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第123話 逃げるが勝ち [パリ]

マネージャーは売り子さんの少し後方に立ち、彼女の接客の様子をチェックしているようだ。彼女のボーナスの査定に影響があるのだろうか。それとも私たちがブレゲの時計を販売するに相応しい人物かを鑑定しているのかもしれない。睦美が売り子さんに私の探している品名を告げる。睦美の左手はエルメスの存在を知らしめるかのようにいまだに不自然に顎の下あたりにあった。私は社長からプリントアウトされた商品リストを渡され「この時計の価格を」と依頼されていたので、その時計の品番、シリーズ名を暗記するとともに、その時計のデザイン、面構えまでしっかりと脳裏に叩き込んで日本を発っており、品番も睦美に伝えておいたのだ。
売り子さんは私たちのすぐ左手、入口に一番近い小さなショーウインドウの前に進み、中の品物が希望の商品であるといった。私の上着のポケットには折りたたまれたその商品リストがあるが、この場でそれを引っ張りだして照らし合わせるわけにもいかない。しかしそのショーウインドウの中では確かに社長の望みの代物が時を刻んでいた。これだこれだという顔を私がすると売り子さんは、これで一丁あがりと思ったのだろうか、時計の大きさはどのぐらいがいいのかと質問を投げかけてきたのである。私は掛け時計を探しているのではなく、この腕時計が欲しいのに何をとぼけたことをいっているのかと思った。しかし睦美の通訳によれば、時計の文字盤には使用する人の手の大きさに合うようにいくつかのサイズが用意されているようなのだ。さすが高級品は肌理が細かい。睦美はさらに私たちに日本語で一言つぶやいた「彼女フランス人じゃないね」。
売り子さんは私に手を差し出すようなそぶりをみせたが、時計を使用するのは私ではない。私は頼まれて調査にきただけ。日本のディスカウントショップとの間に大きな価格差があれば購入すべしとの指令をうけたにすぎないのだ。しかしここまで話しているのに売り子さんは、商品をショーウインドウから取り出すそぶりがない。飾り窓のようにウインドウ越しに品物を見て選べということか。するとマネージャーがようやく表舞台に登場し、私たちを奥の別室へ誘導するように売り子さんに告げたようだった。睦美の顔色が変化する。そして日本語で囁いた「奥に通されると購入しなくてはならない状況になる危険性があるよ」長居は無用、私たちは速やかに退店することにした。
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捕獲される寸前で潜入調査先を脱出した私たちはその後ルーブル美術館へ。しかし館内に侵入して展示品を鑑賞することはなく、ただ外観を眺めるなどパリ市街地を徘徊、疲れたらカフェでワインを飲むなどして時間をつぶし、今夕のベラール邸での晩餐会に備えた。

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第122話 高級時計店ブレゲにて [パリ]

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パリでは私の勤務先の社長から重要な業務の遂行を命じられていた。高級時計店ブレゲへの潜入調査である。社長が激務の最中に見つけた日本のインターネット激安ショップにおけるブレゲの価格と、現地価格との間にどの程度の差があるかを調べなければならないのだ。
ブレゲのショップは超高級ブランドショップしか見当たらないバンドーム広場に面している。外には体格の良い黒服のガードマン兼ドアマンが立ち観光客が気安く入れる雰囲気ではまったくない。最初からブレゲだけが目当ての顧客、もしくは少なくとも他ブランドと比較して購入を検討している人だけが重い扉を開いて入店を許される状況といえる。私たち夫婦だけならショーウインドウを除くことしかできなかったであろうが、今日は睦美嬢が一緒なので入店可能だ。なぜなら彼女の左手首には数年前に購入した馬具屋ヘルメスの腕時計が燦然と輝いているのだから。その価格は現在の彼女のパリでの1年間の生活費に匹敵するという。バブリーだった外資系証券会社勤務時代、後輩のお供でハワイのショップに立ち寄った際、衝動買いした代物だそうだ。彼女いわく「今なら絶対手をだせない」という逸品である。これさえ身につけていれば、冷やかしで入店してきた日本人観光客とは思われないであろうというのが彼女の推測だった。
彼女は不自然に左手首を露呈し、エルメスの印籠を見せつけつつ「早くドアを開けなさい」とドアマンを威嚇した。小さな彼女がバンドーム広場の一角でマグマ大使のように大きく見えた。ドアマンはニコリともせずドアを開けた。彼女に続いて私たちも店内に入る。奥行きはありそうだがとにかく中は薄暗い、店内の左手に小さなショーウインドウが奥までいくつかあるが、商品を照らしだすそのショーウインドウ内の照明だけでショップ内の明るさを確保しているようにも思えた。私たちが入店するとすぐさま若いパリジェンヌらしき売り子さん(この表現はマッチしないかもしれないが)がマネージャーらしき男性とともに私たちのもとにやってきた。私たちの背後にはなぜかさきほどのドアマンが立っている。彼らも私たちとともに入店してきたのだ。東洋からきた不審者たちを監視しているのかもしれない。売り子さんは最初英語で話しかけてきたが、睦美が英語で応えることなく流暢なフランス語で対応したので、その後の交渉はフランス語で進んだ。

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第121話 自動車ジャーナリストと間違えられる [パリ]

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私はマイクラをあきらめて土産用の車を探すことにした。ベントレーのセダンを購入しようと決めていた私がベントレーはどこにあるかとたずねると彼は即座にそれが鎮座するショーウインドウの前に誘導してくれた。ベントレー購入を即決すると彼はショーウインドウを開けて中からそれを取り出しレジに戻っていった。私としてはじっくりと店内を見て回りたかったが次の約束もある。ひととおり店内を歩いて、最近の日本では見かけた記憶のないボルボアマゾンのミニカーと、息子用に柄の綺麗だった有名ライダーのヘルメットのミニチュア版と購入することにしてレジに向かう。
ベントレーとボルボアマゾン、そしてヘルメット、3点お買い上げで119ユーロとか。結構なお買い物である。日本で購入した方が安いくらいだ。私は、これらを日本で手に入れることはできない、だからこの値段は妥当だと、自分に言いきかせた。するとスキンヘッド男、119ユーロだが、99ユーロに値引きするという。結構アバウトな商売をしているようである。それとも定価そのものがアバウトなのかもしれない。ところがここで問題がおきた。本来収まっているべきプラスチックケースが見当たらないというのだ。このベントレーは土産用だからケースは不可欠である。奥の親父さんも加わり店内や店奥を探し回った末、やっとこ見つかった。彼はプラスチックケースにベントレーを収め、裏側からネジでしっかりと固定した後、薄っぺらな紙袋に3品を入れて私に差し出した。
せっかくなので店内の写真をとってもいいかと彼に尋ねると彼も親父さんも快諾してくれた。私がデジカメのシャッターを店内各所できっている最中、彼らは奥さんに「旦那は日本のジャーナリストか」とたずねたそうである。ちょうどパリオートショーの最中だったので、この数日の間に、何人かの日本からきた自動車ジャーナリストがこの店にやってきていたのかもしれない。私はレジの横に山積みになっていた白や淡いブルーのフィアットチンクェチェンコを買えばよかったと後悔しつつ店を出た。あれを買えば総額150ユーロになっていただろう。それでも彼は99ユーロにしてくれたかもしれない。それほど大雑把な商売はしていないだろうが。店の外に、朝から東洋人の残した土産物のせいでトイレ掃除を余儀なくされ、怒りにふるえるカフェの金髪パリジェンヌが立っていなかったので、奥さんはほっとした様子だった。

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第120話 マイクラ(日産)を扱わないモデルカーショップ [パリ]

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日本にいるときインターネットで見つけたミニカーショップはカフェから数百メートルのところにあった。あまりに近いので奥さんは追っ手がこないか心配そう。店のショーウインドウには車の好きな人なら1日中ながめていてもあきないようなクラシックカーからF1レーシングカー、バス、トラックなどがぎっしりと陳列されていた。しばしショーウインドウにうっとりした後、ドアを開けて中に入る。
店内はそれほど広くないはない。店の中央にはいくつかのショーウインドウが配され、周囲の壁面という壁面はショーウインドウで覆われていた。ショーウインドウの下には18分の1もしくは12分の1という大型モデルカーが、ショーウインドウの上にも43分の1モデルが一寸の隙間もなく置かれている。ここから欲しい車を探していたら見つけるのも大変だし、あとからあとからお気に入りがでてきてスーツケースが何個あってもユーロがいくらあっても足りそうにない。日本にあるミニカーショップのように、各車が国ごととかメーカーごと、あるいはミニカーそのもののメーカー別など、系統立ててディスプレイされていればありがたいのだが、フランス人はそんな面倒なことはしないようだ。入荷した車は、かまわず空いているスペースに置いているのかもしれない。店の奥のレジ前にはスキンヘッドの若者が来店客の様子を伺うでもなくのんびりと店番をしているようだった。
私の愛車である日産マーチは、日産の世界戦略車でもあるのでイギリスやフランスでも良く見かける。マイクラという名で販売されていることを知っていたのでそのスキンヘッド男に、奥さんを介してフランス語でマイクラの在庫があるかどうかを尋ねてみた。このような店にいながら車にはあまり興味がないのか、日本車を好まないのか彼は首を傾げた。奥さんの発音が悪かったのかと思い私は「日産」とヒントを付け加えた。しかし彼の反応はない。店の奥は自宅らしく、彼は背後の部屋にいるらしい人物に尋ねたのであろう。すると奥から初老の男が出てきた、どうやら彼の親父さんのようである。親子でミニカーショップ経営とはうらやましい限りだ。しかし、父親もわからないのか、マイクラのミニカーそのものが存在しないのか、店にはないという回答だった。

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第119話 カフェのトイレが流れない [パリ]

私と奥さんは日本ではどちらかというと便秘気味だ。しかし今回の旅行中はよく食べるせいかよく歩くせいか、とにかく快調そのもの。場所時間を問わず体はそれを要求してきた。繁華街を歩いているときならデパートに行けば用は足りる。でも英国フランス両国とも、よっぽど大きな駅構内ならともかく地下鉄の駅にはトイレがない。ちょっと商業地区を外れるとそれこそ大変。レストランやパブ、カフェに入って何かオーダーしない限り用がたせないのだ。しかしロンドンでは街を歩くうちに大発見をした。ロンドンの美術館博物館は入場無料、そしてそこには美しいトイレがあることを。ところかわってフランスではこれまた一苦労。美術館は有料だし、デパートがそこかしこにあるわけではない。どうにもならなくなったらカフェに飛び込み、飲みたくもないコーヒーを注文してから大抵地下にあるトイレに向かわなくてはならないのだ。地方の小さな街や村だったらもう宿屋にもどるしか解決法はない。いったい他の西洋の国々からきた観光客はどう対処しているのだろう、私たちは不思議でならなかったのだが、結局、西洋人と日本人では体の構造が異なるに違いないという結論に達した。
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その日の午前中、ホテルを出てからノートルダムを見学した後、セーヌ河畔を歩き、バスティーユ広場近くにあるミニカーショップに向かっていた奥さんの口数が減ってきた。色づきだした街路樹、セーヌのおだやかな流れ、建物の高さが統一されている美しい街並みなどを観る余裕すらない様子。やがて妙な歩き方になってきた。尋ねると案の定、憚りに行きたいとのこと。午前中の早い時間だったので空いているカフェも見つからない。ようやく金髪のパリジェンヌが屋外にテーブルをセットしている開店直後のカフェを見つけ飛び込んだ。奥さんはエスプレッソと私に言い残して一目散に階下へ。私はパリジェンヌに奥さんのオーダーも告げ、代金を支払い、エスプレッソを受け取り、屋外のテーブルに陣取り、車の通りもほとんどない静かな街の様子をぼんやり眺めつつ、パリのミニカーショップでは日本で見かけることのないどんな珍しい車を販売しているのだろうと、心を躍らせていた。しばらくすると奥さんがもどってきたのだが何か様子が変だ。さきほどまでの苦悩の表情は消えていたが、何か落ち着きがない。「すぐに店を離れよう」という。エスプレッソの大半をカップに残したまま、私たちはその場を立ち去ったのである。ミニカーショップに向かって急ぎ足で歩きながら、何がおきたのかと尋ねると、トイレの水が流れなかったという。トイレがもともと壊れていたのか、奥さんの体内が放出された廃棄物のボリュームによって破壊されたのかは不明である。しかし、今頃パリの巷では日本人は体の構造が我々西洋人と違うようなので、トイレは絶対使用させるなと囁かれているかもしれない。

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第118話 開店前のカフェでエスカルゴを頬張るギャルソン [パリ]

まだお日さまの影も形もない暗い早朝、ホテル前のソルボンヌ広場を掃除する清掃車の音で私は目覚めた。あんな騒音を早朝から聞かされたのではパリ市民もたまったものではないだろう。それとも彼らはまだ人も車も少ない早朝から清掃員たちが働いてくれているおかげで美しいパリの街が保たれているのだと納得しているのかもしれない。
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今日は睦美とランチをした後、彼女がパリ市内を引き回してくれることになっている。私も奥さんも初めてのパリではないので、名所旧跡やブランド店を巡るのではなく、地元民が訪れるよう店や、ツーリストがいかないような裏通りを案内してくれるはず。11時半にノートルダム大聖堂前の広場で落ち合うことになっていたが、睦美と会う前に私には訪れたい店があったので私たちは朝食をすませるとすぐにホテルを出た。ホテルのすぐ横にあるソルボンヌ大学の入口では、セキュリティーチェックを受けつつ、賢そうなソルボンヌ大生が次々と学内に吸い込まれていく。パリの朝の空気も冷たくて心地よい。昨夜そばを食べた中華料理店の前を通りセーヌ川方面に向かう。セーヌ河畔に到着すると視界が開けた。川に架かる橋の向こうには荘厳なノートルダム大聖堂の姿が見える。私たちは橋を渡らずに右折し、サンルイ島方面に向かった。角のカフェでは開店準備をするギャルソンたちが、忙しそうにテーブルや椅子を店の前に並べている。ところが我関せずと椅子に座って何かをもくもくと食べているギャルソンがひとりいた。何を食べているのかと思ったらエスカルゴである。器用に殻から身を取り出し、次々と口の中に放り込んでいく。昨日の残り物を食べているわけではなさそうだ。彼のブランチなのか。それにしても賄い食がエスカルゴとはさすがパリー、お洒落である。私たちも滞在中に是非あれを食そうと話しながらセーヌ河畔に沿って東に歩いた。
セーヌ川の中洲にあるシテ島はパリ発祥の地といわれている古い町である。隣のサンルイ島も歴史有る建造物が立ち並ぶ、落ち着いた古い町。私の記憶が正しければ、元TBSアナウンサーの雨宮塔子さんもサンルイ島の古いアパルトメントに住んでいたことがあったとか。

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第117話 中華料理店で夕食 [パリ]

睦美が到着してからしばし再会を喜びあうと、私たちは空腹に耐えかね夜のカルチェラタンへ繰り出した。睦美が私たちに食べたいものはないかときいてきたので、日本を離れて10日あまり、日本食が我慢できないぐらい食べたいと思ったことはなかったが、なぜかラーメンの類が食べたいと伝える。すると近くに旨い中華料理屋があるというのでそこへ案内してくれることになった。
ノートルダム寺院、セーヌ川にほど近いカルチェラタンの外れに近い通り沿いにその店はあった。日本のガイドブックでも紹介されていた「ミラマ」というチャイニーズレストランの店先には豚の丸焼きがぶらさがっている。まだ7時を過ぎたばかりなので店内には空席もある。東洋人の客はそれほどおらず原住民であるフランス人の方が多いようだ。威勢のいい中国人店員が席へ誘導する。しかし同胞とは思われなったらしくフランス語で話しかけてきた。中華料理店といってもコース料理か高級な一品料理の数々を頼まなければならないような日本の高級中華料理店とは異なる。現地人も気軽に来店できる日本でいうところの麺類だけでも立派なお客さんと見てくれる気軽な店だ。私たちは好みの麺類を頼み、奥さんと睦美は再会を祝して、私はフランス国内をマニュアル車で無事走破してパリに到着したことを神に感謝し、冷えたチンタオビールで乾杯、した。
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日本のラーメンとは異なり私好みのあっさり仕立てのチャーシュー麺を食した後、サンジェルマン通りのカフェへ移動。テラス席でワインを1本空けた後、夜のノートルダム寺院をセーヌ川沿いに眺めた。睦美はそこからメトロで自宅のアパルトメントへ。私たちは心地よいほどに冷たいパリの風を頬に受けながらホテル方向に歩いてもどった。10時を過ぎていたがホテル前の広場にはかなりの人がいる。アップテンポのギターを弾く大道芸人までいて騒がしい。もちろん学生もいる。どのカフェもまだお客さんで賑わっていた。もう何も飲むことも食べることも不可能な私たちは大人しく部屋に戻ることにしたのである。オンフルールを出発してから14時間あまりしか経っていないが私にとっては長い長い1日に感じられた。

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第116話 ここがパリ?外は見事な日本庭園 [パリ]

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そこにはここはパリではなく京都かと錯覚させるような見事な日本庭園が広がっていたのである。今は動いていないが小さな滝もある。玉砂利が敷かれたスペースもある。苔の生えた岩まで配されている素晴らしい庭園だ。日本人スタッフによってパリから発信されるインターネットサイトでこの庭が紹介されたときベラールさんから知らせがきたので写真ではみたことがある。しかし実際に見てみると圧巻である。万博でもないのによくぞここまで創りあげたと。
何でも木や苔は日本から持ち込んだものも多く、パリの植木屋さんに頼んで造園してもらったそうである。以前にメイルでその光景を見たとき、莫大は費用がかかったのではと尋ねると、安くはなかったとの答えが返ってきたことを思いだした。日本の料亭でもここまでこらないかもしれない出来栄えである。夜はライトアップできるようになっているそうで、二階の最も奥に位置するベラール夫妻の寝室からもそれが一晩中眺められるよう大きな窓が設置されていた。
庭をしばしベラールさんの案内で歩いた後、室内に戻る。今日の長居は無用である。私たちは日本から持参した貢物(土産物)を差し出した。メインは京扇子。ロンドンのサトウ夫妻、ニュイサンジョルジュのフェブレイ夫妻への土産と同じものだ。もちろん細部はそれぞれ異なるが。奥さんの従兄弟が京都で竹細工の工房を経営しており高級京扇子の制作にも携わっているため、その関係筋を介して比較的廉価で購入できたのである。日本通のベラールさんはその価値がわかってくれるだろう。あとは画を描くことが好きなベラールさんの奥さんロレッタさんのために購入したもの。日本の色を紹介する本である。もちろん外国向けなので英語で記されている。外国の人は受け取るとすぐに開けてみると思っている人も多いだろうが、そこは日本贔屓のベラールさん、あり難く頂戴した後に、ロレッタさんが帰宅してからあけさせてもらうといった。その後三階の事務所スペースを見学。さらに、私たちがいるあいだじゅう泣きどおしだった姪っ子さんの飼い犬だという五月蝿い小型犬にガンを飛ばしつつワンフロア上から日本庭園を鑑賞。明日夕の訪問時間を確認してベラール邸を後にした。
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時計をみると間もなく6時になろうとしているが、陽はまだ沈みそうにない。大型書店や専門書を扱う小さな書店、そうした学術的な店の中に八百屋果物屋も並ぶパンテオン脇の小道をのんびり歩きホテルへ向かった。ホテル横のカフェの外に置かれた席は学生たちでほとんど埋まっていた。ここでコーヒーを飲み、一服し、それぞれのアパルトメントに戻って深夜まで復習予習をするのだろうか。私たちは睦美の訪問を待つため一旦部屋に戻った。

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第115話 博物館のような邸宅で再会 [パリ]

正面ドアのロックが外れたようなので私たち中に入った。中といってもその建物の玄関ロビーのようで薄暗い。先にはまた別のドアがある。その横にはまたしてもインターホンが。そして外と同じに暗証番号を打ち込むテンキーが。そこでさらに番号を押さないと目の前の扉は開かず住人たちのプライベートスペースには入れないシステムのようだ。Wチェックということか。しばらくすると分厚いガラスドアの向こうにベラールさんの姿が見える。建物の中からは何の操作をすることなく自動ドアでロビーにでられるようだ。ベラールさん登場、仕事が激務だったのか、昼寝の最中だったのか頭がぼさぼさである。
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私は2年前にベラールさんが来日したとき成田空港まで車で迎えにいき宿泊先の新宿のホテルまで送ったことがあるが、私の奥さんは数年ぶりの再会だ。文字通り玄関先での挨拶の後、外のドアを開けるための暗証番号を教えてくれた。明日はこの番号を使って中に入り、今いる玄関の中のインターホンで呼び出してくれればいいという。ベラールさんは奥さんがフランス語を多少話すことを知っているので最初フランス語で数字をいった。奥さんは復唱しメモしたが、ベラールさんは確認のためだろうか英語で再度数字を教えてくれた。これで完璧である。中に入ると右手に小さなエレベーターがあった。手動で開けるかなりレトロ感漂うエレベーターである。それに3人以上は乗れそうにない。ベラール邸は二階と三階とのこと。三階は事務所スペースも含まれているようだ。ゆっくりと動くエレベーターが二階に到着する。これまた手動で扉をあけるとそこはもうベラールさんの家だった。エレベーターを降りると自宅ということはベラールさんは2,3階2フロアを独占していることになるのだろうか。ベラールさんが靴を脱ぐようにスリッパを差し出してくれた。日本の住居を真似て室内は土足厳禁にしたそうである。
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エレベーターをおりた瞬間、そこはまるで美術館、博物館のようだった。前回訪れた際も廊下に数々の作品、当時は娘さんが描いた作品を中心に壁が数々の絵画で埋まっていたが、今は若手画家の作品も収集しているとか。アーチストを育てるパトロン、もしくは自分が目をつけた画家が大成することを楽しみしているのだろう。奥さんの姿が見えないので所在を尋ねると絵画教室に行っており不在とのこと。夫婦ともにアートと歴史には目がないようである。明るいリビングに通されるとそこは大英博物館かアンティークショップかと錯覚するほどの彫刻や歴史を感じさせる各国の古美術品が点在する。リビングのコーナーには飾り棚が設けられこれまた世界各国で買い求めてきたであろう民芸品というには軽すぎる、値の張りそうな品々が展示されていた。室内の作品群に気をとられ唖然としているとベラールさんがおもむろに庭の見える窓際に私たちを誘導した。

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第114話 夕暮れ時のパリ5区を歩く [パリ]

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ホテルからベラール邸までは地図でみる限り徒歩で5分程度。ヴィクトル・ユーゴー、アレキサンドル・デュマ、キューリー夫妻などフランスに貢献した偉人たちが眠るパンテオンを左手にみつつ直進し狭い道を左折すればベラール邸に到着する。私は12年前に訪れているが、そのときは日も暮れかかっていたし、ベラールさんの車に便乗していただけなので、ライトアップされたノートルダム寺院の横を通ったことは覚えているが邸宅がどこに位置するのかなど全く記憶にはない。ただ一軒家でもないマンション風建物の中にもかかわらず広い庭があったことを覚えている。
ちょうど通りで立ち話をしているおじさんがいたのでメモを見せてこの住所はどこか尋ねると前のビルを指差す。そこのインターホンを押せばいいと親切に教えてくれた。インターホンの横にはこのビルだかマンションだかのテナント名あるいは住人の名が掲示されており、尋ねたい相手の横のボタンを押せばその事務所?部屋?につながるようになっている。さらに住人用なのだろう、暗証番号を入れれば開くようにテンキーもあった。私はミッシェルベラール邸のボタンを押した。反応がない。日本のようにせまい家なら、外でインターホンをならせば、家の中でチャイムやブザーが鳴っている様子がわかるがここではそうはいかない。留守なのだろうか、応答がない。しかたないことだ、今日パリに到着することは日本を発つ前に日程表もメイルしておいたし、昨夜オンフルールから電話もしている。でも今日伺うとは何もいっていない。明日の晩にパーティをしようと家に招待されていただけなのだから。重たい本を持参したがポストに入れるわけにもいかない。明日再度もってくればいいだけの話である。
あきらめてその場を立ち去ろうとしたらインターホンから声がきこえた。ベラールさんの声に間違いない。どなたさん?とフランス語でいわれたので名を告げると驚いたような声をだした。アポなしの訪問は先方からはあまり好まれない。海外ならなおのことだ。第一線を退いてはいるものの相手はまだ仕事をしている身だ。自宅が仕事場とはいってもまだ労働時間内、自由がきかないかもしれない。私たちの行動は無謀だったと後悔しても時は戻らない。しかしベラールさんはすぐに行くから建物の正面ドアのロックが外れたら中に入って待っていてくれといってインターホンを切った。

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