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第67話 コートドール 黄金の丘に辿り着いたものの・・・・ [ニュイサンジョルジュ]

しばらく車を走らせると前方に料金所がみえてきた。安いとはいえ再び料金を払うのは癪である。私は料金所手前の出口から一般道へでることにした。ニュサンジョルジュ村の看板があったわけではない。右手に見えるコートドール=黄金の丘だけが頼り。あの丘に沿っていけば必ずや目的地に着くはずであるとの信念だけはあったのだ。
線路を跨ぐ陸橋をわたり車は丘のふもとにたどりついた。だがいまだにここがどこだかはわからない。とにかく丘の中腹にある集落に向かった。集落に向かう途中にある左右の家は、さきほどディジョン郊外にあった家々とは様子が異なる。1軒1軒が大きい。家自体も結構新しい。フランスの農家は新築の豪邸にすんでいるのだろうか。豪邸の連なる一画を通り抜けると道は緩やかな石畳の坂となった。途端に道幅もせまくなる。豪邸のある地域が新興住宅地だとしたら、こちらは旧市街といったところか。中世の雰囲気を醸しだす石造りの家々が隙間なく建っている。道には誰一人歩いていない。ここがなんという村なのかはわからないがブルゴーニュの村のひとつであることには違いない。
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村の人ならニュサンジョルジュの場所を的確に教えてくれるだろうと考え、私はホテルという看板を見つけその前に車を停めた。フロントにいってニュサンジョルジュの行き方を伝授してもらうよう再び奥さんに指令しようかと思ったのだがなんとホテル入口にはClose(クローズ)の小さな札が。夏場の繁忙期しか営業しないのかもしれない。収穫期のこの時期は観光客も見込めないからか、それとも副業としてホテルを営業しているだけで、収穫期は本業で忙しいので営業しないのか。いずれにしてもあては外れた。タイミングよく少し先に見える教会から鐘が聴こえてきた。のどかな光景である。ひとっこひとりいない村に鐘の音だけが響き渡る。するとその教会からひとりの女性がでてきた。マリア様、それとも天使?でもその女性は、ずんぐりし、度の強そうなメガネをかけたおばさんだった。

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第66話 フランス語は通じたのか [ニュイサンジョルジュ]

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不審な動きをする私たちの乗った車の存在を察知してか、獲物のおばさんは横道に入ってしまった。私は車を停め奥さんに獲物を追うように指令した。不平をいいながらも車を降り、奥さんはおばさんを追って声をかけた。私は車中から彼女たちの様子を伺う。獲物であるおばさんが懐から、もしくはバッグから拳銃でもだしたらすぐさま私だけでも逃げられるようにエンジンは切らなかった。おばさんは指差しながら何かをしゃべっている。
ニュイサンジョルジュの方向を指しているのだろうか。だとしたら私たちが通ってきた方向である。つまり行き過ぎたということか。それとも日本へ帰れと、日本がどこにあるかも知らないおばさんはでたらめの方向を指差して、眼前からすぐにでも日本人が去ることを訴えているのかもしれない。奥さんのフランス語は通じたのか通じなかったのか。しばらくすると奥さんと獲物は軽く会釈をして別れた。奥さんが晴れやかな顔をして車に向かって歩いてくる。これで「何いってんだか全然わからなかった」とでも言ったら、ここに彼女をおいてきぼりにしてもいいかと考えていたが、彼女は開口一番「ここはディジョンの郊外だって。それもディジョンはあっち、つまり貴方はディジョンをも行き過ぎてしまったということ」といって私を責めた。さらに「ニュイサンジョルジュは40キロぐらい戻ったとこにあるって」と言い放った。これには納得できない。40キロ戻ったらボーヌまで言ってしまう。あのおばさんはディジョンから外へ出たことがないのではないか、ニュイサンジョルジュの高級ワインなんか口にしたこともないから、ニュサンジョルジュの場所さえわかっていないのではなかろうか。
しかし、これは奥さんが40キロと14キロを聞き違えたとも考えられる。奥さんにそのあたりを問うてもはっきりした答えは返ってこなかった。獲物のおばさんや奥さんの語学力を責めてもしかたがない。とにかく私たちがニュサンジョルジュを行き過ぎてしまったことには違いないことは判明したのだから。私は勘をたよりにさきほどまで走っていた高速道路方面に車を走らせた。いつの間にか雨はすっかりあがり、薄日もさしている。高速道路に戻りボーヌ方面に車を走らせていると車窓の右手に緩やかな丘が続いていた。さきほどは見えなかったがあれがコードドールなのだろう。目的地ニュサンジョルジュは、ここからボーヌまでの間のどこかに必ずあるのだ。目的地は近い。その時点ではそう思っていたのだが・・・・・。

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第65話 迷子 ここはどこ? ディジョン? [ニュイサンジョルジュ]

リヨンから北上を続けてきたA6という高速道路はボーヌ付近で岐路となる。やや左方向に向かうとパリ。右方向に向かうとディジョン。私たちが目指すニュイサンジョルジュ村はディジョンに向かう途中にある。本来なら左手方向にブドウ畑が連なるコートドール、黄金の丘が見えるはずなのだが、雨交じりで靄がかかっているため確認できない。日本を出発する前にインターネットから得た地図情報によれば、A6の岐路から約17キロを走ればニュイサンジョルジュ村に近い出口に到達する予定だった。ナビゲーターである奥さんにプリントアウトした地図は渡してあるがこころもとない。出口を知らせる標識も日本の高速道路のように大きくはない上に横文字である。100キロ以上のスピードで飛ばしている車内からそれを識別することは至難の業といえる。
車のオドメーターはすでにA6の岐路を過ぎてから20キロ以上は走っているのにそれらしい出口は現れない。周囲は村の景色というよりだんだんと市街地の雰囲気になってきた。奥さんの「もう過ぎちゃったじゃないの」という声にも耳を傾けず、それでも私は車をディジョン方面に走らせた。「もうディジョンも過ぎたんじゃないの」という言葉にも、絶対まだだという自信はあったが確信は持てなくなっていた。車窓から見える周囲の景色がどうみても田舎とは思えない状況が続いたので私は一旦高速道路を降りて一般道に戻り確認することにした。高速道路を降りた位置、方角を頭に叩き込んだ上で、高速道路と垂直に交わる一般道をひたすら直進した。左右の景色に畑が現れることなない。一般の住宅が延々と続くだけである。これはベッドタウンに違いない。ディジョンのベッドタウン?ということはディジョンに近いところまできてしまっているのだろうか。“ここは何処私たちは何処”状態である。
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これは現在地を確認するしかない。私は奥さんに、その辺の通行人に「ここはどこか、ニュサンジョルジュにはどうやっていけばいいのか」尋ねるように指示した。奥さんの活きたフランス語習得にもつながる。しかし日本の住宅地でも午後1時前後というのはあまり人影がないように、フランスの住宅地にも肝心な通行人がいない。みんなメロドラマを見ているとは思えないが、猫一匹歩いていない。呼び鈴をならして「ここはどこですか」と尋ねても怪しまれるだけである。へたをすれば家の中から銃口を向けられるかもしれない。そんなことを考えながら車をゆっくり走らせていると、ようやく前方に獲物を発見した。

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第64話 フランス人の交通マナー [ニュイサンジョルジュ]

リヨン駅を出発したことはまだ通過点にもならない。この先高速道路に無事乗らなければプロローグも終わらないのである。とっても簡単だからというレンタカー屋のおばさんからもらった手書きの簡略図をたよりに私は高速道路の入り口をめざした。右へいくのか左へ行くのか、ここの出口で降りるのか降りないのか、迷ったときは奥さんの意見を尊重せず、自分の勘に頼ることが安全策であることを私はこの旅で再認識した。
駅前を離れ市街地に入ったとたん高速道路に侵入できる脇道があった。奥さんはここがディジョンに向かう高速への乗り口に違いないという。しかしどう考えても逆方向である。私は奥さんの意見を無視した。私の選択はもちろん大正解だった。市街地の交差点で車線を間違えたために曲がるべきところで曲がれず、同じ道を二度通ることはあったが、前日バスに何度か乗っていてリヨンの地図が多少なりとも頭に入っていたこと、パリ・ディジョンの位置する方向感覚もあったので、高速道路A6にはすんなりと乗ることができた。もちろん乗り口から本線への合流地点での戸惑いと恐怖は少なからずあったが。
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ディジョンに続く高速道路を30分も走ると雨になった。ときおり雲がきれて明るくはなるが、A6がパリとディジョン方面へとの分岐点にさしかかるまではほとんどワイパーを作動させていなければならなかったのである。高速道路はだいたい片側3車線。だが途中2車線になるところもある。さらにいきなりスピード制限速度50キロを知らせる標識があらわれ、大きく蛇行する工事区間に入ることもしばしばあった。後で知ったことだが、ああいった工事区間で制限速度を守らないと後日写真付きの通知がきて相当額の罰金を払うことになるらしい。
高速道路でのフランス人(多分大多数はそうだと思う)ドライバーのマナーは日本人も見習うべきだと思う。走行車線や追越車線を右往左往しながら先を急ぐドライバーがほとんどいないのだ。特にトラック運転手のマナーの良さには感服する。前にかなりの積載量でゆっくり走るトラックでもいない限り、トラックがトラックを抜くという場面には遭遇しなかったのである。圧巻は渋滞時における彼らのマナーのよさ。二車線の高速道路を走行時、いきなり各車が減速しはじめ、やがて渋滞が始まった。何キロか手前の電光掲示板によればこの先で事故があり渋滞しているようである。そうした状況下、トラックは走行車線に綺麗に一列に並んでいた。それらトラックは全く動かない状態。追越車線は一般車両が通っていたが、少しではあるが前に進んでおりとまることはない。そうした時でも追越車線は動いているからといって、走行車線から追越車線に侵入してくるトラックは皆無なのである。
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皆じっと耐えているのだ。この行為に私は驚いた。しかしもしかすると日本のように何時までに荷物を絶対に届けなくてはいけないという縛りが彼らにはなく、また、今積んでいる荷物を一刻も早く先方に運んで下ろし、すぐさま次の貨物を積みこんでとんぼ返りして日銭を稼がなくてはという意識がないのかもしれない。早く着こうが延着しようが自分には関係ないこと。ユニオン(組合)が強く、今日はこれを無事にとどけることで決められた賃金が得られる、それ以上もないしそれ以下もない、だから先を急ぐ必要はないと自分の仕事を割り切って考えているのかもしれないと私は思った。

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第63話 バンパーはぶつけてナンボ フランス人化する私  [リヨン]

私はこの車は壊れているに違いないと思った。事務所にどなりこんでやろうかとも考えたが、その前に私のギアの入れ方が甘いのではないか、それとも操作が誤っているのではないかとも思い、奥さんに誰か車のわかりそうな人を駅前から連れてきて欲しいと無理難題を押し付けたのである。奥さんは何といえばいいのかなどとブツブツいいながら駅の方に向かって歩いていった。彼女がもどるまでの間も私は何度かチャレンジしていたのである。追突しているのと同じだから、当然そのたびに前の車は、少しづつではあるが前方に押し出されていたに違いない。外気は冷たいが私はあまりの暑さにジャケットも後方に脱ぎ捨てオペル相手に悪戦苦闘していたのである。何度もぶつけるうちに私はすっかりフランス人になっていた。前の車にぶつけても動揺はない。バンパーはぶつけるためのもの、そんな意識になっていたのである。
もっと若くて背が高くイケ面男を連れてくると思ったが、奥さんは意外と小柄なお兄さんと戻ってきた。何でも彼はタクシードライバーとか。駅前で客待ちする運転手さんに困っていることを伝えると、仲間の運転手さんから、お前の車は見ておいてあげるから行って助けてこいと送りだされたそうである。奥さんがそういっているのであって真実はわからない。まあプロだから問題を解決してくれるだろうと私は彼に身をゆだねた。
彼は運転席側のドアをあけ、私を運転席にすわらせたまま車内中央のギアを覗き込んだ。オペルは運転したことがないのでわからない。多分そういっていたのだろう。次に彼は車の外でしゃがみこみ、ギアを横から見た。するとあるものを発見したのか、シフトノブの下部を指差したのである。そこには小さなボタンがあった。これを押しながら図の位置にギアを移動させればバックギアに入るということなのか。すぐに私はボタンを押しながらギアを操作した。確かにこれまでにない感触でギアが入った。運転手さんが見守る中、私はエンジンを始動させバックを試みた。するとどうだろうオペルは見事に後方に移動し前の車から離れていったのである。私が車からおりて彼にお礼をいうと彼はニコニコしながら自分の車が停まる方向に歩いていった。小柄だと思った彼の背中が大きく見えたのは気のせいだろうか。
その後の彼の動向を私たちは知る由もない。彼の車が「車をみていてあげる」といった仲間のドライバーと親しいマフィアによって乗り逃げされ、その後海外もしくは国内中古車市場に転売、彼は車を持たないペーパータクシードライバーになってしまった可能性もある。せめて今日のランチ代ぐらいのチップをお礼として差し出すべきだったのではないかと後悔したが、彼から法外な損害賠償を求められる前にこのリヨンの街を立ち去ろうと私たちはニュイサンジョルジュに向けてそそくさと出発したのである。さらばリヨン! 開けたウインドウから入り込むリヨンの冷たい空気が冷や汗を流した後の私には心地よかった。
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第62話 前途多難な左ハンドルマニュアル車 [リヨン]

さあ準備万端、一路ニュイサンジョルジュに向けて出発である。今日の走行距離は200キロ程度、途中昼食のための休憩をとったとしても午後2時頃には到着すると見込んでいた。左ハンドルのマニュアル車を運転するのは私の記憶が正しければおそらく生まれて初めて。ライトやワイパーなどのスイッチ位置を確認し、スターターをまわしエンジンを始動させいざ出発。排ガス規制が日本より緩やかなのだろうか、小型車にしてはおなかに響くようなエンジン音が心地よい。
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シフトノブに記された図に従い、バックギアにいれようと私はニュートラル位置にあったシフトレバーを思いきり私の方に引き寄せ、次にそれを前方へ倒した。前には20センチの隙間もないほど接近して車が停まっていたが、幸い後方には車はいない。一旦バックして道路に出ようとしたのである。ロンドンでマニュアル車になれていてよかったと私は思った。クラッチを少しゆるめ、下り坂ということもあり同時に若干強めにアクセルを踏む。するとどうだろう私の予測に反して車はガックンと前方に進んだのである。私はあわててブレーキを踏んだ。と同時にエンジンもとまった。アクセルの踏み込みが弱くて車がバックすることなく下り坂を下りてしまったのだろうか。この時点で前の車との距離は10センチをきっていたはずだ。私はギアをニュートラルに戻し再度エンジンを始動させ、バックギアに入れた。今度はさらに慎重に、かつさきほどより強めにアクセルペダルを踏み込みだ。エンジンの回転があがりエンジン音も大きくなる。同時にクラッチペダルを踏む足を緩めていった。車はスーッとバックするはずだった。しかしまたしてもガックンと前進した。そしてこんどはゴツンという音も。前方の車のバンパーにぶつかったようである。
割れたプラスチック製のバンパー、さらにバンパーではショックが吸収されず、凹んだフロントグリルの映像が脳裏に浮かんだ。前の車と私のオペルのダメージを確認してもらおうと、私は奥さんに降車を命じた。車を降りて前方に立つ奥さんは手を左右に振っている。どうやら幸い両車ダメージはほとんどないらしい。私は三度トライすることにした。今度は前の車との隙間がないわけだから、逆に前の車を利用して容易に後方に下がれるだろうと判断したのである。今一度バックギアの位置を確認し、指定どおりの位置にギアをいれ、アクセルを今度は普通に踏み、同時にクラッチペダルを緩めていった。ところがである、またしても車は前方に進もうとしたのである。薄ら寒い10月のリヨン。だがこの時点で私の全身からは汗が吹き出ていた。その後何度か私は何度もギアがバックに入っていることを確認しリヨン駅からの出発を試みたのだが。

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第61話 レンタカーのバックギアが入らない [リヨン]

レンタカー事務所棟の正面玄関を入ると長い廊下が左右に伸びている。左に目をむけるとはるか遠方に駅構内のコンコースと思われる風景が見える。右手に目を転じるとその両側にレンタカー屋が軒を連ねているようだ。Hertzの事務所は容易に見つかった。カウンターは5人もすわればいっぱい。おばさん一人で対応している。先客がひとりおり、その人の手続終了を後方で待つ。先客がキーをうけとり事務所から出たので私たちはカウンターごしにすわり予約確認書をおばさんに手渡した。
ロンドン市内とは違い、Hertzの看板に偽りなし、最初にガソリンを購入したことにして満タンにして返却する必要がないようにするか否かの確認だけですぐにキーを差し出してきた。パリでの返却先の地図を渡してはくれなかったが。車はブルーのオペルだという。予約段階ではプジョー206となっていたが変更になったのだろうか。初めてフランス車のステアリングを握ることができると楽しみにしていたのだが仕方ない。車が駐車している場所も口頭での説明のみ。パリ方面に向かう高速の乗り口に不安があったので、駅構内をでて高速に入る道順を尋ねると、ようやく紙に簡単な略図をかいてくれた。とっても簡単だからというが、こっちは左ハンドルには慣れていないし、ましてマニュアル、簡単なわけがない。不安げな私たちは半ば強制的に別れを告げられ、スーツケースをひきずって外に出て駐車場所に向かった。
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事務所から指定されたレンタカーの駐車場所といわれるところまでは100メートルもなかった。レンタカー会社専用の駐車スペースがあるわけでもなく、駅前のゆるやかな下り坂の通りに停めてあるだけ。路駐である。まさかここが駐車場所かと疑問に思ったがとりあえず車を探すことにした。でも車がない。おばさんがいっていた青い車が見つからないのだ。ようやく3ドアハッチバックのオペルコルサを見つけたのだが濃紺である。でも他にオペルは見当たらない。受け取ったキーホルダーに記されたナンバープレートと濃紺のオペルのナンバーを照合するとなんと一致した。ものすごく大雑把に分類すればこれは確かに青といえるだろうが、ダークブルーとか利用者が容易にわかるいいかたがあると思うのだが。まあこれがフランス流なのだと納得して私たちは後部座席を倒しハッチバックを開けてスーツケースを積み込んだ。

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第60話 ホテルからリヨン・ペラーシュ駅までの黒人TAXI運転手 [リヨン]

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薄ら寒かったがべルクール広場に面するホテル玄関前に立ちフロントで呼んでもらったタクシーを待つ。ここからレンタカー事務所のある駅まではワンメーターでもいけるような距離、スーツケースさえなければ徒歩でもいいのだが、二つのスーツケースを引きずって石畳の道を歩くわけにはいかなかった。やがてプジョーのタクシーが到着、中からでてきた大きな黒人ドライバーに部屋番号を伝え、確かに私たちが彼のタクシーに乗るべき客なのかを確認する。私たちより先に外にでてタクシー待ちをしていた別の宿泊客は不満気だったが、部屋番号があっているのだから、このタクシーは私たちを迎えにきたことは間違いない。
要人の警護もできそうないかついドライバーの顔色が曇った。私たちのそばにある二つの大きなスーツケースが原因らしい。車はライトバンではなくセダンタイプのプジョー。バンタイプならふたつのスーツケースぐらいなんなく後部のカーゴスペースに納まるだろうが、セダンのトランクにそれほどの余裕がないであろうことは私にも想像がついた。案の定ドライバーは何度も入れては出し、入れては出しを繰り返す。他のタクシー待ちの宿泊客はその様子を嘲笑っているようにも見えた。試行錯誤の末二つのスーツケースをようやくトランクに収納。いざ駅に向かって出発である。しかし、この運転手は信頼できるのだろうか、料金は割高でもフランソワに頼んだほうがよかったかもしれないと後悔する。
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5分も車を走らせると駅周辺に到着した。構内にあるレンタカー事務所の近くまでと伝えていたが、運転手もその場所が定かでないらしい。ドライバーは周囲をキョロキョロしながら車をしばらく走らせているとようやく何社かのレンタカー会社の看板が表示された場所に到着した。ドライバーはホッとしたような笑みを浮かべ建物の方を指差してフランス語で話す。さすがの奥様も理解できない様子。「あのドアから中に入れば事務所があるはずだ」と運転手はいったと勝手に推測するしかない。荷物をおろし10ユーロ弱のところだったが、15ユーロを手わたすと日本語で「ありがとう」と満面の笑顔で受け取った。結構愛想のいい運転手さんではないか、人を風体で判断してはいけないことを再認識したのである。
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第59話 お昼だから昼休み 休館中の美術館に唖然 [リヨン]

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バスは旧市街にあるリヨン美術館、市庁舎、リヨンオペラ座等の前を巡りつつ走る。私たちの次の目的地はリヨン美術館だったので、そこまで徒歩圏内にある宮殿のような建物の旧証券取引所近くで下車した。 すでに昼に近いが空腹というわけではない。しかしトイレには行きたい。ところがだ、トイレが見つからない。様々な店舗が入る商業ビルにも潜入したがみあたらない。といって公衆トイレもないようである。私たちは間違いなくトイレのあるカフェに入店し、ちょっと早いランチをいただくことにした。
重要案件をクリアし、ついでにクロックムッシュを食べた私たちはリヨン美術館に向かった。12時をまわったばかりということもあり、ツアー客よりランチ場所を求めるビジネスマンやOLの姿が目立った。西洋の歴史的建造物に麻痺したのかもしれないが、証券取引所ほど華やかさ重厚感がない建物のリヨン美術館に到着した。フランスは英国のようにただではなく入場料が必要。しかしチケット売り場にいってびっくり。なんと休館中とのこと。その日が休館日だったということではない。お昼休みだから館内には入れませんよということなのだ。職員が交代で休みをとろうという知恵がないのか、融通が利かないのか、来館者を全く無視した対応に呆れるとともに驚かされる。私たちは周辺のチョコレートショップや土産物屋を冷やかしつつ午後の開館を待つことにした。
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美術鑑賞を終えた後はホテルのあるべルクール広場まで、バイク用ヘルメットだけを売る店、ミニカー専門店など興味ある店舗を覗きつつリヨンの街を歩いた。フランソワに予約してもらった今夜のディナー会場も通り道だったので下見。当然まだ店は営業してはいなかったが、なかなかお洒落な雰囲気の店である。ボったくられる心配もなさそうなので安心した。人間同様外見で判断してはいけないのだが。明日からの車での移動に備え詳細なフランスの道路地図帳を購入しようと結構大きな書店にも立ち寄った。ところが店に地図はおいていないとの冷たいお言葉。書店でも扱う書籍が細分化されているのだろうか。リヨン~ブルゴーニュ~ヴェズレイ~オンフルール~パリ、総走行距離1000km超のドライブは日本から持参した主要高速道しか記されていない日本全図に等しいフランス全図の地図に頼るしかない。迷子になっても心配することはない、道は必ずどこかに通じている、私は覚悟を決めざるを得なかった。だらだらと旧市街を散策した後、ルイ14世の待つべルクール広場に帰還。洗濯物が撤去されていないことを願いつつ広場を横切り夕食に備えてホテルの部屋で一休みすることにした。
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フランソワ手配のレストランというかビストロでは、ワインをこぼされることもなくデザートまでフルコースでいただいた。
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日本人には少々量的に多い気もしたが、失礼のないようもちろんすべて体内に収納、完食である。当然法外な請求書を提示されることもなかった。帰路は心地よい夜風を受けながらソーヌ川沿いを歩いてホテルに向かう。ライトアップされたリバーサイドの建物がゆらゆらと川面に浮かび、とても美しかった。明日からはマニュアル左ハンドル車でのロングドライブ。対岸のフルヴィエールの丘に建つノートルダム大聖堂に向かって明日のブルゴーニュまでの無事を祈った。
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第58話 二階バスに乗ってリヨン市街を巡る [リヨン]

ホテルの前のべルクール広場は犬の散歩をする人や、通勤のためか地下鉄の出入口に向かう人、そこから出てくる人が見うけられた。縦横200m x 300mの広い平坦な長方形の広場の中央にはルイ14世の騎馬像がある。どこか日本にとって近くてとっても遠い国、北朝鮮のニュース映像に映し出される広場に似ているような気がした。あちらの方がもっとだだっ広いのだろうが。広場からは昨夜フランソワに連れて行ってもらったフルヴィエールの丘、そこに建つ大聖堂も見ることができる。
私たちは夜ではなく昼間のリヨンの街も見渡してみたいと思い、再度フルヴィエールの丘に行くことにした。乗り降り自由で市内観光地を周遊しているバスのチケットを広場の脇で購入。バスの到着を待った。
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待つ間、アメリカから来たというご婦人に話しかけられ、どこそこへは必ず行きなさいと押し売りされる。何でも前日もこのバスを利用したらしい。何日かかけてリヨンを制覇するつもりなのだろうか。バスは都内や日本の観光地にも走っている二階建ての屋根なしバス。快晴ではなかったがオープンエア―は気持ちがいい。途中今も実際に使用されているという古代ローマ劇場を通る。離れた席に座っていた先ほどのご婦人はそこで下車。私たちにも見学を勧めたがこちらは彼女と異なり観光できるのは今日だけ、時間に余裕がないのでお断りした。フルヴィエールの丘から眺める日中のリヨンもまた美しかった。街全体が同じレンガ色の屋根で統一されているようで目に優しい。旧市街の間を流れるソーヌ川、さらにその先ローヌ川の向こう側の新市街に建つ高層の鉛筆ビルはひときわ目立つが、色調が同系色のためか違和感がさほどない。1年経ったら街の姿が変貌する東京とは全く異なり、リヨンに限らず厳しい規制の下、昔の街並みを維持している西洋の都市は本当に美しい。丘の上に建つノートルダム大聖堂に入り世界平和を祈願した後、私たちはふたたび周遊バスを待った。
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周遊バスは観光客向けだけあって、ソーヌ川をわたりシャッターチャンスを提供するとともに、だまし絵の描かれたビルなど観光客が喜びそうなスポットを経由してくれる。バスの各座席にはイヤホンがセットされており、バスの走る場所に応じて日本語でも観光案内を聴くことができるのだ。走行中、八百屋、といっても日本と違ってモダンな雰囲気だったが、その店先で果物を万引きする少年を目撃。少年のそばには歩行者も何人かいて彼らも気づいていたようだが誰も彼を追いかけることはなかった。バスの中から私が「万引き―」と叫んでもみてもフランス人には理解できないだろうし、私たちの乗るバスは一瞬でその場を通りすぎてしまったので旅の思い出としてとどめることにした。

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