見つかった。何かの施設の大きな駐車場の一角に電話ボックスがあったのである。私は小銭の入った財布を持ってボックスに入った。ところがそこには小銭の投入口はない。何か専用のカードが必要な電話のようだ。利用者が投入した現金が収納されている状態で電話機を放置することなど異国ではありえないということだろう。少なくなったとはいえ利用者の投入した現金がいつも収納されている公衆電話が街中に点在する日本の治安の良さにあらためて感動した。しかし日本を賞賛している場合ではない。これから訪れる相手と連絡がとれないのだから。
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私は途方にくれた。しかし、目的地の至近にいることは間違いない。ニュサンジョルジュの村に入って尋ねれば、世界に名の知れたフェブレイワインの名を知らない人はいないだろう。容易に辿り着くであろうとも思った。ならばここで腹ごしらえ。私たちはいまだに昼食にありついていなかったことを思いだしたのである。車をその場所に無断で少々停めさせてもらって、ブージョのダウンタウン、といっても人はまったく歩いていないのだが、車中から見つけたカフェで軽い昼食をした後、目的地に入ることにした。

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第68話 親切なクーシェのおばさん [ニュイサンジョルジュ]

おばさんは教会を出た頃から私たちの存在に気づいたようで明らかに不審者に近づくような様子で恐る恐る私たちに向かって歩いてくる。おばさんにとって初めて遭遇する東洋人なのかもしれない。パニックになってもおかしくはない状況である。怖いのなら近寄ってこなければいいのにと思っていたが、どうやらおばさんは私たちが車を停めたホテルの隣の住人のようである。私たちの横を通り抜ける瞬間、奥さんがフランス語で声をかけた。「ちょっとおばさん、ここはどこなの?ニュイサンジョルジュにはどうやっていけばいいのさ」と尋ねたのだろう。推測だが。ここで尋ねることはそれしかない。サルコジ政権に不満はないかなど遠くの国からきた異人が村民に意見を乞う必要はないのである。
おばさんは笑顔でまくしたてた。耳慣れた地名がいくつか私の耳にも入ってきたので、多分おばさんはここからいくつかの村を過ぎればニュイサンジョルジュだと教えてくれたのだろう。「メルシーボクゥー」という奥さんに、おばさんはどこからきたのか尋ねたのだろう。黄金の国、日本というと大げさに驚いたような表情とそぶりをした。日本から車で来たと思ったのだろうか。別れ際に記念写真を撮らせて欲しいとお願いするとおばさんは快諾した。髪と服装を整えた後、奥さんとともにカメラに収まってくれたのである。おばさんはその夜の夕食時、若しくは翌日の晩も、その次の晩も、収穫で疲れきった家族の面々の体調などお構いなしに、日中出会った謎の東洋人夫婦についてしゃべり続けるに違いない。私たちはおばさんが家に入るのを見届けた後、車に乗り込み再び石畳の坂を登り始めた。
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おばさんは私の予想通りのことをいっていたようで、この先を左に折れて小さな村をいくつか過ぎればニュイサンジョルジュに着くと言っていたとか。おばさんの言ったように坂を登りきって左に曲がるとすぐに家並は途絶えた。ひとつの集落=村を過ぎたということだろう。私たちがおばさんと出会った場所がどこなのかは尋ね忘れたが、看板を見る限り、クーシェ(Couchey)という村らしかった。

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