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第133話 現代アートは理解できない [パリ]

ベラールさんのドライビングにも慣れてきた頃、最初の目的地ピカソ美術館に到着した。しかし様子がおかしい、人影が見えないのだ。いくら日本の混雑度とは異なるとパリの美術館といっても変だ、だいたい門扉が閉まっている。ベラールさんが車を降りて確認に行くとなんと当面休館、日本でのピカソ展開催のためピカソ作品の大半が日本へ輸送されているためだった。
ピカソ美術館での鑑賞時間がカットされたので、そのままポンピドーセンターに向かうのかと思ったがベラールさん急遽近くにある別の場所に行くという。そこは周囲を赤レンガの建物に囲まれたパリ最古の広場といわれるヴォージュ広場だった。確かに美しい、広場の中央付近に立つと周囲はすべて統一された高さの同じ建物。ヴィクトル・ユゴーもこの一角に住んでいたこともあるそうでその場所は市立美術館として使用されているそうだ。この広場で柔らかな日差しを浴びて、年がら年中ボーっとしていたい。私はそんな生活をしていて決して抜け殻にならない自信はあるが。まず住めないだろう、この界隈はパリでも高級邸宅地らしいから。ベラールさんはその美術館の入口においてあるパリ案内のパンフレットを物色、情報収集した後に次の目的地ポンピドーセンターに向かった。
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ポンピドーセンターの斬新というか奇をてらった外観が私は好きではない。オープン当初は現地でも批判されたそうだが、時が解決してくれているのだろう。今もって改装とか取り壊されていないのだから。もっともエッフェル塔だって完成時は非難轟轟だったそうだから。
現代アートを紹介するポンピドーの展示作品には、首を傾げたくなる理解不能な作品が多かった。若いころ訪れたダリ美術館の作品ほど異彩な感じはしなかったが、ここでなく駅前にモニュメントとしておかれていたら誰も見向きもしないかもという作品もあったし、これを大人が本気で造ったのという作品も少なからず見うけられる。私の芸術に対する意識がきっと稚拙なのだろうが。芸術には好みがあって当然、私の家にはポンピドーが収蔵しているアートを置くことはないだろうということだ。
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第132話 怒鳴りあいには聴こえないフランス語 [パリ]

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ベラールさんのミニはオープントップになっているので座席から空が見える。私は時折そこからカメラを突き出し、パリの街並みをカメラに収めていた。
マレ地区に向かう途中の大通りを離れた一方通行の路地でのこと。ベラールさんが歴史的に価値のある建物だとか説明しながら、結構ゆっくりと車を走らせていた。私が写真を撮ろうとすると、さらに停まりそうなスピードに落としてくれる。私はサイドミラーでミニの背後にゴミ収集車がずっとついていることに気がついていた。ベラールさんがその存在に気づいていたかどうかは不明だ。ちょっと道が広くなったときである。ゴミ収集車がスピードをあげミニの左側から抜きにかかった。そしてミニの横につくとミニを見下ろす収集車の助手席から若い男がベラールさんにむかって拳を振り上げながら怒鳴った。「○×△、○×△、○×△、○×△、ムッシュー!」と。「○×△、○×△、○×△、○×△」ベラールさんも少しばかり声を荒げてジェスチャー入りで反論しているようだった。
私が想像するには男が「何ちんたら走ってんだよ、このうすらぼけ」といったに違いない。そしてベラールさんは「美しいこのパリの街を、日本からきたお客さんにみせとるんだす、そんなに急いではるんならTGVにでも乗って移動されたらいかかでっか、このおたこなすさん」と言ったのだろう。しかし、男のムッシューという一言で、日本の道路や交差点などでドライバー同士が罵り合っている光景とは別の世界を感じさせるのは不思議だ。罵り合いもお洒落、クールである。フランス語のサウンドがそうさせるのか、汚い言葉もパリの街が美しく包み込んでしまうのだろうか。ベラールさんは若者に怒号を浴びせられたことも意に介さず、その後も平然と路地をゆっくり、あるときはアクセルを踏み込んでマレ地区に向かった。
私は、前方の路上に秋の日差しをうけてまどろむ白い猫を発見した。しかしベラールさんは左右の建物の紹介をしていてあまり前方に注意をはらっていない様子。「あっ」と声を出す前にミニは猫を通過した。「ギャッ」という泣き声がきこえたようにも思えたのだが。車を降りてから奥さんに「さっき猫轢かなかった?」とたずねると、「危なかったけど左に逃げたよ。振り返ったら歩道を歩いてたから」。それをきいて安心した。パリの猫は俊敏である。

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第131話 強くなければ生きていけないパリ交通事情 [パリ]

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地上に出てもベラールさんのドライビングは70歳代半ばとは思えない荒っぽさである。少しでも隙間があれば横の車線に割り込む、これは無理でしょと思うようなところでも車を滑り込ませるのだ。そして例え割り込みがあきらかであっても後続の車に「ごめんね」「入れてくれてありがとう」的な会釈合図などすることは皆無である。
片側2車線の道路を走行中のことだ。右側の走行車線に路線バスが走っていた。ベラールさんはその先の交差点を右折しなければならないことに気づいた様子。バスも結構なスピードで走っている。普通の人ならバスを先に生かせて、その後続の車に会釈をしてバスと後続車の間に割り込ませてもらうはずだ。ひとまず右車線に移ってから、その先の信号を右に曲がるであろう。ところがどっこいパリジャンは違う。ベラールさん何を思ったか突然アクセルを踏み込んだのだ。ウインカーは右折を知らせている。そしてバスとその前を走る車の間に強引に、いや無謀といった方が適切かもしれないが、とにかく車をすべりこませるというか直角に入り込みそのまま交差点を右折したのである。つまり2車線の左側、センターラインよりの走行車線から、右側の車線を同方向に走行するバスを無視して大回りして右折したのだ。まるでアクション映画、香港映画のジャッキーチェンだ。
当然バスの運転手さんがブレーキをかけなければバスはミニの側部に激突していたに違いない。まかり間違えば大惨事。“日本人夫婦パリで事故死”のニュースが日本のメディアを賑わせたに違いない。しかしバスの運転手から急ブレーキを余儀なくされたベラールさんの横暴な割り込みに対する怒りのクラクションがきこえてこない。突如左側車線から現れた車が前を横切っていたことなど無視しバスは平然と直進していったのだ。ひょっとするとブレーキすら踏んでいなかったのかもしれない。パリでは当たり前の光景なのだろうか。パリの道路では弱肉強食、遠慮していたらいつまでたっても目的地にはつかないのかもしれない。高速道路ではマナーのよろしいフランス人も街中では別の顔を持つということか。いつもは穏やかなベラールさんですらそうなのだから。

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第130話 ベラールさんの運転 [パリ]

私が出張でヨーロッパを訪れていた12年前のこと、ロンドンのオランダパーク近くのイタリアンレストランで取引先のイギリス人と夕食をとっていたとき、以前から彼の態度、もしくは性格、それとも彼が英国人であるということを不快に思っていたのか、ベラールさんは、突如彼を荒々しい言葉でののしりだしたことを思い出した。彼が失礼なことをいったわけではない。どちらかというと和やかに食事をしていたのだが。そのときのベラールさんは今にも血管が切れるのではと思うくらい興奮していた。同席していたフランス人の部下になだめられてその場は収まったが、ベラールさんは英国嫌いであるという一面を知らされた場面だった。そのベラールさんがミニに乗っている。BMWに移ってからのミニではない。リアにはGBと大英帝国を示す大きなエムブレムが取り付けられた英国生まれ育ちの最終版ミニクーパー40周年記念モデルである。奥さんの車であるにしろ、よく英国車を購入することをOKしたものである。ベラールさんも70代半ばにして人間が丸くなってきたのだろうか。
ゴールドのミニクーパー、中はローズウッドがふんだんに使用されているまさに小さな高級車である。高級車といえば大型車、どうして日本ではこういう小さな高級車が生まれないのだろう。生産しても売れないのかもしれない。私は日本人の感性を呪った。外観は小さいミニだが、中は意外にも広い、となればたいしたものだが、中はやはりそれなりに狭い。後部座席にすわった奥さんは、帰国後、ミニは乗り心地も悪いし、何より息苦しかったと嘆いていた。
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ベラールさんはマニュアルシフトのミニを操り駐車スペースから車を出した。一方通行の駐車場内をかなりのスピードで走る。やがて地上へつながるらせん状の上り坂に入る。するとベラールさん、アクセルを踏み込み、タイヤをキーキー鳴らしながら地下7階から地上へ猛スピードで走るのだ。まるでフランス映画「タクシー」の一場面を見ているようであった。いくら対向車がこないことがわかっていても、ひとつハンドル操作を誤れば壁面に激突である。私のドア側アームレストを握る手も自然と汗ばむ。後部の奥さんは悲鳴をあげつつウインドウ上部に備えつけられたグリップを握りしめ地上への無事帰還を待っているようであった。

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第129話 ベラールさんの車 [パリ]

この日はベラールさんがパリ市内を案内してくれることになっていた。といってもベラールさんのことだから、ツアー客が観光バスに乗って連れて行かれるようなメジャーなスポットではなく、穴場というか通好みの地域を用意してくれているに違いない。
約束の9時少し前、ベラールさんから私たちの部屋に電話があった。すぐに部屋を出て階下に下りるとベラールさんはフロント脇のソファーに腰かけ分厚い本を開いている。何の本かと尋ねるとパリのガイドブックだという。外国人が来て私が地元の鎌倉を案内するときと同じ。その土地の住人はガイドブックを見なければ地元のことなんかほとんど知らないのである。ベラールさんもパリのガイドには慣れていないからと言って笑っていたが。今日はマレ地区を散策しつつ、ピカソ美術館を訪れ、その後モダンアートのポンピドーセンターを案内してくれるとのこと。ホテルの外に出るとベラールさんの車が目の前に停まっていてすぐに目的地へゴーかと思っていたが甘かった。すぐそばの駐車場を借りているのでそこまで歩くという。
ホテル横のソルボンヌ大学の入り口では、IDカードを見せながら賢そうな学生たちが次々と校内に消えていく。パンテオン前の大通りの舗道を少し歩くと、舗道にある小さな建物、小屋というべきかもしれないがその前でベラールさんは止まった。小屋の中に入るとボタンがある。「エレベーター?」と尋ねると頷く。何でもパリは駐車スペースがないので地下のいたるところにこうした公共の駐車場があるそうである。エレベーターに乗ってびっくり。地下10階以上あるではないか。ベラールさんの車は地下7階に停めてあるという。地震にあって生き埋めになったら何世紀も発見されないに違いない。
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エレベーターを降りて私たちの少し先を大またで歩くベラールさんがある車の陰に突然消えた。車はワーゲンの最上級車種パサートだ。12年前は確かルノーに乗っていたが、さすがにもう少し余裕のある大きな車でないと疲れるのだろう。ベラールさんの後を追うと、何とベラールさんはパサートではなく、その隣のミニのドアを開けて中を片付けているではないか。「これがベラールさんの車?」ときくと頷いた。「これは奥さんのミニ。私の車は隣のワーゲン。でもパリ市内を走るにはミニが最適なので奥さんに借りてきた」という。

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第128話 戦闘機とエッフェル塔とエスカルゴ [パリ]

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オルセーを出た私たちはセーヌを渡りシャンゼリゼまでのんびり歩いた。そしてシャンゼリゼを少し外れた裏道にあったカフェに入り、クロックムッシュとコーヒーでランチ。表通り沿いの店より高い値段設定には驚かされたが。現地人と観光客では価格が異なるのかもしれない。
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シャンゼリゼと並行する広場ではフランスの航空宇宙産業誕生100周年を祝う展示が行われており、フランス軍のものと思われる戦闘機、軍用ヘリコプター、ロケット砲が掲載された大型トラック、ジェット機の部品などが陳列されていた。日比谷公園に戦闘機やロケット砲を積み込んだ自衛隊車両が陳列されていたら226事件の再来かと都民は驚くことだろう。シャンゼリゼを凱旋門までたらたら歩いた後、メトロに乗ってホテルにいったん戻ることにした。夜はパリの夕景を堪能すべくセーヌ川クルーズに乗船することにしていたのでそれまで一休みするためである。
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セーヌ川クルーズの船はノートルダム寺院のすぐ横から出発した。クルーズ船にはデッキや船内でディナーをとれるものがあるようだが、私たちはエッフェル塔近くで下船、フェブレイ夫人が調べてくれたレストランにとりあえず行くことにしていたので船内では景色を眺めるだけ。船内でのお食事といっても天ぷらはでない。東京湾の屋形船とは趣が随分異なり、フランス料理のフルコースらしい。当たり前の話だが。乗船後しばらくすると夕闇のパリの空にエッフェル塔が浮かび上がってきた。しかしそのエッフェル塔、フランスのEU加盟何周年だか、EU発足何周年だかはしらないがEUカラーなのだろう全身ブルーにライトアップされていたのである。さらにフラッシュのような閃光がいたるところで時折放たれて落ち着きがない。私としてはセピアカラーのシンプルな自然なエッフェル塔が見たかったのだが。
エッフェル塔脇で下船した後、塔には登らず周辺の公園を散策、その後フェブレイ夫人推奨のレストランに向かった。セーヌ川をはさんでエッフェル塔を真正面に望む立地条件としては最高の店である。しかし店は繁盛しているようでかなりの待ち時間があるとのこと。それなりの店に行くときはやはり予約は必須なのだろう。明日は夕刻からのベラール夫妻とクラシックコンサートを前に、早朝からベラールさんが車で市内の小さな博物館とかポンピドーセンターを案内してくれることになっている。待ち時間は無駄と考え、私たちはメトロを乗り継いでカルチェラタンまで戻り、ホテル横のカフェでエスカルゴを食した後、就寝することした。

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第127話 オルセー美術館からの眺め [パリ]

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パリ滞在3日目は唯一私たちだけで行動する日だった。とにかく二人とも行ったことのない所に時間を気にすることなく訪れたい。まずはメトロに乗ってオルセー美術館に向かった。メトロをおりて地上に出て少し歩くとオルセーはあった。目の前はセーヌ川だ。チケット売場前にはすでに小グループの学生たちが集まっている。ひとり9.5ユーロ(約1500円)ほど支払って館内に入る。イギリスと異なり、フランスはリヨンの美術館でも入場料をとられた。六本木の国立新美術館などでの展覧会とほぼかわらない額である。しかし展示物の質や量からいったら間違いなく安い。日本での催事では代表的な作品しか展示されないから1時間ですべて観て周ることだって可能だ。それに大変な混雑。作品を観ているのか人の頭をみているのかわからない。それに比べればこちらは混んでいるといっても開店したばかりのデパート程度だ。よそみをしていても人にぶつかるということはまずない。
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もともと駅舎だった建物を美術館にしたのでオルセーは細長い。そこには19世紀中盤から20世紀初頭までの美術品が展示公開されている。それ以前の作品郡はルーヴル、それ以降はポンピドーセンターとパリの美術館はきちんと時代別に仕分けられているのだ。オルセーにはゴッホの「自画像」、ゴーギャンの「タヒチの女」、ミレーの「落穂拾い」をはじめ、コロー、マネ、ルノアール、ロートレックといった日本でも馴染みの画家たちの作品を収蔵している。オルセーには1日中いても問題ないのだが、それはパリ滞在に充分な時間があるときのためにとっておかなくてはならない。私たちは3時間余り館内をのんびりと歩き分厚い美術書のページをめくるようにして作品の数々を鑑賞した。
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展示された絵画の合間にときおり大きな窓があるのだが、そこから眺めるパリの街並みの美しいこと。パリ中心部には高層建築が皆無、すべての建物の高さが統一されているのだから。セーヌを隔てたさらに遠方にはモンマルトルの丘に建つサクレクール寺院がぼんやりと見えていた。見事なまでに都市景観を守っていることに驚くとともに、ヒトラーの命に従わずパリを爆撃しなかったドイツ軍司令官に最敬礼である。

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第126話 ベラール邸でのディナー [パリ]


ダイニングテーブルを前にベラール夫妻、姪御さん、睦美、私と奥さんが座る。8人が一度に食事をしても問題ないほど大きなテーブルだが、すでに食器やグラスやパンがセットされている。中央部分だけ少し隙間があったがそこにはメインディッシュが置かれるのだろう。
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とりあえず泡(シャンパン)で乾杯、その後ベラールさんが抜栓し皆のグラスにそそがれたのはボルドーのシャトーランシュバージュだった。日本のレストランでオーダーすれば福澤さんが3人いないと安心して頼めない銘柄である。ベラールさんは私がかつてワインの輸入商社に勤めていたことを知っているので私が有無を言わせぬ代物を選択したのかもしれない。もっともこちらは何もここまでのクラスのワインでなくても不平をいう気などさらさらないが。メインディッシュは長方形の器に大きく鮮やかな海老やタコが盛られたムニエルだった。もちろんロレッタさんのお手製である。大きなテーブルも前菜やメインディッシュ、様々な器であっというまに埋まってしまった。しばらくするとベラールさんが私に見せたいものがあるのでついてきないさいと言う。エレベーターに乗りこむのでコンビニにでもつまみを買いにいくのかと思ったらエレベーターは1階を通り過ぎ地下に。おりて少し歩くとベラールさんがあるドアの前でとまり鍵をあける。地下にあるいくつかの部屋はこの建物の居住者がそれぞれ管理するスペースなのか。それとも地下もベラールさん所有で貴重品が入っているので鍵をつけているのかもしれない。灯りをつけるとそこは酒蔵、セラーだった。
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日本のレストランでもこれだけ保有しているところは少ないと思う。ボルドーワインを中心に、数々のシャンパンやブルゴーニュワインが棚で眠っていた。何でも気に入ったワインがあるとケース単位でオーダーしているそうだが、これをすべて飲み切るには連日パーティを催さなければならない。ベラールさんはその中から今日のラストはこれを開けようと手に取ったのでボルドーのシャトータルボ、これまた小売店で購入しても福澤さんおひとりさん、レストランならもうひとり以上は必要になるワインだった。
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皆が待つ上階のダイニングルームにワインを持ち帰り、あっという間に空にした後にリビングへ移動、記念写真などを撮りながらしばし談笑。地下のセラーとここを行ったり来たりしながら朝まで居座りたかったがそうはいかない。名残惜しいがお暇することにした。ベラール夫妻とは翌々日クラシックコンサートに行くことになっているので今夜でサヨウナラというわけではない。私たちは睦美をメトロの駅まで送りがてら徒歩でホテルのあるソルボンヌ広場に向かう。ホテル横のカフェはまだ営業しており、何かつまめる程度の余裕は胃袋にあったがおとなしく部屋に戻ることにした。

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第125話 下半身無着衣ルックで現れた姪っこ [パリ]

エジプトやインド、中国、もちろん日本も含め、ベラールさんが訪れた国の歴史を物語る逸品が展示された棚には、私たちのお土産である京扇子がすでに綺麗に飾られている。さすが日本通のベラールさん、ディスプレイ用の小物もちゃんと活用されていた。最後にライトアップされた小雨にけむる日本庭園を見せられて睦美も言葉がない様子だった。雨の日本庭園も美しい。庭だけ見れば東京の料亭の雰囲気である。
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邸内回遊が終わったので、さあディナーとはいかない。ひとまずリビングのソファに落ち着き談笑である。ベラールさんがシャンパンを開けグラスに注いでまわる。奥さんと睦美はロレッタさんとフランス語で話していたが、ロレッタさんは私の奥さんに気を遣って言葉を選び、さらにかなりゆっくりと話してくれているようだった。もちろんロレッタさんは英語でも話せるが、今日は奥さんの勉強のためということでフランス語を使ってくれているのだろう。
お土産として渡した「日本の色」という英語版写真集の話しとかロレッタさんの健康状態を話していると、大柄な女性がリビングに入ってきた。電話もチャイムもなっていないからこの家の鍵を持った人だろうから不審者ではなさそうだ。しかし彼女、下半身に何も身につけていないのである。私は目のやり場に困った。だが、ベラールさんもロレッタさんも何ごともないかのように私たちに彼女を紹介しはじめた。ベラールさんの姪御さんだった。年齢は40前後といったところか。しかしベラールさんは、「お客さんの前でそんな格好は失礼だ」と戒めないのだろう。私は不思議に思った。もしかすると何か障害をもった姪御さんで、こういう身なりは日常茶飯事、いちいち怒ったり注意したりしないに違いないと勝手に想像していた。
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私は視力が悪い。姪御さんは下半身裸で乱入してきたのかと思っていたが、彼女はらくだ色のズボンを履いていただけと知ったのはその後しばらくたってからのことである。でも勘違いしていたのは私だけではなかった。睦美も最初仰天したそうである。

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第124話 息子のCDで迎える演出 [パリ]

ベラールさんの住んでいる住居のガードは固い。まずビルの入口脇にある操作盤で暗証番号を入力する。するとドアがあき、10畳ほどの広さの何もないロビーとなる。次にロビー突き当たりのドアの横にある内線電話で訪問先を呼び出し、相手が入室を許可するとそのドアが開くことになる。つまり二重のセキュリティーシステムになっているわけだ。昨日のように外から電話して「今着いたから開けて」といえば、ベラールさんが迎えにきてくれるのだろうが、私たちはその建物の流儀に従って入館したのである。
ベラールさんに入室を拒まれることもなく私たちは建物内に入ることができた。ロビーのドアを抜けると右手に大人4人が乗れるか乗れないかという小さなエレベーターがある。小さな東洋人が3人乗りこんだだけでも息苦しい狭さである。ベラール邸がある2のボタンを押す。エレベーターは大きな音を立てて上昇を始め、すぐに大きな音とともに停止した。2階だからあっという間である。
2階の住人はベラールご夫妻だけなので、エレベーターのドアが開くと、正面のベラール邸玄関ドアも開け放たれており、中にベラールさんと奥さんのロレッタさんが立っていた。と同時に私たちの耳に聞き覚えのあるメロディが飛び込んできた。音はベラール邸の中から聴こえてくる。それは昨日ベラールさんにお土産のひとつとして渡した次男のバンドのCDに収められた曲だった。ベラールさんらしい心憎いお出迎え。私たちは感激しながら美術館のようなベラール邸に再び入館したのである。
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私はベラールさんにはここ数年の間にも何度か会っている。彼が来日したとき空港に迎えにいったりしていたのだ。でも奥さんのロレッタさんに会うのは12年振り。出張でパリを訪れた際、週末をノルマンディーのオンフルールや避暑地ド―ヴィルで一緒に過ごしたのである。その時オンフルールのハーバーの前で撮った写真をA4サイズに大きく伸ばして昨日ベラールさんに渡していた。
奥さんは入院するほど足が悪かったときいていたので心配していたが、今は回復しているようでひと安心。私たち夫婦は昨日ベラールさんに邸内の案内と邸内の美術品の数々を紹介してもらっていたが、睦美はベラール邸がリノベーションされてから訪れるのは初めて。そこでベラールさんが邸内を案内してくれた。

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